土岐頼潤
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明8年5月28日(1788年7月1日) |
死没 | 文政9年9月22日(1826年10月23日) |
改名 | 竜五郎(幼名)、阿部正直(初名)、土岐頼潤 |
別名 | 兵部(通称) |
墓所 | 東京都品川区北品川の東海寺春雨庵 |
官位 | 従五位下、山城守 |
幕府 | 江戸幕府奏者番 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 上野沼田藩主 |
氏族 | 阿部氏→土岐氏 |
父母 |
父:阿部正倫、母:不詳 養父:土岐頼布 |
兄弟 | 阿部正精、頼潤、定子、松平乗寛正室、稲葉正備正室、島、三浦毗次正室、板倉勝尚正室、土井利謙正室ら |
妻 | 有馬頼貴の娘・錘 |
子 |
頼寧、土岐頼功正室ら 養子:頼功 |
土岐 頼潤(とき よりみつ)は、上野国沼田藩の第8代藩主。沼田藩土岐家第11代。
生涯
[編集]天明8年(1788年)5月28日、備後福山藩主・阿部正倫の五男として江戸で生まれる。文化10年(1813年)3月19日、先代藩主の土岐頼布の養子となる。同年5月15日、11代将軍徳川家斉に拝謁する。同年7月8日、頼布の隠居により家督を継いだ。同年12月16日、従五位下・山城守に叙任する。文政6年(1823年)5月29日、奏者番となる。藩政では農村復興や「間引き禁止の触書」などを制定するなど改革を行ったが、効果はなかった。
文政9年(1826年)、39歳で死去し、跡を養嗣子の頼功が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
- 錘 - 有馬頼貴の娘
子女
養子