白石ありす

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白石ありす(しらいしありす、生年月日不詳[注釈 1])は日本の女性作詞家

プロフィール[編集]

西武百貨店が行っていた歌詞募集に応募、ここに送った「森がよんでる」が特選に選ばれ、これがきっかけとなって本格的に詞を書くようになる[1]上條恒彦の2ndアルバム「街が海に沈むとき(1972)」収録の歌「森がよんでる」の作詞で「白石素子」としてデビュー[1]

小室等の2ndアルバム「東京(1973)」以降、「白石ありす」と名乗る。白石ありすという名前は上記、特選に選ばれた時に使った名前であり、これより前に詞の応募に投稿し続けていた時には「白石カバスケ」「白石うまお」などおかしな名前を使っていたこともあった[1]不思議の国のアリスが好きなので、ペンネームをありすにしたという[1]

荒川ゆうネットの小室等のインタビューには「かつて「東京」というアルバムを作りました。同じ荒川の住民だった白石ありす氏の詩で、荒川周辺の町、墨田川から見る東京の情景が綴られています」とある。同時期のベルウッド・レコードのアーティスト山平和彦のシングル曲「たまねぎC/Wどうやら私は街が好きらしい(1973)」にある様に、都会の生活を好んで歌の題材とした。

山平の元へは最初「たまねぎ」「どうやら私は街が好きらしい」の他「伽草子」の三篇を持って行ったが、「たまねぎ」「どうやら - 」の二篇は受け取ってもらえたものの、「伽草子」は山平曰く「曲想が湧かない」ということで、改めてこの詞は吉田拓郎の許へ持って行き、受け取ってもらうことが出来た[1]

作詞活動期間は短く、1979年頃で音楽界から姿を消したが、吉田拓郎のシングル曲「伽草子(1973)」がスタンダード化したことで、今でも名前を見ることができる。

作品の特徴[編集]

白石ありすの書法は完全に詞先だった。作風は現代詩歌謡詞の中間にあり、あえて字脚を揃えなかった為、作曲者が各々苦労をしている様子が窺える。

作詞作品[編集]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 年齢について、1973年9月の時点で「22歳」と話している[1]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f 深夜放送ファン(自由国民社)1973年9月号 p.82 - 83 本人インタビュー