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川崎啓之介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
川崎 啓之介
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 大阪府
生年月日 (1934-08-05) 1934年8月5日(90歳)
身長
体重
173 cm
70 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 一塁手外野手
プロ入り 1955年
初出場 1955年
最終出場 1959年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川崎 啓之介(かわさき けいのすけ、1934年8月5日 - )は、大阪府[1]出身のプロ野球選手一塁手外野手)。

来歴・人物

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和歌山県立新宮高等学校では同期のエース杉本和喜代を擁し、中堅手として1952年夏の選手権に出場。1回戦で小坂佳隆斎田忠利を打の中心とする法政二高を1-0で降す。続く2回戦は、この大会に優勝した芦屋高植村義信に0-2で完封を喫する[2]。2年下のチームメイトに三塁手岡田守雄がいた。

杉本とともに明治大学に進むが中退[1]1955年中日ドラゴンズに入団[1]。1年目から主に代打として起用され、左翼手、一塁手としても6試合に先発出場。この年は3本塁打を記録しているが全て代打で打ったものだった[1]1956年は打率.282の好記録を残す。1957年西沢道夫の故障もあって6月後半から一塁手の定位置を獲得。42試合に先発し、うち25試合では四番打者をつとめた。その後は出場機会が減少、1959年限りで現役引退した。

詳細情報

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年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1955 中日 49 65 60 5 9 0 0 3 18 10 0 0 0 0 5 0 0 9 3 .150 .215 .300 .515
1956 54 82 78 1 22 7 0 0 29 8 0 0 0 0 3 0 1 16 1 .282 .317 .372 .689
1957 80 204 194 12 45 8 3 1 62 17 4 1 0 1 9 0 0 27 4 .232 .266 .320 .584
1958 42 69 65 1 10 2 0 0 12 1 0 1 2 0 2 0 0 7 0 .154 .179 .185 .364
1959 26 24 22 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 1 7 0 .091 .167 .136 .303
通算:5年 251 444 419 19 88 18 3 4 124 36 4 2 2 1 20 0 2 66 8 .210 .249 .296 .545

背番号

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  • 66(1955年)
  • 2(1956年)
  • 22(1957年 - 1959年)

脚注

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  1. ^ a b c d プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、170ページ
  2. ^ 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年

関連項目

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外部リンク

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