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'''チャタレー事件'''(チャタレーじけん)は、[[イギリス]]の[[作家]][[D・H・ローレンス]]の作品『[[チャタレイ夫人の恋人]]』を[[日本語]]に訳した作家[[伊藤整]]と、版元の小山書店社長小山久二郎に対して[[刑法 (日本)|刑法]]第175条の[[わいせつ物頒布罪]]が問われた事件で、日本政府と進駐軍による検閲が行なわれていた占領下の1951年に始まり<ref name="repo1"/>、1957年の上告棄却で終結した。[[わいせつ]]と[[表現の自由]]の関係が問われた。 |
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== 概要 == |
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== 事件の意義 == |
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わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。 |
わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。国内だけでなく、東京でのこの裁判は、のちのイギリスやアメリカでの同種の裁判の先鞭となり、書籍や映画の販売促進に効果的な手段としてみなされ、利用されるようになった<ref name=repo1>[http://books.google.co.jp/books?id=jjUjBOnsmjwC&pg=PA183&dq=Lady+Chatterley%27s+Lover%E3%80%80japan&hl=ja&sa=X&ei=bWGMUaCWFcSGkAWl4oCwAw&ved=0CDcQ6AEwAg#v=onepage&q=Lady%20Chatterley%27s%20Lover%E3%80%80japan&f=true Representing the Other in Modern Japanese Literature: A Critical Approach by Rachael Hutchinson, Mark Williams, Routledge, 2006]</ref>。 |
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=== 公共の福祉論について === |
=== 公共の福祉論について === |
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* [[2007年]]に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、[[彩流社]]で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は集大成の形で、[[2005年]]に同社より『[[D・H・ローレンス]]の作品と時代背景』を刊行している。 |
* [[2007年]]に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、[[彩流社]]で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は集大成の形で、[[2005年]]に同社より『[[D・H・ローレンス]]の作品と時代背景』を刊行している。 |
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== 参考文献 == |
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* [[阪本昌成]]「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由─チャタレイ事件」[[芦部信喜]]・[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]・[[長谷部恭男]]編『憲法判例百選I 第4版』(有斐閣、2000年) |
* [[阪本昌成]]「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由─チャタレイ事件」[[芦部信喜]]・[[高橋和之 (憲法学者)|高橋和之]]・[[長谷部恭男]]編『憲法判例百選I 第4版』(有斐閣、2000年) |
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* [[阪口正二郎]]「文学とわいせつ(1)─チャタレー事件」[[堀部政男]]・長谷部恭男編『メディア判例百選』(有斐閣、2005年) |
* [[阪口正二郎]]「文学とわいせつ(1)─チャタレー事件」[[堀部政男]]・長谷部恭男編『メディア判例百選』(有斐閣、2005年) |
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*伊藤整『裁判』1958年(復刻版、晶文社, 1997年)- 伊藤の裁判メモをもとにしたドキュメンタリー小説。 |
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== 脚注 == |
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== 関連事件 == |
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* [[悪徳の栄え事件]] |
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* [[四畳半襖の下張事件]] |
* [[四畳半襖の下張事件]] |
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* [[愛のコリーダ]]事件裁判 |
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== 関連項目 == |
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* [[ポルノ]] |
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* [[エロティカ]] |
