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[[File:Japanese war-bereaved Family at Yasukuni Shrine.jpg|thumb|250px|英霊として祀られた肉親のために[[靖国神社]]参拝をする戦争遺族(昭和30年)]]
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'''英霊'''(えいれい)とは、[[死者]]、特に[[戦死者]]の[[霊]]を敬っていう語。また、英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、[[英才]]を指す<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/22400/m0u/%E8%8B%B1%E9%9C%8A/ 大辞泉 えい‐れい【英霊】。]</ref>。<!--生霊に対する招魂祭もあるので区別が必要。-->
'''英霊'''(えいれい)とは、[[死者]]、特に[[戦死者]]の[[霊]]を敬っていう語。また、英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、[[英才]]を指す<ref>[http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/22400/m0u/%E8%8B%B1%E9%9C%8A/ 大辞泉 えい‐れい【英霊】。]</ref>。<!--生霊に対する招魂祭もあるので区別が必要。-->


== 概要 ==
== 概要 ==
英霊の語は古くは『隋書』など中国の古典にみられる<ref name="min-f44-14" />。

日本では幕末に藤田東湖の「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」という漢詩の一節が志士の間で詠われ広まった<ref name="min-f44-14">[http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f44-14.pdf 新谷尚紀「民俗学からみる慰霊と追悼」] 明治聖徳記念学会 2020年1月17日閲覧</ref>。

[[日露戦争]]以降、特に国に殉じた人々、[[靖国神社]]・[[護国神社]]に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた <ref>村上重良『慰霊と招魂』岩波新書、1974年、152頁参照。</ref>。政治的、思想的な論争の対象となることがある(詳細は[[靖国神社問題]]を参照)。
[[日露戦争]]以降、特に国に殉じた人々、[[靖国神社]]・[[護国神社]]に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた <ref>村上重良『慰霊と招魂』岩波新書、1974年、152頁参照。</ref>。政治的、思想的な論争の対象となることがある(詳細は[[靖国神社問題]]を参照)。



2020年1月17日 (金) 06:28時点における版

英霊として祀られた肉親のために靖国神社参拝をする戦争遺族(昭和30年)

英霊(えいれい)とは、死者、特に戦死者を敬っていう語。また、英華秀霊の気の集まっている人の意で、才能のある人、英才を指す[1]

概要

英霊の語は古くは『隋書』など中国の古典にみられる[2]

日本では幕末に藤田東湖の「英霊いまだかつて泯びず、とこしえに天地の間にあり」という漢詩の一節が志士の間で詠われ広まった[2]

日露戦争以降、特に国に殉じた人々、靖国神社護国神社に祀られている戦没将兵の「忠魂」・「忠霊」と称されていたものを指して使われ始めた [3]。政治的、思想的な論争の対象となることがある(詳細は靖国神社問題を参照)。

議論

  • 西部邁(評論家)は2017年の著書で「(靖国)神社は「英霊」を祀る場所であり、そして「英(ひい)でた霊」とは「国家に公式的な貢献をなして死んだ者の霊」のことをさす。故東条英機をはじめとするA級戦犯と(占領軍から)烙印を押された我が国の旧指導者たちに英霊の形容を冠するのは、歴史の連続性を保つという点で、是非とも必要なことと思われる」、「A級戦犯と名付けられている(戦勝国によって殺害された)人々の霊(なるもの)が英霊でないはずがない[4]」と説明している。

脚注

  1. ^ 大辞泉 えい‐れい【英霊】。
  2. ^ a b 新谷尚紀「民俗学からみる慰霊と追悼」 明治聖徳記念学会 2020年1月17日閲覧
  3. ^ 村上重良『慰霊と招魂』岩波新書、1974年、152頁参照。
  4. ^ 西部邁『ファシスタたらんとした者』中央公論新社、2017年、368-369頁。 

関連項目