豊似駅
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豊似駅 | |
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とよに Toyoni | |
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所在地 | 北海道広尾郡広尾町字豊似 |
所属事業者 | 日本国有鉄道(国鉄) |
所属路線 | 広尾線 |
キロ程 | 71.2 km(帯広起点) |
電報略号 | トニ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1932年(昭和7年)11月5日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)2月2日[1] |
備考 | 広尾線廃線に伴い廃駅 |
豊似駅(とよにえき)は、北海道(十勝支庁)広尾郡広尾町字豊似にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)広尾線の駅(廃駅)である。電報略号はトニ。事務管理コードは▲111513[2]。
歴史
[編集]- 1932年(昭和7年)11月5日 - 国有鉄道広尾線大樹駅 - 広尾駅間の延伸開通(広尾線全通)に伴い、開業[3][4]。一般駅[3]。
- 1974年(昭和49年)12月15日 - 貨物・荷物の取り扱いを廃止[5]。同時に無人駅化[6]。
- 1987年(昭和62年)2月2日 - 広尾線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]所在地名より。現在の豊似川のアイヌ語名「トイオイ(toy-o-i)」(土・ある・ところ)に由来する[4]。ここでいう「トイ(toy)」とはアイヌが食用にしていた珪藻土(「チエトイ(cie-toy)」)のことともされているが[4][7]、単に泥水ばかり出る川であったためともされている[7]。
また、アイヌ語研究者の山田秀三は「豊似」という当て字に着目し「トユニ(toy-un-i)」(土・ある・ところ)とも呼ばれていたのかもしれない、と考察している[7]。
駅構造
[編集]廃止時点で、1面1線の単式ホームを有する地上駅であった。ホームは、線路の西側(広尾方面に向かって右手側)に存在した。[8]。かつては2面2線の相対式ホームを有する、列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎と反対側の1線は、交換設備運用廃止後も側線として残っていた(但し1983年(昭和58年)時点では、プラットホームは撤去されていた[8])。その他、本線帯広方から駅舎側に分岐し駅舎北側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[8]。
無人駅となっていたが、有人駅時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の西側に位置し、ホームに接していた[8]。
利用状況
[編集]1981年度(昭和56年度)の1日当たりの乗降客数は50人[8]。
駅周辺
[編集]駅跡
[編集]1999年(平成11年)時点では鉄道関連施設は何も残っておらず、荒れ地になっている[10]。2010年(平成22年)時点でも同様であった[11]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、891頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、236頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ a b 内閣印刷局, ed (1932-10-28). “鉄道省告示 第429号”. 官報 (国立国会図書館デジタルコレクション) (1750) .
- ^ a b c 『北海道 駅名の起源』(第1版)日本国有鉄道北海道総局、札幌市、1973年3月25日、143頁。ASIN B000J9RBUY。
- ^ “日本国有鉄道公示第319号”. 官報. (1974年12月12日)
- ^ 「通報 ●広尾線愛国駅ほか3駅の駅員無配置について(旅客局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1974年12月12日、4面。
- ^ a b c 山田秀三『北海道の地名』(2版)草風館、浦安市〈アイヌ語地名の研究 山田秀三著作集 別巻〉、2018年11月30日、329頁。ISBN 978-4-88323-114-0。
- ^ a b c d e 書籍『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』(小学館、1983年7月発行)140ページより。
- ^ a b c 書籍『北海道道路地図 改訂版』(地勢堂、1980年3月発行)12ページより。
- ^ 書籍『鉄道廃線跡を歩くVI』(JTBパブリッシング、1999年3月発行)40ページより。
- ^ 書籍『新 鉄道廃線跡を歩く1 北海道・北東北編』(JTBパブリッシング、2010年4月発行)89ページより。