コンテンツにスキップ

東條一堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

東條 一堂(とうじょう いちどう、1778年12月25日安永7年11月7日〉 - 1857年9月1日安政4年7月13日[2])は、江戸時代後期から幕末儒者折衷学派の一人[3]

「一堂」は[4]は「弘」、は「子毅」、通称「文蔵」[2]。別号に「焚書以上人」「橙蘇翁」「再蘇翁」、諡号は「古徴先生」[5]

生涯

[編集]

上総国埴生郡八幡原村(現在の千葉県茂原市)の富農の家の次男として生まれる[2]。9歳のとき火災に遭い、一家で江戸に移る[6]

16歳のとき、儒者として政治に関わることを志し[7]京都皆川淇園に学んだ後、江戸で亀田鵬斎に学ぶ[2]

27歳のとき、弘前藩主の津軽寧親に招かれ藩校稽古館」の督学となるが、建白が受け入れられないのを不服として一年余で辞職[8][2]

神田東松下町の記念碑(玄武館および瑶池塾跡)

江戸で私塾を開き、当初は駒込吉祥寺そばで「蜾蠃窟」、39歳で湯島昌平黌そばに移転、44歳で神田お玉ヶ池そばに移転し「瑶池塾」とした[9]。瑶池塾の隣には千葉周作の「玄武館」があり、相互に親交した[10]

塾が有名になるにつれ、各地の諸侯に招かれ進講するようになり、ペリー来航の際は阿部正弘に開港と海防を進言した[11]

73歳のとき、望郷の念から八幡原に半年帰郷[12]。80歳のとき病没した[13]

葛飾妙源寺茂原公園神田東松下町(玄武館・瑶池塾跡)に記念碑がある[14]

門人

[編集]

私塾の受講生は三千人余に及び[15][1]、玄武館と兼学する者も多くいた[10]

特に志士清川八郎桃井可堂那珂通高鳥山新三郎吉田松陰の師)らがいたことから、松陰に劣らぬ「志士の父」とも言われる[15]。その他、高橋喜惣治[1][10]琳瑞森田悟由土屋三余らがいた。

親族

[編集]
東條會館

子の東條方庵、孫の東條淡齋東條永胤も儒者[16]。儒者の山井清渓に嫁いだ山井道子は孫娘にあたり[17]塩谷温はその遠戚にあたる[18]。曾孫の東條卯作写真家であり、東京半蔵門そばの「東條會館」(1912年設立)の設立者である[19]

東條卯作や塩谷温は、1957年東條會館で「東條一堂先生百年祭」を開催し[20]、追って『東條一堂著作集』『東条一堂小伝』を出版した。

学風・著作

[編集]

宋の新注と漢唐の古注どちらも批判検討した上で、焚書以前の原義に迫ろうとした[21]。これは「焚書以上学」と呼ばれ、伊藤仁斎らの「古学」や、師の淇園・鵬斎の学に近いが異なる[22]

著作は百以上に及び、四書五経や『孝経』『荀子』『老子』『荘子』『列子』『国語』『世説新語』『宋名臣言行録』などへの注釈や考証、字書日本語学書、詩文集、『学範』(学問の心得[23])『ヤマトゴコロ辨非』(大国隆正大和心への批判[24])などがある[25]書簡建白書も現存する[26]

一部著作が翻刻されており、上記『東條一堂著作集』や[27]、戦前の『日本名家四書註釈全書』『日本儒林叢書』などに収録されている。

関連項目

[編集]

参考文献

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 東條一堂生誕の地”. 千葉県茂原市の公式サイトへようこそ! (2015年). 2024年8月16日閲覧。
  2. ^ a b c d e f 渡部正一(日本大百科全書ニッポニカ)、ロバート・キャンベル(朝日日本歴史人物事典)『東条一堂』 - コトバンク
  3. ^ 武内義雄日本における老荘学」『武内義雄全集 第6巻 諸子篇1』角川書店、1978年(原著1937年)https://dl.ndl.go.jp/pid/12213729/1/122 235頁。
  4. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 94.
  5. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 48;66.
  6. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 2.
  7. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 9.
  8. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 21.
  9. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 23-27.
  10. ^ a b c 東条一堂小伝 1959, p. 33.
  11. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 40.
  12. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 54;56.
  13. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 66.
  14. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 72.
  15. ^ a b 東条一堂小伝 1959, p. 69.
  16. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 70.
  17. ^ 山井道子』 - コトバンク
  18. ^ 東条一堂小伝 1959, p. ii.
  19. ^ 東条一堂小伝 1959, p. i;72;83.
  20. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 72;77.
  21. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 25.
  22. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 48;67.
  23. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 101.
  24. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 95.
  25. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 106-115.
  26. ^ 東条一堂小伝 1959, p. 53;62.
  27. ^ CRID 1130000793932285184