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**衆議院初当選に際し[[朝日新聞]]の取材に応じ、「順位が最下位だったため[[告示]](公示)前には党幹部に文句を言った。当選できるとはもちろん思っていなかった。神様が帳尻を合わせてくれたのだと思う。[[小泉純一郎]][[総理]]のもとで頑張ります」と語った。 |
**衆議院初当選に際し[[朝日新聞]]の取材に応じ、「順位が最下位だったため[[告示]](公示)前には党幹部に文句を言った。当選できるとはもちろん思っていなかった。神様が帳尻を合わせてくれたのだと思う。[[小泉純一郎]][[総理]]のもとで頑張ります」と語った。 |
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**当選後、議員会館にFAXがついていないと暴言をはき、世論の厳しい批判を招いた{{要出典}}。 |
**当選後、議員会館にFAXがついていないと暴言をはき、世論の厳しい批判を招いた{{要出典}}。 |
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**義父の小澤が[[宏池会]]に所属していたことから、清水も都議選初出馬以来同会の支援を受けていた。[[派閥]]には入会して |
**義父の小澤が[[宏池会]]に所属していたことから、清水も都議選初出馬以来同会の支援を受けていた。当初[[派閥]]には入会しておらず、上記の経緯で[[宏池会 (古賀派)]]や[[宏池会 (谷垣派)]]に近かったが、2007年8月[[二階派]]に入会した。なお、小澤・清水以来の縁で、東京20区から当選した木原誠二は宏池会 (古賀派)に属している。 |
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*[[2006年]] 自民党[[再チャレンジ]]支援議員連盟に参加した。 |
*[[2006年]] 自民党[[再チャレンジ]]支援議員連盟に参加した。 |
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*[[2007年]]7月 2006年分国会議員所得報告書が公開される。同報告書によると清水の年間所得は1億2939万円。資産家・実業家として著名な[[鳩山邦夫]]・[[松本龍 (政治家)|松本龍]]・[[堀内光雄]]らの政治家の所得を上回り、[[小杉隆]]・[[田中真紀子]]に次いで第3位であった。 |
*[[2007年]]7月 2006年分国会議員所得報告書が公開される。同報告書によると清水の年間所得は1億2939万円。資産家・実業家として著名な[[鳩山邦夫]]・[[松本龍 (政治家)|松本龍]]・[[堀内光雄]]らの政治家の所得を上回り、[[小杉隆]]・[[田中真紀子]]に次いで第3位であった。 |
2007年8月28日 (火) 01:18時点における版
清水 清一朗(しみず・せいいちろう、1947年4月23日 - )は日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
経歴
- 東京都東村山市諏訪町に農業清水米吉(1965年、精心幼稚園を創設。学校法人精心学園精心幼稚園前理事長兼園長)の次男として生まれる。
- 東京都立小平高等学校を経て、日本大学法学部経営法学科卒業。
- 東京相互銀行に勤務。
- のち銀行を退職し、義父の自由民主党衆議院議員小澤潔の公設第一秘書となる。
政歴
- 1993年 東京都議会議員選挙に北多摩1区から自由民主党公認で出馬し初当選。
- 1996年 第41回衆議院議員総選挙に東京20区から自由民主党公認で出馬するも落選(当選者は新進党公認の大野由利子(元公明党))。
- 2000年 第42回衆議院議員総選挙に東京20区から自由民主党公認で再出馬しようとしたが、自公連立政権による候補者調整により、現職の大野由利子が与党候補(公明党公認)として立候補することになった。このため自民党支部長でありながら自民党公認が得られず、無所属で立候補。地元の自民党都議・市議の支援を受けるも大敗(一方の大野も落選となり、与党系候補の共倒れとなる。東京20区の当選者は民主党公認の加藤公一であった。大野は政界引退)。
- 2003年 第43回衆議院議員総選挙に自民党公認を得て再度立候補。公明党は東京20区への候補者擁立を行わず撤退したものの、過去の経緯から清水を推薦しなかった。清水は再び落選。惜敗率73.47%で比例代表でも落選した(東京20区の当選者は民主党公認の加藤公一)。
- 2005年 第44回衆議院議員総選挙に自民党公認で出馬。ただし東京20区は新人の木原誠二に譲り、比例代表東京ブロックのみの立候補となった。名簿順位は最下位の30位であったが初当選を果たした。
- この時初当選した他の自民党衆議院議員とともに83会を組織した。
- 自民党が圧勝した選挙であったが、東京ブロックでは予想以上に同党の得票が伸び、清水の当選により小選挙区・比例代表の立候補者全員が当選。更に比例代表東京ブロックではドント式の計算上もう1議席獲得できる得票数にまで至った。しかし自民党は既に候補者が全員当選し名簿搭載者がいなくなったため、その議席は社会民主党に割り振られ、保坂展人が復活当選するという珍事が起こった。
- 衆議院初当選に際し朝日新聞の取材に応じ、「順位が最下位だったため告示(公示)前には党幹部に文句を言った。当選できるとはもちろん思っていなかった。神様が帳尻を合わせてくれたのだと思う。小泉純一郎総理のもとで頑張ります」と語った。
- 当選後、議員会館にFAXがついていないと暴言をはき、世論の厳しい批判を招いた[要出典]エラー: タグの貼り付け年月を「date=yyyy年m月」形式で記入してください。間違えて「date=」を「data=」等と記入していないかも確認してください。。
- 義父の小澤が宏池会に所属していたことから、清水も都議選初出馬以来同会の支援を受けていた。当初派閥には入会しておらず、上記の経緯で宏池会 (古賀派)や宏池会 (谷垣派)に近かったが、2007年8月二階派に入会した。なお、小澤・清水以来の縁で、東京20区から当選した木原誠二は宏池会 (古賀派)に属している。
- 2006年 自民党再チャレンジ支援議員連盟に参加した。
- 2007年7月 2006年分国会議員所得報告書が公開される。同報告書によると清水の年間所得は1億2939万円。資産家・実業家として著名な鳩山邦夫・松本龍・堀内光雄らの政治家の所得を上回り、小杉隆・田中真紀子に次いで第3位であった。
著書
- 『清水清一朗のニュートレンディ改革 すごいっ!生活が変わる四つの政策 教育福祉経済環境』 1996年 出版/東洋堂企画出版社 発売/万葉舎 ISBN 4-924706-62-0