北方東口駅
表示
北方東口駅 | |
---|---|
ホーム跡(2015年11月。又丸駅方より) | |
きたがたひがしぐち KITAGATA HIGASHIGUCHI | |
◄又丸 (0.8 km) (0.6 km) 北方千歳町► | |
所在地 |
岐阜県本巣郡北方町 北緯35度26分21秒 東経136度41分35秒 / 北緯35.439300537109度 東経136.69302368164度 |
所属事業者 | 名古屋鉄道 |
所属路線 | 揖斐線 |
キロ程 | 5.1 km(忠節起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗降人員 -統計年度- |
1,148人/日 -1992年[1]- |
開業年月日 | 1914年(大正3年)3月29日 |
廃止年月日 | 2005年(平成17年)4月1日 |
北方東口駅(きたがたひがしぐちえき)は、岐阜県本巣郡北方町にあった名古屋鉄道揖斐線の駅。北方町で一番東の駅。
歴史
[編集]揖斐線が前身である岐北軽便鉄道の路線として開業した当初より存在する。開業時の駅名は森町駅(もりまちえき)であったが、1927年(昭和2年)頃に北方東口駅に改称された。揖斐線は2005年(平成17年)に全線が廃止され、これと同時に当駅も廃駅となっている。
- 1914年(大正3年)3月29日 - 岐北軽便鉄道の忠節駅 - 北方町駅(のちの美濃北方駅)間の開通と同時に森町駅として開業[2][3][4][5]。
- 1927年(昭和2年)頃 - 北方東口駅に改称[3][4]。
- 1948年(昭和23年)11月1日以前 - 無人化[6]。
- 2005年(平成17年)4月1日 - 揖斐線の忠節駅 - 黒野駅間の営業廃止により廃駅[4][5]。
資料によっては森町駅を当駅の旧称とせず、別の駅として扱うものがある[5]。その場合、当駅の開業年は1927年ごろとなる。
駅構造
[編集]配線図
[編集] ← 黒野方面 |
→ 忠節方面 |
|
凡例 出典:[8] |
利用状況
[編集]- 『名古屋鉄道百年史』によると1992年度当時の1日平均乗降人員は1,148人であり、この値は岐阜市内線均一運賃区間内各駅(岐阜市内線・田神線・美濃町線徹明町駅 - 琴塚駅間)を除く名鉄全駅(342駅)中213位、 揖斐線・谷汲線(24駅)中4位であった[1]。
駅周辺
[編集]北方町の市街地にあり、駅の南東には岐阜県立岐阜農林高等学校が立地している[9]。付近にはバス路線も通っており交通の便もよかったため、駅の利用者は比較的多かった[9]。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]- ^ a b 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、651-653頁。
- ^ 「軽便鉄道運輸開始」『官報』1914年4月9日(国立国会図書館デジタル化資料)
- ^ a b 『岐阜のチンチン電車 岐阜市内線と美濃町・揖斐・谷汲線の85年』郷土出版社、1997年、220-230頁。ISBN 4-87670-097-4。
- ^ a b c “岐阜線”各線停車場一覧 揖斐線、p.144。
- ^ a b c 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 7 東海、新潮社、2008年、52-53頁。ISBN 978-4-10-790025-8。
- ^ 名古屋鉄道広報宣伝部(編)『名古屋鉄道百年史』名古屋鉄道、1994年、881頁。
- ^ 廃線路線主要駅の今昔 揖斐線、p.96。
- ^ 電気車研究会、『鉄道ピクトリアル』通巻第473号 1986年12月 臨時増刊号 「特集 - 名古屋鉄道」、付図「名古屋鉄道路線略図」
- ^ a b 川島令三『全国鉄道事情大研究』 名古屋北部・岐阜篇 1、草思社、1997年、142頁。ISBN 4-7942-0796-4。
- ^ “日本鉄道旅行地図帳 追加・訂補一覧 7号 東海”. 鉄道フォーラム. 2016年6月11日閲覧。
参考文献
[編集]- 徳田耕一『名鉄600V線の廃線を歩く-惜別の“岐阜線”と空港線誕生』JTBパブリッシング〈JTBキャンブックス〉、2005年。ISBN 978-4-53305-883-7。