前田慧雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
前田慧雲

前田 慧雲恵雲、まえだ えうん、安政2年1月14日1855年3月2日) - 昭和5年(1930年4月29日)は、伊勢国桑名(現・三重県桑名市)出身の浄土真宗本願寺派の学僧(文学博士三重県初、東洋大学長、龍谷大学長)。含潤、止舟斎と号す。

略歴[編集]

桑名の西福寺に生まれ、大賀旭川佐藤牧山に漢文を、西山教校比叡山松島善譲仏教学を学んだ。

1888年に上京して大内青巒と共に尊皇奉仏を唱え、新欲主学問所の主事となる。東京大学講師をはじめとし、高輪仏教大学(明治37年)、東洋大学(明治39年)、龍谷大学(大正11年)の学長を歴任した。

1903年8月『大乗仏教史論』[1]を著して大乗非仏説を批判し、10月「本願寺教学私見」を発表し、本願寺派から一時除籍された(1905年復籍)[2]

1930年死去。墓所は東京都杉並区永福築地本願寺和田堀廟所

その人柄について高嶋米峰は「学の人であると同時に、徳の人であり、又、信仰の人であると共に趣味の人であつた。」と評した[3]

主編著[編集]

  • 『大日本続蔵経』
  • 『大乗仏教史論』
  • 『仏教今古変一斑』
  • 『天台宗綱要』
  • 『仏教人生観』
  • 『仏教思想講話』

関連文献[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 大乗仏教史論』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
  2. ^ 東洋大学創立百年史編纂委員会・東洋大学井上円了記念学術センター 『東洋大学百年史』 通史編Ⅰ、609-610頁
  3. ^ 高嶋米峰 『本願寺物語』 実業之日本社、1931年、411頁

外部リンク[編集]