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* 東京大司教区のほか、東京管区が管轄する教区 |
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2013年12月11日 (水) 08:39時点における版
カトリック東京大司教区(カトリックとうきょうだいしきょうく、英: Roman Catholic Archdiocese of Tokyo)は、東京都および千葉県を管轄区域とするカトリック教会の司教区。司教座聖堂は関口教会。日本では信者数が最も多い教区で、大司教が管理する大司教区である。
司教座聖堂
- 大司教座 - 関口教会(東京カテドラル聖マリア大聖堂)
沿革
- 1846年(弘化3年)- 日本使徒座代理区が設立。パリ外国宣教会に委託される。
- 1876年(明治9年)5月22日 - 日本使徒座代理区を日本北緯使徒座代理区、日本南緯使徒座代理区の2区に分割。日本北緯使徒座代理区は横浜に代理区長館を置き、北海道、東北、関東および中部の各地方を管轄区域とした。
- 1877年(明治10年)7月 - 代理区長館を横浜から築地教会へ移す。
- 1891年(明治24年)4月17日 - 北海道と東北地方を分離し、函館使徒座代理区となる。
- 1891年(明治24年)6月15日 - 北緯代理区を東京大司教区とし、大司教区に昇格。
- 1912年(大正元年)8月13日 - 富山、石川、福井の3県を新設の新潟使徒座知牧区に委譲。
- 1920年(大正9年)- 司教座を築地教会から関口教会へ移す。
- 1922年(大正11年)2月18日 - 愛知、岐阜の2県を新設の名古屋使徒座知牧区に委譲。
- 1937年(昭和12年)11月9日 - パリ外国宣教会の手を離れて邦人教区となり、東京都と千葉県以外の地域は新設の横浜教区に委譲。
- 1945年(昭和20年)5月25日 - 関口教会の司教座聖堂が戦災のために焼失。神田教会が仮の司教座聖堂となる。
- 1964年(昭和39年)11月9日 - 現在の東京カテドラル聖マリア大聖堂が完成。
歴代司教(教区長)
- 初代 - ピエール・マリー・オズーフ(パリ外国宣教会)1891~1906年
- 2代 - ピエール・ザヴィーエ・ムガブル[1](パリ外国宣教会)1906~1910年
- 3代 - フランソワ・ボンヌ[2](パリ外国宣教会)1910~1912年
- 4代 - ジャン・ピエール・レイ(パリ外国宣教会)1912~1927年
- 5代 - ジャン・アレキシス・シャンボン(パリ外国宣教会)1927~1937年
- 6代 - ペトロ 土井辰雄 1937~1970年
- 7代 - ペトロ 白柳誠一 1970~2000年
- 8代 - ペトロ 岡田武夫 2000年~現在
現況
- 信者数
- 信徒数:94,040人(人口あたりの信徒率:0.501%)
- 信者数[4]:96,146人
- 教会数
- 小教区:75
- 準小教区:3
- 集会所:2
教区の教会
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所在地・交通アクセス
〒112-0014 東京都文京区関口3-16-15(北緯35度42分50.9秒 東経139度43分33.7秒)
脚注
- ^ ピエール・ザヴィーエ・ムガブル(Pierre-Xavier Mugabure)
1850年1月1日フランスのバスク地方ゲタリーにて誕生。1874年に司祭に叙階。1902年東京大司教区補佐司教に任命され、1906年東京大司教に就任。聖堂の新設、出版物の刊行に力を注ぐ。1910年5月27日、故郷のバスク地方ゲタリーにおいて死去。 - ^ フランソワ・ボンヌ(François Bonne)
1855年5月25日フランスのシャンベリー教区にて誕生。同地はアルプス山脈西麓の交通の要衝で、かつて1232年から1562年までサボイア公国の首府であった。パリ外国宣教会に入り、1879年司祭に叙階され、同年宣教師として日本に派遣された。はじめ、天草に赴任し1882年長崎神学校校長に就任し自ら神学・哲学を講義した。1910年東京大司教区に転じ東京大司教に就任。1912年1月11日東京において死去。 - ^ カトリック中央協議会「カトリック教会現勢2010年」(pdf)
- ^ 信者数=信徒数(一般信者)に司祭・修道者・神学生などの人数を加えた数
- ^ http://tokyo.catholic.jp/text/diocese/daishikyo/message_20021211.htm
関連項目
- 東京カテドラル聖マリア大聖堂 - 司教座聖堂
- 東京大司教区のほか、東京管区が管轄する教区
- カトリック大阪大司教区
- カトリック長崎大司教区
参考文献
- 一粒の麦 東京教区創立100周年記念誌(1991年)