コンテンツにスキップ

ロベール2世 (ブルゴーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ロベール2世
Robert II
ブルゴーニュ公
ロベール2世のシール
在位 1271年 - 1306年

出生 1248年
死去 1306年3月21日
フランス王国ヴェルノン
配偶者 アニェス・ド・フランス
子女 ブランシュ
マルグリット
ジャンヌ
ユーグ5世
ウード4世
ルイ
マリー
ロベール
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ユーグ4世
母親 ヨランド・ド・ドルー
テンプレートを表示

ロベール2世フランス語Robert II, 1248年 - 1306年3月21日)は、ブルゴーニュ公(在位:1271年 - 1306年)。ユーグ4世とその妃であったドルー伯ロベール3世の娘ヨランド・ド・ドルーの三男[1]

生涯

[編集]

ユーグ4世よりも先に2人の兄が没していたため、1271年に父の死去により公位を嗣いだ。

1279年フランスルイ9世の末娘アニェスと結婚し[2] 、5男5女をもうけた。息子たちへ領土を分配し、娘に対しても結婚持参金として与えたため、ブルゴーニュ公の領地は減少した。

1284年、ロベール2世はドイツ王ルドルフ1世よりドーフィネ公領に対する権限を与えられた[5]。これによりフランスとの間出2年間戦争が続き、最終的にフランス王フィリップ4世はロベール2世にドーフィネに対する要求を放棄させるために、ロベール2世に2万リーブル・トゥルノワを支払った[5]

ロベール2世はロベール1世の命日である3月21日に死去した。公位は次男のユーグ5世が嗣いだ。

脚注

[編集]
  1. ^ a b Bubenicek 2002, p. 54-55.
  2. ^ Echols & Williams 1992, p. 19.
  3. ^ a b George 1875, table XXVIII.
  4. ^ a b c Topping 1975, p. 109.
  5. ^ a b Cox 1999, p. 371.

参考文献

[編集]
  • Bubenicek, Michelle (2002). Quand les femmes gouvernent: droit et politique au XIVe siècle:Yolande de Flandre, Droit et politique au XIV siecle. Ecole des Chartes 
  • Cox, Eugene (1999). “The kingdom of Burgundy, the lands of the house of Savoy and adjacent territories”. The New Cambridge Medieval History: Volume 5, C.1198-c.1300. Cambridge University Press 
  • Echols, Anne; Williams, Marty (1992). An Annotated Index of Medieval Women. Marcus Weiner Publishing Inc. 
  • Topping, Peter (1975). “The Morea, 1311-1460”. In Hazard, Harry W.. A History of the Crusades: The Fourteenth and Fifteenth Centuries. III. The University of Wisconsin Press 
  • George, Hereford Brooke (1875). Genealogical Tables Illustrative of Modern History. Oxford Clarendon Press 
先代
ユーグ4世
ブルゴーニュ公
1271年 - 1306年
次代
ユーグ5世