佐賀市立諸富北小学校
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佐賀市立諸富北小学校 | |
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北緯33度14分04.6秒 東経130度21分23.5秒 / 北緯33.234611度 東経130.356528度座標: 北緯33度14分04.6秒 東経130度21分23.5秒 / 北緯33.234611度 東経130.356528度 | |
過去の名称 |
臨江小学校 諸富小学校 公立中等日躋[1]小学校 尋常日躋[1]小学校 東川副尋常小学校 東川副尋常高等小学校 東川副村国民学校 東川副村立東川副小学校 諸富町立諸富北小学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 佐賀市 |
併合学校 | 尋常明倫小学校 |
設立年月日 | 1874年(明治7年) |
共学・別学 | 男女共学 |
学期 | 3学期制 |
学校コード | B141220100205 |
所在地 | 〒840-2101 |
外部リンク | 公式サイト |
ウィキポータル 教育 ウィキプロジェクト 学校 |
佐賀市立諸富北小学校(さがしりつ もろどみきたしょうがっこう)は佐賀県佐賀市諸富町大字大堂にある公立小学校。
概要
[編集]- 歴史
- 1874年(明治7年)創立の小学校2校(日躋[1]・明倫)が1892年(明治25年)に統合。現校名になったのは2005年(平成17年)。2024年(令和6年)には創立150周年を迎えた。
- 校章
- 三角形を2つ組み合わせた六芒星のような図を背景にして、中央に校名の略称「諸北」の文字(縦書き)を配している。
- 校歌
- 1956年(昭和31年)制定。作詞は平達二、作曲は陶山聡による。歌詞は3番まであり、各番の歌詞中に校名の「諸富の北小学校」が登場する。
- 通学区域
- 佐賀市諸富町のうち、「大字大堂、大字徳富、大字諸富津」。中学校区は佐賀市立諸富中学校[2]。
沿革
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- 1874年(明治7年)6月 - 学制の頒布により、大字諸富に「臨江小学校」が創立。寺子屋や私塾に通学していた児童を収容。旧蓮池藩の鳥谷敬治が主席訓導となる。
- 1876年(明治9年)8月 - 大字諸富津にあった公会堂兼浴場を改築して校舎とし、「諸富小学校」に改称。同時に、大字大堂に校舎を建築し、諸富小学校の児童の半数を移して「大堂小学校」と命名。栗山延光が主席訓導となる。
- 1882年(明治15年)- 諸富小学校を下大津に移転して「公立中等日躋[1]小学校」に、大堂小学校を大堂新村に移転して「公立中等明倫小学校」に改称。
- 1886年(明治19年)- 小学校令施行により、尋常科(4年制)を設置の上、「尋常日躋[1]小学校」・「尋常明倫小学校」に改称。
- 1889年(明治22年)
- 1892年(明治25年)5月 - 上記2校(日躋[1]・明倫)を統合の上、「東川副尋常小学校」に改称。高等川副小学校は「川副高等小学校」に改称。
- 1908年(明治41年)
- 4月 - 改正小学校令により、尋常科(義務教育)が4年制から6年制に変更となり、尋常科5年を新設。校舎不足で、大中島分教場を設置。川副高等小学校は2年制となる。
- 8月 - 校舎3棟を増築。
- 1909年(明治42年)4月 - 尋常科6年を新設。村内各地区に職員(小学校訓導)を派遣し、昼間は労働で多忙な青年へ夜間に青年会場(公民館)に集め、補習教育を開始(夜学校の始まり)。
- 1914年(大正3年)
- 4月 - 第4校舎を増築。
- 10月 - 夜学校において、青年への補習教育の方式を、小学校訓導を各地区へ派遣する方式から、青年を小学校に集める方式に変更する。
- 1916年(大正5年)4月 - 川副高等小学校の廃止に伴い、高等科(2年制)を併置の上、「東川副尋常高等小学校」に改称。
- 1917年(大正6年)11月 - 第5校舎を増築。
- 1918年(大正7年)10月 - 夜学校を「東川副農業補習学校」とする。
- 1919年(大正8年)10月 - 大中島分教場を改築。
- 1920年(大正9年)9月 - 農業補習学校が、工業部を特設の上、「東川副実業補習学校」に改称。
- 1921年(大正10年)10月 - 実業補習学校に商業部が併置される。
- 1922年(大正11年)7月 - 1教室を増築。
- 1923年(大正12年)4月 - 実業補習学校に女子部が設置される。
- 1926年(大正15年)7月 - 実業補習学校が青年訓練所充当となる。
- 1933年(昭和8年)3月 - 奉安殿が完成。
- 1935年(昭和10年)
- 1941年(昭和16年)4月 - 国民学校令施行により、「東川副村国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める。
- 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革が行われる。
- 東川副村国民学校の初等科は、新制小学校「東川副村立東川副小学校」に改組・改称。
- 東川副村国民学校の高等科は、青年学校普通科とともに、新制中学校「東川副村立東川副中学校」に改組・改称。小学校に併設される。
- 1948年(昭和23年)3月31日 - 青年学校が廃止される。
- 1952年(昭和27年)3月 - 運動場を東方に拡張。
- 1953年(昭和28年)6月26日 - 連続豪雨のため、校舎が床上浸水。7月1日まで臨時休業とする。
- 1955年(昭和30年)3月1日 - 2村(東川副・新北)合併により諸富町が発足。「諸富町立諸富北小学校」・「諸富町立諸富北中学校」に改称。
- 1956年(昭和31年)
- 3月31日 - 大中島分教場を廃止。
- 5月 - 校旗・校歌を制定。
- 1958年(昭和33年)9月 - 1教室を増築。
- 1962年(昭和37年)4月 - 諸富町立諸富中学校への統合により、諸富町立諸富北中学校が廃止される。ただし、中学統合校舎が完成するまでの間、「北校舎」として存続。
- 1963年(昭和38年)
- 10月 - 中学統合校舎の完成により、北校舎が廃止の上、小学校に移管される。
- 11月 - 移管された旧中学校舎(北校舎)に特別教室を設置。
- 1964年(昭和39年)
- 1969年(昭和44年)6月 - 鉄筋コンクリート造3階建て校舎が完成し、移転を完了。
- 1971年(昭和46年)3月 - 旧講堂を解体の上、体育館が完成。
- 1974年(昭和49年)11月 - 創立100周年記念式典を挙行。
- 1978年(昭和53年)9月 - 運動場に総合遊具が完成。
- 1982年(昭和57年)2月 - 校地を拡張。
- 1983年(昭和58年)3月 - 増築校舎が完成。
- 2005年(平成17年)10月1日 - 合併により、「佐賀市立諸富北小学校」(現校名)に改称。
交通
[編集]- 最寄りの鉄道駅
- 最寄りの幹線道路
- 佐賀県道48号佐賀外環状線 「諸富北小学校南」交差点