尾野実信
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尾野 実信 | |
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生誕 |
1865年12月2日 福岡県 |
死没 | 1946年4月19日(80歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1888年 - 1925年 |
最終階級 | 大将 |
墓所 | 多磨霊園 |
尾野 実信(おの みのぶ、1865年12月2日(慶応元年10月15日) - 1946年(昭和21年)4月19日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍大将。A級戦犯として絞首刑となった武藤章(陸軍中将)は娘婿。
経歴
[編集]福岡県(朝倉郡甘木)出身。黒田藩士尾野実治の長男として生れる。1888年(明治21年)7月、陸軍士官学校(旧10期)を卒業し、歩兵少尉に任官、歩兵第14連隊小隊長に就任した。1896年(明治29年)3月、陸軍大学校(10期)を首席で卒業した。日清戦争出征のため、陸大を一時中退し戦後に復校している。参謀本部員、ドイツ駐在、中部都督部参謀、大本営参謀などを歴任。
日露戦争では、満州軍参謀兼大山巌元帥副官として出征し、さらに満州軍総兵站監部参謀となった。参謀本部員兼大山元帥副官、陸軍省軍務局歩兵課長、ドイツ大使館付武官、歩兵第37連隊長、中清派遣隊司令官を経て、1912年(明治45年)3月、陸軍少将に進級し、歩兵第8旅団長、参謀本部第1部長、同総務部長を歴任。1916年(大正5年)8月、陸軍中将となり、第10師団長、第15師団長、教育総監部本部長、陸軍次官、兼航空部長を歴任。
1922年(大正11年)5月、陸軍大将となり、関東軍司令官、軍事参議官を勤め、1925年(大正14年)5月に予備役に編入。
栄典
[編集]- 位階
- 1905年(明治38年)4月7日 - 正六位[1]
- 1907年(明治40年)12月27日 - 従五位[2]
- 1912年(明治45年)5月10日 - 正五位[3]
- 1916年(大正5年)9月11日 - 従四位[4]
- 1918年(大正7年)10月10日 - 正四位[5]
- 1925年(大正14年)6月24日 - 正三位[6]
- 勲章等
- 1915年(大正4年)
- 1919年(大正8年)12月15日 - 戦捷記章[9]
- 1922年(大正11年)6月27日 - 勲一等瑞宝章[10]
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
脚注
[編集]- ^ 『官報』第6531号「叙任及辞令」1905年4月12日。
- ^ 『官報』第7352号「叙任及辞令」1907年12月28日。
- ^ 『官報』第8666号「叙任及辞令」1912年5月11日。
- ^ 『官報』第1236号「叙任及辞令」1916年9月12日。
- ^ 『官報』第1858号「叙任及辞令」1918年10月11日。
- ^ 『官報』第3888号「叙任及辞令」1925年8月8日。
- ^ 『官報』第822号「叙任及辞令」1915年5月1日。
- ^ 『官報』第1190号「叙任及辞令」1916年7月19日。
- ^ 『官報』第2903号「叙任及辞令」1922年4月10日。
- ^ 『官報』第2971号「叙任及辞令」1922年6月28日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
参考文献
[編集]- 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
- 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。