岡部直三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
岡部 直三郎
生誕 1887年9月30日
日本の旗 日本 広島県 広島市
死没 (1946-11-23) 1946年11月23日(59歳没)
中国 上海
所属組織 大日本帝国陸軍の旗 大日本帝国陸軍
軍歴 1909 - 1945
最終階級 陸軍大将
テンプレートを表示

岡部 直三郎(おかべ なおざぶろう、1887年9月30日 - 1946年11月23日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍大将北支那方面軍総司令官、第3方面軍司令官、第6方面軍司令官。

経歴[編集]

広島県広島市袋町(現中区袋町)生まれ。1899年崇徳中学校卒業後、広島陸軍地方幼年学校入学。陸軍中央幼年学校陸軍士官学校(18期)と進み、陸軍大学校(27期)卒業。士官候補生18期の同期は山下奉文阿南惟幾ら。大学校卒業後、1918年ハバロフスク特務機関大尉)、1922年ポーランド公使館附武官(少佐)。この時ポーランド参謀本部から帝國陸海軍への近代的暗号技術導入を手引きした。1930年、野戦砲兵第一聯隊長(大佐)、1932年上海派遣軍高級参謀就任。同年に参謀本部演習課長。1934年陸軍少将に昇進し、陸軍大学校研究部主事、1935年、陸軍大学校幹事。陸軍大学校教官として高等兵学を研究、教授し多くの人材を育成した。

日中戦争の始まりで北支那方面軍が新設されたことにより1937年に方面軍の参謀長に就任して、軍司令官・寺内寿一大将を補佐し河北山西山東での作戦立案の中心となる。1937年陸軍中将1938年徐州作戦を指導し第1師団長へ転補、1939年駐蒙軍司令官を経て内地へ戻った。1940年、功により勲一等旭日大綬章功二級金鵄勲章を受章。同年陸軍技術本部長、1942年軍事参議官陸軍大学校校長就任。1943年陸軍大将。戦局の切迫で関東軍隷下に新設された第3方面軍司令官として第4軍第6軍をその隷下に置き、第2方面軍が南方に転用された後を引き継いだ。ついで1944年、北支方面軍司令官、湘桂作戦統帥にあたるため第6方面軍司令官として転補され漢口で終戦を迎えた。戦後、戦犯容疑者として勾留され、1946年上海で病死した。

人格[編集]

岡部が陸大幹事(副校長格)時の在学生であった高山信武によれば、岡部は寡言黙考、沈着冷静の将軍であり、その一言一語には千鈞の重みが感じられたという。

教授する戦術思想は堅実で、孫子を引用し、不敗の態勢を整えてから勝利を考えるよう教えていたことから、当時の陸大校長で積極攻勢思想を持論としていた小畑敏四郎と比較されたという。

また、高山らが卒業した昭和10年(47期)陸大卒業式においては、フリードリッヒ大王ナポレオンを引き合いに出し、わが日本軍隊を統率するのは(ナポレオンらのような)権力や利益によるものでも、威嚇によるものでもなく、天皇の御稜威(みいず)のもと委任され統率するのであって、道義と責任感をもって部下を指導しなければならないと学生に講演し諭したという。[1]

書籍[編集]

  • 『岡部直三郎大将の日記』、芙蓉書房、1982年3月

脚注[編集]

  1. ^ 上法快男編、高山信武著、『続・陸軍大学校』芙蓉書房 1978年

参考文献[編集]

  • 『日本陸海軍人名辞典』、芙蓉書房、1999年12月
  • 上法快男編、高山信武著、『続・陸軍大学校』芙蓉書房 1978年

外部リンク[編集]