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上野セントラル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
上野セントラル
Ueno Central

上野セントラルがあった上野松竹デパート
(写真左側のビル。2008年7月撮影)
情報
正式名称 上野セントラル
旧名称 上野松竹、上野映画劇場、上野名画座
完成 1953年
開館 1953年11月
閉館 2006年5月14日
収容人員 (4館合計)892人
設備 ドルビーステレオ
用途 映画上映
運営 松竹第一興行株式会社

株式会社松竹シネプラッツ[1]
所在地 110-0007
東京都台東区上野公園1-54
上野松竹デパート内
アクセス JR上野駅西郷口よりすぐ
京成上野駅正面口より徒歩1分
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上野セントラル(うえのセントラル)は、東京都台東区上野に存在した映画館

略歴・概要

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上野公園内にあった商業施設「上野松竹デパート」の2階に1953年11月「上野松竹映画劇場」として開業。その後地下1階に「上野映画劇場」「上野名画座」を、2階の松竹映画劇場の隣にミニシアター「上野セントラル」を相次いで新設した。俳優の戸浦六宏(1930年 - 1993年)の息子で編集者・AV監督東良美季は、大学時代に当館でアルバイトをしていたことを自身のブログで語っている[2]

1998年8月1日に上野映画劇場、名画座、セントラルを「上野セントラル1・2・3」に統一しリニューアルしたが、松竹のブロック・ブッキング制の廃止により1999年6月12日に上野松竹映画劇場を「上野セントラル1」に、セントラル1・2・3を「セントラル2・3・4」に改称した。

2003年8月31日上野東宝劇場・上野宝塚劇場が閉館して以降は、東宝系の邦画・洋画の上映も目立つようになるも2000年代に入り、楽天地シネマズ錦糸町やMOVIX亀有などの近隣地域にあるシネマコンプレックスに徐々に客足を奪われ、さらに施設の老朽化が進んだことなども重なり2006年5月14日[3]をもって閉館。53年の歴史に幕を閉じた。

同館閉館後も上野松竹デパートは営業を続けていたが、2012年8月31日に閉店。上野松竹デパートの建物は再開発の為に2012年末に解体され、2014年4月26日、跡地に飲食施設ビル「上野の森さくらテラス」がオープンした[4]

各スクリーンの特徴

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  • セントラル1(2階)
    定員619人(2階席あり)。開業当初は「上野松竹映画劇場」だった松竹封切館。末期は『ハリー・ポッターと賢者の石』『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなど洋画の大作・話題作の上映が目立った。
  • セントラル2(地下1階)
    定員105人。開業当初は「上野映画劇場」。近隣の上野日活館の閉鎖以降は日活封切館となり、日活ロマンポルノを中心に上映。改称後はやや特徴のある洋画・邦画を上映していた。
  • セントラル3(地下1階)
    定員105人。開業当初は「上野名画座」だった映画館。東活(事実上の松竹系)系のピンク映画を中心に上映していたが、末期にはセントラル2同様やや特徴のある洋画・邦画を上映した。
  • セントラル4(2階)
    定員63人。当初は邦・洋問わずピンク映画をメインに上映していたが、平成に入ってからはムーブオーバー作品の上映が目立ち、末期はセントラル2・3同様洋画と邦画のロードショー上映館となっていた。

脚注

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  1. ^ 子会社の解散に関するお知らせ (PDF) - 松竹株式会社、2006年6月12日、2015年9月22日閲覧。
  2. ^ 東良美季 (2012年9月30日). “映画館が僕の学校だった”. 毎日jogjog日誌. エキサイトブログ. 2015年1月22日閲覧。
  3. ^ 同日には同じ松竹第一興行経営の「新宿松竹会館」が改築により閉館している(その後2008年7月19日にシネコンとして再オープン)。
  4. ^ 飲食総合ビル「上野の森さくらテラス」4月26日オープン』(PDF)(プレスリリース)三菱地所グループ、2014年3月5日http://www.mec.co.jp/j/news/archives/mec140305_uenosakuraterrace.pdf2014年11月17日閲覧 

外部リンク

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