祝部成茂

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祝部 成茂
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代中期
生誕 治承4年(1180年[1][2]
死没 建長6年(1254年)8月[1][3]
官位 正四位下、丹後守[2][3]
氏族 日吉祝部氏樹下家
父母 祝部允仲[2][注 1]
兄弟 顕成、文成成茂長成為仲後鳥羽院下野[2]
利玄の姉[4]
成季成賢堀河親俊室、藤原実任室、成材[2]
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祝部 成茂(はふりべ の なりもち[5])は、鎌倉時代前期から中期の日吉大社神職

略歴[編集]

日吉社禰宜の家に生まれ、自身も同社の神主、禰宜、禰宜惣官を務めた[1]元久元年(1204年)春日社歌合での作が評価されて叙爵[2]承久3年(1221年承久の乱後、幕府から乱への関与を疑われて鎌倉に呼び出されたが、程なく疑いを解かれて帰洛を果たしている[6][注 2]文暦2年(1235年)日吉社と近江武士佐々木高信との争いに端を発し、日吉社は神輿を持ち出して強訴を行った。幕府は高信ら武家方の関係者を処罰する一方、翌嘉禎元年(1236年)には山門方で争乱を引き起こした利玄の責任を追及しようとしたが、成茂は利玄が妻の弟だった関係から坂本の自邸に利玄を匿った。そのため守護使不入の地である坂本に六波羅探題の武士が踏み入り、山門方も強く抵抗するという騒動に発展し、成茂は説明のため鎌倉へと下向している[7]宝治元年(1247年天台宗僧の法印俊範が弾劾された際、日吉社の神宝を濫用して俊範に味方したとして無動寺衆徒より訴えられている[8]建長元年(1249年古希の祝いとして後嵯峨上皇より御製[注 3]。を賜る[9]建長2年(1250年正四位[10]。建長6年(1254年)75歳で卒去。[1][2]

歌人として[編集]

歌人として知られ、元久元年(1204年)春日社歌合では始めて歌合の読み人として召されたが、その際に詠んだ「冬の来て 山もあらはに 木の葉ふり 残る松さへ 峰にさびしき」の歌が後鳥羽上皇に高く評価され、この歌は後に『新古今和歌集』にも撰ばれている[11][12]。その後も建永元年(1206年)卿相侍臣歌合[13]建永元年(1215年)四十五番歌合[14]寛喜4年(1232年)石清水若宮歌合[15]寛元元年(1243年)河合社歌合[16]、建長3年(1251年)影供歌合に参加している。[1][17]

家集に『成茂宿禰衆』があり、また勅撰集に44首が撰ばれている。また同時代の代表的女流歌人である後鳥羽院下野は妹にあたる[1]。『徒然草』第14段では当時は評価されたものの今では「歌くず」と評されている和歌の事例について語られており、春日社歌合で詠まれた成茂の「冬の来て」の歌もその一例で、詠まれた当時は後鳥羽上皇からも特別に褒賞されたものだが、鎌倉時代末期ころには評価が低くなってしまっていたという[18][11]

官歴[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『日吉祝部系図』父の名を輔友とする[3]
  2. ^ 吾妻鏡』によれば成茂が鎌倉に出頭した翌晩、幕府執権北条義時の妻・伊賀の方が、日吉社の神使とみなされていた猿が鉄鎖をつけられ、自身の髪を掴んで怒りの形相をしているという夢を見た。伊賀の方は大江広元に相談し、神意を畏れ、軽率に神職を裁くべきではないと成茂を早々に放免することになったのだという[6]
  3. ^ 「七十の けふのためとや 昔より 社の数を 定め置けん」。後に『新千載和歌集』に撰ばれている[9]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 『日本人名大辞典』, § 祝部成茂.
  2. ^ a b c d e f g h 福田 1965, pp. 60–62.
  3. ^ a b c 『大日本史料』5-1, p. 155.
  4. ^ 『大日本史料』5-10, p. 839.
  5. ^ 『新古今和歌集』, p. 171.
  6. ^ a b 『大日本史料』5-1, pp. 154–155.
  7. ^ 『大日本史料』5-10, pp. 838–839.
  8. ^ 『大日本史料』5-22, pp. 22–23.
  9. ^ a b 『大日本史料』5-31, pp. 352–353.
  10. ^ a b 『大日本史料』5-33, pp. 5–6.
  11. ^ a b 『新古今和歌集』, pp. 170–171.
  12. ^ 『大日本史料』4-8, p. 260.
  13. ^ 『大日本史料』4-9, pp. 157–158.
  14. ^ 『大日本史料』4-12, pp. 598–599.
  15. ^ 『大日本史料』5-7, pp. 818–820.
  16. ^ 『大日本史料』5-16, p. 409.
  17. ^ 『大日本史料』5-36, pp. 97–101.
  18. ^ 『徒然草』, pp. 92–93.
  19. ^ 『大日本史料』4-8, pp. 113–116.
  20. ^ 『大日本史料』4-8, p. 345.
  21. ^ 『大日本史料』5-2, pp. 134–135.
  22. ^ 『大日本史料』5-25, p. 176.

参考文献[編集]

  • 上田正昭; 西澤潤一; 平山郁夫 ほか 編『日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 978-4-06-210800-3 
  • 福田秀一「祝部系図について」『國學院雑誌』 66-1巻、國學院大学、1965年。 
  • 峯村文人 編『新古今和歌集小学館〈新編日本古典文学全集〉、1995年。ISBN 978-4-09-658043-1 
  • 神田秀夫; 永積安明; 奈良岡康作 編『方丈記 徒然草 正法眼蔵随聞記 歎異抄』小学館〈新編日本古典文学全集〉、1995年。ISBN 978-4-09-658044-8 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第四編』 8巻、東京大学出版会、1970年。ISBN 978-4-13-090158-1 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第四編』 9巻、東京大学出版会、1971年。ISBN 978-4-13-090159-8 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第四編』 12巻、東京大学出版会、1972年。ISBN 978-4-13-090162-8 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 1巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090201-4 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 2巻、東京大学出版会、1968年。ISBN 978-4-13-090202-1 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 7巻、東京大学出版会、1971年。ISBN 978-4-13-090209-0 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 9巻、東京大学出版会、1970年。ISBN 978-4-13-090207-6 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 10巻、東京大学出版会、1971年。ISBN 978-4-13-090210-6 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 16巻、東京大学出版会、1972年。ISBN 978-4-13-090216-8 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 22巻、東京大学出版会、1975年。ISBN 978-4-13-090222-9 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 25巻、東京大学出版会、1997年。ISBN 978-4-13-090225-0 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 26巻、東京大学出版会、1997年。ISBN 978-4-13-090226-7 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 31巻、東京大学出版会、2000年。ISBN 978-4-13-090231-1 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 33巻、東京大学出版会、2006年。ISBN 978-4-13-090233-5 
  • 東京大学史料編纂所 編『大日本史料 第五編』 36巻、東京大学出版会、2018年。ISBN 978-4-13-090236-6