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*『国書偽造』(出版芸術社、1993、のち新潮文庫) |
*『国書偽造』(出版芸術社、1993、のち新潮文庫) |
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*『地球という名の方舟』(角川ノベルズ、1993) |
*『地球という名の方舟』(角川ノベルズ、1993) |
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*『雲雀 唐入り秀吉の影と陰』(出版芸術社、1994)のちに『秀吉夢のまた夢』と改題し(小学館文庫) |
*『雲雀 唐入り秀吉の影と陰』(出版芸術社、1994) |
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**のちに『秀吉夢のまた夢』と改題し(小学館文庫) |
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*『ご立派すぎて』(講談社、1994、のち文庫) |
*『ご立派すぎて』(講談社、1994、のち文庫) |
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*『首都誘拐』(祥伝社ノンノベル、1994) |
*『首都誘拐』(祥伝社ノンノベル、1994) |
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*『新宿職安前託老所』(出版芸術社、1995)のちに『めんどうみてあげるね 新宿職安前託老所』と改題し(新潮文庫) |
*『新宿職安前託老所』(出版芸術社、1995) |
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**のちに『めんどうみてあげるね 新宿職安前託老所』と改題し(新潮文庫) |
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*『はぐれ五右衛門』(双葉社、1997、のち文庫) |
*『はぐれ五右衛門』(双葉社、1997、のち文庫) |
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*『美男忠臣蔵』(講談社、1997、のち文庫) |
*『美男忠臣蔵』(講談社、1997、のち文庫) |
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*『[[片桐且元]]』(小学館、2000、のち文庫) |
*『[[片桐且元]]』(小学館、2000、のち文庫) |
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*『他人の不幸は銭の味』(小学館、2000) |
*『他人の不幸は銭の味』(小学館、2000) |
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*『死して残せよ虎の皮 [[浅井長政]]正伝』(徳間書店、2000)のちに『[[浅井長政]]正伝』と改題し(学陽書房人物文庫) |
*『死して残せよ虎の皮 [[浅井長政]]正伝』(徳間書店、2000) |
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**のちに『[[浅井長政]]正伝』と改題し(学陽書房人物文庫) |
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*『真田密伝』(角川春樹事務所、2002) |
*『真田密伝』(角川春樹事務所、2002) |
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*『三人吉三 明日も同じたぁつまるめえ』(双葉社、2002) |
*『三人吉三 明日も同じたぁつまるめえ』(双葉社、2002) |
2013年6月2日 (日) 11:52時点における版
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鈴木輝一郎(すずき きいちろう、1960年7月24日 - )は、日本の小説家でコラムニスト、株式会社鈴木コテ製作所代表取締役社長。岐阜県大垣市出身。岐阜県大垣市在住。
父親は、元株式会社鈴木コテ製作所社長で、彼が10歳のときから30年間にわたって大垣市の市会議員をつとめた。
経歴
岐阜県立大垣東高等学校卒業。日本大学経済学部卒業。
