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裴氏

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中国語
中国語 ペイ
繁体字
簡体字
発音記号
標準中国語
漢語拼音Péi
国語ローマ字Pei
注音符号ㄆㄟˊ
呉語
上海語ローマ字Be1
粤語
粤拼Pui4
閩南語
台湾語ローマ字Pôe
ベトナム語
ベトナム語ブイ
クオック・グーBùi
チュノム

(はい)は、漢姓の一つ。

中国

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(ペイ)は、中華圏の姓の一つで、『百家姓』の197番目。

分布

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2020年の中華人民共和国の統計では人数順の上位100姓に入っておらず[1]、主に山西省の黄河以東の夏県一帯に分布している。台湾の2018年の統計では156番目に多い姓で、3,760人がいる[2]

その中の一支族が河南省武陟県大虹橋村に分布しており、代以降の族譜が流伝している。

由来

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中世に於ける著名な門閥貴族の中の一つであり、山西省聞喜県を本貫としている。

その始祖に擬せられるのは、の始祖である非子の後裔である。非子の支孫は𨛬(上が非で下が邑の字体)郷に封ぜられ、よってそれを氏姓とした。僖王の代、六世の孫である陵が封じられて解邑君となった。そこで、𨛬から「邑」の部首を除いて「衣」に従い、「裴」を姓とするようになった。

後に裴氏は支族が三分し、河東燕京西涼等の土地に分かれた。しかしながら、その譜系の源流を考えると、皆聞喜の裴氏に出ている。故に「天下に二裴なし」という言葉ができた。

裴氏一族は往古より以来、三晋の望族となり、なおかつ中国の歴史上でその名望明らかな名門貴族となった。裴氏一族は「秦より以来、六朝を経て盛んとなり、に至って全盛を迎えた。五代以後も、なお余勢を存していた。」

裴氏一族は、貴顕となったものが絶えず、正史に立伝或いは附載された者が、600名余を数えた。名を後世に残した者は、1,000名余を下らない。七品以上の官人は、3,000名余に達した。その『裴氏世譜』の統計に拠れば、裴氏一族で歴史上に於いて、嘗て前後して宰相59名、大将軍59名、中書侍郎14名、尚書55名、侍郎44名、常侍11名、御史10名、節度使・観察使・防禦使25名、刺史211名、太守77名、封爵された者では、公爵89名、侯爵33名、伯爵11名、子爵18名、男爵13名、宗室と婚姻を結んだ者が皇后3名、太子妃4名、王妃2名、駙馬21名、公主20名等に及び、真に「将相は接武し、公侯の一門たり」と謂うべき様であった。中国の「宰相村」の名は、この状況によって得られたものである。

著名な人物

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架空の人物

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朝鮮

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朝鮮では異体字の「」が使われる。

ベトナム

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(ブイ)は、ベトナムで9番目に多い姓であり、人口の2%を占める。

著名な人物

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脚注

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  1. ^ 《二〇二〇年全国姓名报告》发布_部门政务_中国政府网”. www.gov.cn (2021年2月8日). 2023年1月19日閲覧。
  2. ^ 全國姓名統計分析”. 中華民国内政部. p. 281 (2018年10月). 2023年1月19日閲覧。

参考文献

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  • 西江輯成点校『裴氏人物著述』山西人民出版社〈河東裴氏研究叢書』2〉、2002年。ISBN 7203045374 
  • 周征松『魏晋隋唐間的河東裴氏』山西教育出版社、2000年。ISBN 7544017486 
  • 矢野主税「裴氏研究」『社会科学論叢』1965年。