井上三郎
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井上 三郎 | |
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生誕 | 1887年2月6日 |
死没 | 1959年6月4日(72歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1905 - 1934 |
最終階級 | 陸軍少将 |
指揮 | 近衛野砲連隊大隊長 |
勲章 | ドイツ鷲勲章功労十字星章 |
除隊後 | 貴族院議員 |
井上 三郎(いのうえ さぶろう、1887年(明治20年)2月6日 - 1959年(昭和34年)6月4日)は、日本陸軍の軍人、最終階級は陸軍少将。貴族院議員。侯爵。桂太郎の三男。井上馨は義理の祖父に当たる。
経歴
[編集]- 1887年、公爵桂太郎の三男として生まれる。後に侯爵井上勝之助の養子となる。
- 陸軍中央幼年学校予科・同本科を経て、陸軍士官学校に入校。
- 1905年11月、同校を卒業。
- 1906年6月、陸軍砲兵少尉、野砲兵第15連隊附。
- 1908年1月、野砲兵第14連隊附。
- 1909年4月、陸軍中尉。
- 1910年11月、陸軍砲工学校高等科(16期)を卒業。
- 1911年6月、参謀本部附。
- 1913年12月、陸軍大学校に入校。
- 1916年4月、陸軍大尉。11月、同校を卒業。12月、野砲兵第14連隊中隊長。
- 1917年8月、陸軍省軍務局附。
- 1918年6月、軍務局課員として軍事課に勤務。
- 1919年1月から1920年3月、大蔵省に派遣。その間補職。
- 1920年12月、近衛野砲連隊附。
- 1920年3月、ヨーロッパへ私費留学。
- 1921年7月、陸軍少佐。
- 1923年7月、帰朝。8月、近衛野砲連隊大隊長。
- 1924年8月、参謀本部員。
- 1926年3月、陸軍中佐。
- 1927年7月、陸軍兵器本廠附。実際の仕事は新設された陸軍省調査班長で、外国の軍事事情調査を任務とした。
- 1929年8月、陸軍大佐、陸軍科学研究所員。12月、侯爵、貴族院議員。
- 1931年8月、陸軍省整備局動員課長。
- 1933年8月、陸軍技術本部員。
- 1934年8月、陸軍少将。待命、予備役編入。
- 1946年、公職追放となる[1]。
栄典
[編集]- 位階
- 外国勲章佩用允許
家族
[編集]- 養祖父・義父:井上馨
- 養父:井上勝之助 - 井上馨の甥で養嗣子
- 養母:井上末子 - 井上馨の姪
- 実父:桂太郎
- 実母:宍道貞子
- 妻:井上千代子(1899年 - 1931年) - 井上馨の三女(庶子、生母井上てつ)、勝之助の養女、従妹[5]。1931年に33歳で没
- 長男:井上光貞(1917年 - 1983年) - 東京大学国史科教授、妻明子は二荒芳徳三女。
- 二男:井上元勝(1918年 - 1993年[6]) - 武道家
- 三男:井上元広(1918年12月2日 - 1977年8月21日[6])
- 長女:馬越武子 - 馬越恭平の孫・恭一に嫁ぐ[7]
脚注・出典
[編集]参考文献
[編集]- 『昭和人名辞典 第1巻 東京編』 日本図書センター、1987年(昭和62年)10月5日発行、ISBN 4-8205-0693-5
- 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成』上巻、霞会館、1996年。
- 『朝日年鑑』昭和22年版、朝日新聞社、1947年。
日本の爵位 | ||
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先代 井上勝之助 |
侯爵 井上(馨)家第3代 1929年 - 1947年 |
次代 華族制度廃止 |