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* [[日本キリスト教婦人矯風会]] |
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* [[民間検閲支隊]] |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
2013年5月10日 (金) 06:31時点における版
最高裁判所判例 | |
---|---|
事件名 | 猥褻文書販売被告事件 |
事件番号 | 昭和28(あ)1713 |
1957年(昭和32年)3月13日 | |
判例集 | 刑集11巻3号997頁 |
裁判要旨 | |
| |
大法廷 | |
裁判長 | 田中耕太郎 |
陪席裁判官 | 真野毅 小谷勝重 島保 斎藤悠輔 藤田八郎 河村又介 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎 池田克 垂水克己 |
意見 | |
多数意見 | 田中耕太郎 小谷勝重 島保 斎藤悠輔 藤田八郎 河村又介 小林俊三 本村善太郎 入江俊郎 池田克 垂水克己 |
意見 | 真野毅(1. - 3.について) |
反対意見 | 真野毅(4.について) |
参照法条 | |
刑法175条、憲法21条 |
チャタレー事件(チャタレーじけん)は、イギリスの作家D・H・ローレンスの作品『チャタレイ夫人の恋人』を日本語に訳した作家伊藤整と、版元の小山書店社長小山久二郎に対して刑法第175条のわいせつ物頒布罪が問われた事件で、日本政府と進駐軍による検閲が行なわれていた占領下の1951年に始まり[1]、1957年の上告棄却で終結した。わいせつと表現の自由の関係が問われた。
概要
『チャタレイ夫人の恋人』には露骨な性的描写があったが、出版社社長はそれを知りつつ出版した。伊藤と出版社社長は当該作品にはわいせつな描写があることを知りながら共謀して販売したとして、刑法第175条違反で起訴された。第一審(東京地方裁判所昭和27年1月18日判決)では出版社社長小山久二郎を罰金25万円に処する有罪判決、伊藤を無罪としたが、第二審(東京高等裁判所昭和27年12月10日判決)では両被告人小山久二郎を罰金25万円に、同伊藤整を罰金10万円に処する有罪判決としたため、両名が上告した。
弁護人について
被告人側の弁護人には、正木ひろし、後に最高裁判所裁判官となる環昌一らが付き、さらに特別弁護人として中島健蔵、福田恆存らが出廷して論点についての無罪を主張した。
論点
最高裁判決
最高裁判所昭和32年3月13日大法廷判決は、以下の「わいせつの三要素」を示しつつ、「公共の福祉」の論を用いて上告を棄却した。
わいせつの三要素
- 徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、
- 且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し
- 善良な性的道義観念に反するものをいう
(なお、これは最高裁判所昭和26年5月10日第一小法廷判決の提示した要件を踏襲したものである)
わいせつの判断
わいせつの判断は事実認定の問題ではなく、法解釈の問題である。したがって、「この著作が一般読者に与える興奮、刺戟や読者のいだく羞恥感情の程度といえども、裁判所が判断すべきものである。そして裁判所が右の判断をなす場合の規準は、一般社会において行われている良識すなわち社会通念である。この社会通念は、「個々人の認識の集合又はその平均値でなく、これを超えた集団意識であり、個々人がこれに反する認識をもつことによつて否定するものでない」こと原判決が判示しているごとくである。かような社会通念が如何なるものであるかの判断は、現制度の下においては裁判官に委ねられているのである。」
公共の福祉
「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がないのであるから、本件訳書を猥褻文書と認めその出版を公共の福祉に違反するものとなした原判決は正当である。」
事件の意義
わいせつの意義が示されたことにより、後の裁判に影響を与えた。また、裁判所がわいせつの判断をなしうるとしたことは、同種の裁判の先例となった。国内だけでなく、東京でのこの裁判は、のちのイギリスやアメリカでの同種の裁判の先鞭となり、書籍や映画の販売促進に効果的な手段としてみなされ、利用されるようになった[1]。
公共の福祉論について
公共の福祉論の援用が安易であることには批判が強い。公共の福祉は人権の合理的な制約理由として働くが、わいせつの規制を公共の福祉と捉える見方には懐疑論も強い。
補記
- 出版された本のタイトルは『チャタレイ夫人の恋人』だが、判決文では「チャタレー夫人の恋人」となっている。憲法学界における表記も「チャタレー事件」「チャタレイ事件」の2通りがある。
- この裁判の結果、『チャタレイ夫人の恋人』は問題とされた部分に伏字を用いて1964年に出版された。具体的には該当部分を削除し、そこにアスタリスクマークを用いて削除の意を表した。その後、1996年に伊藤整の息子伊藤礼が削除部分を補った完全版を刊行した。
- 伊藤は、当事者として体験ノンフィクション『裁判』を書いた。『チャタレイ夫人の恋人』は、1973年に羽矢謙一が講談社文庫で完訳を刊行した。
- 1960年にはイギリスでも同旨の訴訟が起こっている。結果は陪審員の満場一致で無罪。2006年には訴訟の様子がノンフィクションとしてドラマ化された。
- 2007年に「日本D・H・ロレンス協会」の会長を務めた倉持三郎が、彩流社で『「チャタレー夫人の恋人」裁判 日米英の比較』を刊行した。なお著者は集大成の形で、2005年に同社より『D・H・ローレンスの作品と時代背景』を刊行している。
参考文献
- 阪本昌成「わいせつ文書の頒布禁止と表現の自由─チャタレイ事件」芦部信喜・高橋和之・長谷部恭男編『憲法判例百選I 第4版』(有斐閣、2000年)
- 阪口正二郎「文学とわいせつ(1)─チャタレー事件」堀部政男・長谷部恭男編『メディア判例百選』(有斐閣、2005年)
- 伊藤整『裁判』1958年(復刻版、晶文社, 1997年)- 伊藤の裁判メモをもとにしたドキュメンタリー小説。
脚注
- ^ a b Representing the Other in Modern Japanese Literature: A Critical Approach by Rachael Hutchinson, Mark Williams, Routledge, 2006