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藤代禎輔

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藤代禎輔

藤代 禎輔(ふじしろ ていすけ、1868年9月10日慶応4年7月24日) - 1927年昭和2年)4月18日)は、ドイツ文学者、京都帝国大学教授。

来歴

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1868年千葉生まれ。筆名は素人。1891年帝国大学文科大学卒、1900年夏目漱石芳賀矢一と共に同じ船でドイツへ留学、1907年京都帝大講師、のち教授として独文学を講じた。漱石の友人としても知られ、漱石を京都帝大へ招聘したが断られている。カール・フローレンツとともに『万葉集』のドイツ語訳の仕事を続けたが未完のまま死去した。

栄典

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位階
勲章

著書

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  • 草露集 藤代素人 大倉書店 1906.9
  • 文芸と人生 不老閣書房 1914
  • 文化境と自然境 藤代素人 文献書院 1922
  • 鵞筆余滴 藤代素人 弘文堂書房 1927

翻訳

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脚注

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  1. ^ 『官報』第4117号「叙任及辞令」1926年5月17日。
  2. ^ 『官報』第93号「叙任及辞令」1927年4月23日。
  3. ^ 『官報』第124号「叙任及辞令」1912年12月27日。

関連項目

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  • 花まつり - 言葉の起源とされる、1901年にベルリンで催された「Blumen Fest(ブルーメンフェスト)」の発起人の一人。
公職
先代
大森吉五郎
校長事務取扱
京都市立美術工芸学校
1916年 - 1924年
次代
多久安信
校長事務取扱
学職
先代
松本文三郎
文科大学長
日本の旗 京都帝国大学文学部
1919年
京都帝国大学文科大学長
1916年 - 1919年
次代
狩野直喜