玄武館

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玄武館跡(2011年5月撮影)

玄武館(げんぶかん)は、千葉周作によって開かれた、北辰一刀流道場

「力の斎藤」(神道無念流練兵館)、「位の桃井」(鏡新明智流士学館)と並び、「技の千葉」と称され、幕末江戸三大道場の一つに数えられた。

歴史[編集]

創設[編集]

中西派一刀流浅利義信の後継者となる予定だった千葉周作は、浅利と対立し、離縁した。そして、1822年文政5年)秋、日本橋品川町に玄武館を設立し、流派名を北辰一刀流と称した。

幕末期[編集]

その後、神田於玉ヶ池に移転した。於玉ヶ池周辺は学者町であったため、門人が学問に接する機会が多くなり、政治に関心を持つ者が増えて明治維新に影響を与えたともいわれる。また、斜め向かいには天神真楊流柔術の道場があり、北辰一刀流と天神真楊流を併習する者が多かった。周作以下の千葉一門は、道場を経営しつつ水戸藩にも仕官した。

周作の子たちは早世し、玄武館は衰退していった。

明治以降[編集]

1883年明治16年)、周作の孫の千葉周之介(之胤)が、旧玄武館門弟・山岡鉄舟井上八郎の後見を受けて東京府東京市神田区神田錦町に玄武館を再興した。

また、周作の三男・千葉道三郎に師事した小林定之は、東京府東京市本所区菊川町に至誠館を開いた。その養子の小林四郎は、北海道小樽市へ渡り、1913年大正2年)小樽に玄武館を開いた。小樽玄武館は太平洋戦争中の1944年昭和19年)に閉鎖した。

1950年昭和25年)、小樽玄武館の内弟子であった小西重治郎が東京都杉並区善福寺に道場を開き、玄武館5世を継承した。

関係者・門人[編集]

参考文献[編集]

  • 月刊剣道日本』1977年4月号 特集江戸三大道場、スキージャーナル
  • 『月刊剣道日本』1978年3月号 特集北辰一刀流千葉周作、スキージャーナル

関連項目[編集]

外部リンク[編集]