若葉山強
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(伊藤強 (競輪選手)から転送)
若葉山 強(わかばやま つよし、1946年11月7日 - )は、山形県最上郡(現在の新庄市)出身で時津風部屋所属の元大相撲力士、日本競輪選手会神奈川県支部所属の元A級競輪選手。大相撲時代は身長183cm、体重91kg。本名は伊藤 強(いとう つよし)。最高位は西十両5枚目(1967年1月場所)。得意手は左四つ、押し[1]。
来歴
[編集]大相撲時代
[編集]時津風部屋に入門して、1962年7月場所に本名の伊藤の四股名で初土俵を踏んだ。翌9月場所から伊藤川(いとうがわ)に四股名を改めるとともに7戦全勝で序ノ口優勝を飾った。その後は日の出の勢いで番付を上げていき、1963年9月場所は16歳の若さで早くも幕下に昇進し、7戦全勝で優勝同点の好成績を残した。1964年11月場所には7戦全勝で幕下優勝を飾った。翌1965年1月場所には18歳1ヶ月の若さで十両昇進を果たし、戦後生まれの力士として初の関取となった。しかし、1967年5月場所に幕下に陥落すると、不振に陥って番付を下げていき、1968年1月場所限りで21歳で廃業した。
競輪時代
[編集]大相撲廃業後は競輪に転向し、日本競輪学校第28期生(登録は日本競輪選手会神奈川支部、登録番号は8364)として1971年2月14日、川崎競輪場でデビューし2着。初勝利は同年翌2月15日。追い込みを主体とした走法で、2層7班制(A級1~5班、B級1~2班)時代にあっては、最高A級2班にランクされた。2002年7月31日に選手登録削除され引退。通算戦績2738戦221勝。
主な成績
[編集]大相撲時代
[編集]- 通算成績:171勝170敗2休 勝率.501
- 十両成績:100勝108敗2休 勝率.481
- 現役在位:34場所
- 十両在位:14場所
- 各段優勝
- 幕下優勝:1回(1964年11月場所)
- 序ノ口優勝:1回(1962年9月場所)
場所別成績
[編集]一月場所 初場所(東京) |
三月場所 春場所(大阪) |
五月場所 夏場所(東京) |
七月場所 名古屋場所(愛知) |
九月場所 秋場所(東京) |
十一月場所 九州場所(福岡) |
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1962年 (昭和37年) |
x | x | x | (前相撲) | 東序ノ口15枚目 優勝 7–0 |
西序二段21枚目 5–2 |
1963年 (昭和38年) |
西三段目79枚目 5–2 |
東三段目35枚目 2–5 |
西三段目62枚目 6–1 |
西三段目14枚目 4–3 |
東幕下98枚目 7–0 |
東幕下7枚目 2–5 |
1964年 (昭和39年) |
西幕下17枚目 2–5 |
西幕下25枚目 4–3 |
西幕下21枚目 2–5 |
西幕下31枚目 3–4 |
東幕下35枚目 3–4 |
東幕下40枚目 優勝 7–0 |
1965年 (昭和40年) |
西十両18枚目 9–6 |
東十両12枚目 7–8 |
東十両13枚目 8–7 |
東十両9枚目 6–9 |
西十両12枚目 7–6–2[2] |
東十両13枚目 9–6 |
1966年 (昭和41年) |
西十両7枚目 5–10 |
東十両13枚目 9–6 |
東十両7枚目 6–9 |
東十両10枚目 7–8 |
東十両12枚目 7–8 |
西十両12枚目 8–7 |
1967年 (昭和42年) |
西十両5枚目 5–10 |
西十両8枚目 7–8 |
西幕下2枚目 1–6 |
西幕下10枚目 5–2 |
東幕下4枚目 1–6 |
西幕下19枚目 2–5 |
1968年 (昭和43年) |
西幕下33枚目 引退 3–4–0 |
x | x | x | x | x |
各欄の数字は、「勝ち-負け-休場」を示す。 優勝 引退 休場 十両 幕下 三賞:敢=敢闘賞、殊=殊勲賞、技=技能賞 その他:★=金星 番付階級:幕内 - 十両 - 幕下 - 三段目 - 序二段 - 序ノ口 幕内序列:横綱 - 大関 - 関脇 - 小結 - 前頭(「#数字」は各位内の序列) |
改名歴
[編集]- 伊藤 強(いとう つよし)1962年7月場所
- 伊藤川 強(いとうがわ - )1962年9月場所 - 1966年5月場所
- 若葉山 強(わかばやま - )1966年7月場所 - 1968年1月場所
出典
[編集]- ^ 相撲人名鑑(若葉山 強)
- ^ 左足舟状骨亀裂により10日目から途中休場、13日目から再出場