卒業後、東京でタイトーに入社。営業開発・営業企画・店舗開発などに従事。だが、どこに配属されても上司との折り合いが悪く、本人いわく「無能なサラリーマンだった」。
25歳の時、初めて短編小説を一篇書き上げ、ある小説雑誌の新人賞に応募すると、二次選考を通過していたため、「才能があるのでは?」と考え、サラリーマンをしながら小説を書き、賞に応募する日々を続ける。 1988年、実家に帰り、株式会社鈴木コテ製作所に入社。左官コテおよび左官工具の製造・販売に従事。父親の死後、2002年代表取締役社長に就任。現在も「兼業作家」である。
28歳でタイトーを退社して帰省した際、先に応募していた「オール讀物推理小説新人賞」の最終選考に残っていたため、期待を抱くが、受賞はならなかった。ちなみに、この時の受賞者は、宮部みゆきであり、「かち合った相手が悪かった」と述懐している[1]。
「我流で書いていてもこれ以上は伸びないかもしれない」と思い、1989年から山村正夫の小説講座に新幹線通学。篠田節子などと知り合う[2]。
1990年、小説現代ショートショート・コンテストに「金太郎侍」が入選。星新一から、「面白さも、たっぷり」と絶賛を受ける。 1991年「情断!」(講談社)でデビュー。1994年、短編小説「めんどうみてあげるね」で、日本推理作家協会賞・短篇および連作短篇集部門を受賞。
以後、推理小説、現代小説、エッセイ、時代小説、歴史小説などで活躍している。
作風
- 自身の体験をリアルにユーモラスに小説化した、『ご立派すぎて』は「見合い体験」を赤裸々に描いたもの。
- 『ほどよく長生き死ぬまで元気』は身内が倒れ、介護する身内がまたその無理でまた、次々に倒れていくという「介護の連鎖地獄」を描いたもの。
エピソード
- 「仕事と女性は来るもの拒まず」がモットーである。
- 雑誌『本の雑誌』の読書投稿欄に、プロ作家でありながら常連投稿者である。同誌2005年8月号では第1回「三角窓口王」の称号を付与された。
- インターネットを草創期から使用し、HP保有、1996年12月から現在も続くウェブ日記なども、作家の中では最初期の部類である。
作品
- 『情断!』(講談社ノベルス、1991)
- 『狐狸りない紳士』(光文社カッパノベルス、1992、のち文庫)
- 『国書偽造』(出版芸術社、1993、のち新潮文庫)
- 『地球という名の方舟』(角川ノベルズ、1993)
- 『雲雀 唐入り秀吉の影と陰』(出版芸術社、1994)
- のちに『秀吉夢のまた夢』と改題し(小学館文庫)
- 『ご立派すぎて』(講談社、1994、のち文庫)
- 『首都誘拐』(祥伝社ノンノベル、1994)
- 『新宿職安前託老所』(出版芸術社、1995)
- のちに『めんどうみてあげるね 新宿職安前託老所』と改題し(新潮文庫)
- 『はぐれ五右衛門』(双葉社、1997、のち文庫)
- 『美男忠臣蔵』(講談社、1997、のち文庫)
- 『狂気の父を敬え』(新潮社、1998)
- 『白浪五人男』(新潮社、1999、のち双葉文庫)
- 『片桐且元』(小学館、2000、のち文庫)
- 『他人の不幸は銭の味』(小学館、2000)
- 『死して残せよ虎の皮 浅井長政正伝』(徳間書店、2000)
- のちに『浅井長政正伝』と改題し(学陽書房人物文庫)
- 『真田密伝』(角川春樹事務所、2002)
- 『三人吉三 明日も同じたぁつまるめえ』(双葉社、2002)
- 『ほどよく長生き死ぬまで元気遺産そこそこ遺書はしっかり』(小学館、2002、のち文庫)
- 『中年宮本武蔵』(双葉社、2003)
- 『罪と罠へのアドレス』(実業之日本社、2003)
- 『幻術絵師、夢応のまぼろし』(河出書房新社、2003)
- 『巴御前』(角川書店、2004)
- 『信長が宿敵 本願寺顕如』(毎日新聞社、2005、のち学陽書房人物文庫)
- 『燃ゆる想ひを』(河出書房新社、2005)
- 『戦国の凰 お市の方』(河出書房新社、2007)
- 『戦国の鬼 森武蔵』(出版芸術社、2007)
- 『信長と信忠』(毎日新聞社、2009)
- 『金ケ崎の四人 信長、秀吉、光秀、家康』(毎日新聞社、2012)
エッセイ
- 『戦国武将に学ぶ「風格」の研究 彼らにおける老いの品性・老いの真価とは』(祥伝社ノンブック、2001)
- 『吠えず芸せず噛みつかず』(河出書房新社、2001)
- 『何がなんでも作家になりたい!』(河出書房新社、2002)
- 『家族同時多発介護』(河出書房新社、2003)
- 『時代小説が書きたい!』(河出書房新社、2004)
- 『もしも義経にケータイがあったなら』(新潮新書、2005)
- 『日本語の逆襲』(小学館、2007)
脚注
外部リンク
小説家鈴木輝一郎は今日もパコパコ(本人運営ホームページ)