幌似駅

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幌似駅
幌似鉄道記念公園として保存されている。(2006年9月17日 )
ほろに
Horoni
国富 (3.5 km)
(3.0 km) 前田
所在地 北海道岩内郡共和町幌似
北緯42度59分4.8秒 東経140度36分49.5秒 / 北緯42.984667度 東経140.613750度 / 42.984667; 140.613750座標: 北緯42度59分4.8秒 東経140度36分49.5秒 / 北緯42.984667度 東経140.613750度 / 42.984667; 140.613750
所属事業者 日本国有鉄道(国鉄)
所属路線 岩内線
キロ程 6.0 km(小沢起点)
電報略号 ホニ
駅構造 地上駅
ホーム 1面1線
開業年月日 1919年大正8年)12月5日[1]
廃止年月日 1985年昭和60年)7月1日[1]
備考 岩内線廃線に伴い廃駅
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幌似駅(ほろにえき)は、かつて北海道岩内郡共和町幌似にあった日本国有鉄道(国鉄)岩内線廃駅)である。電報略号ホニ事務管理コードは▲131802[2]

駅構造[編集]

廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する地上駅であった。ホームは線路の北側(岩内方面に向かって右手側)に存在した[3]。かつては相対式ホーム2面2線を有する列車交換可能な交換駅であった。使われなくなった駅舎と反対側の1線は、交換設備運用廃止後も側線として残っていたが、プラットホームは撤去されていた[3]。そのほか小沢方から駅舎側に分岐し駅舎東側のホーム切欠き部分の貨物ホームへの貨物側線を1線有していた[3]

職員配置駅で、駅舎は構内の北側に位置しホーム中央部分に接していた[3]

駅名の由来[編集]

所在地名より。地名は、アイヌ語の「ポロイチャンイ(poro-ichan-i)」(大きい・サケマスの産卵場)に由来するとされる[4]

幕末・明治の探検家松浦武四郎『丁巳日誌』には「ホロイチャン 多く鮭が卵を置く」とあり、それが「ホロイザンニ」「ホロニサンニ」と呼ばれるようになり、これが省略されて漢字を当てられ「幌似」となったと考えられている[4]

このほか、「ポロナイ(poro-nay)」(大きい・川)に由来するとする説もあるが、旧記などから、上記の説が妥当と考えられている[4]

利用状況[編集]

  • 1981年度(昭和56年度)の1日乗降客数は54人[3]

駅周辺[編集]

らいでん西瓜や雷電メロンの畑が広がっていた[3]

歴史[編集]

1976年の幌似駅と周囲約750m範囲。左が岩内方面。既に相対ホームは撤去され単式ホーム1面となっているが、レールは副本線として残されている。駅舎横の貨物ホームには貨車が留置されている。周囲は豊かな田園地帯であるため、かつては隣の前田駅と共に農作物の搬出が盛んであったが、この写真の直前に貨物取扱が廃止となっている。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成

駅跡[編集]

旧駅構内は共和町により「幌似鉄道記念公園」として整備されていた[6]。駅舎、ホーム、駅名標、側線を含む線路など廃止当時の構内施設がそのまま残る形で保存されていた。駅舎内にはさよなら列車ヘッドマークや事務備品など岩内線関連資料が保存・展示され、貨物側線には旧型客車であるスハフ42形スハフ42 257と、それに連結してワフ29500形ワフ29587有蓋緩急車の2両が静態保存・展示されていた[6]

その後、国道276号岩内共和道路の工事のため、公園全体が移動した。本物のホームと線路は撤去、貨物ホームも埋められ屋根と痕跡を残すのみとなっている。駅舎は移設され、ホームと線路は新造、保存車両も移動した。2011年(平成23年)時点で現存している[7]

その他[編集]

隣の駅[編集]

日本国有鉄道
岩内線
国富駅 - 幌似駅 - 前田駅

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 石野哲(編)『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 Ⅱ』JTB、1998年、845頁。ISBN 978-4-533-02980-6 
  2. ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、223頁。doi:10.11501/1873236https://doi.org/10.11501/18732362022年12月10日閲覧 
  3. ^ a b c d e f 『国鉄全線各駅停車1 北海道690駅』小学館、1983年7月、60頁。 
  4. ^ a b c アイヌ語地名リスト ホロナ~モオ P121-130”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月26日閲覧。
  5. ^ 『官報』 1919年11月26日 鉄道院告示第107号(国立国会図書館デジタルコレクション)
  6. ^ a b 『全国保存鉄道III 東日本編』監修:白川淳、JTBパブリッシング、1998年11月、28頁。 
  7. ^ 本久公洋『北海道の鉄道廃線跡』北海道新聞社、2011年9月、13頁。 
  8. ^ 星良助『昭和30〜40年代 北海道の鉄路』北海道新聞社、2019年。 

関連項目[編集]