コンテンツにスキップ

ユーグ4世 (ブルゴーニュ公)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ユーグ4世
Hugues IV
ブルゴーニュ公
ユーグ4世のシール
在位 1218年 - 1271年

出生 (1213-03-09) 1213年3月9日
ブルゴーニュ公領、ヴィレンヌ=アン=デューモワ
死去 (1271-10-27) 1271年10月27日(58歳没)
ブルゴーニュ公領、ヴィレンヌ=アン=デューモワ
埋葬 ブルゴーニュ公領、サン=ニコラ=レ=シトー、シトー修道院
配偶者 ヨランド・ド・ドルー
  ベアトリス・ド・ナヴァール
子女 一覧参照
家名 ブルゴーニュ家
父親 ブルゴーニュ公ウード3世
母親 アリックス・ド・ヴェルジー
テンプレートを表示

ユーグ4世フランス語Hugues IV, 1213年3月9日 - 1271年10月27日)は、ブルゴーニュ公(在位:1218年 - 1271年)。ウード3世とその2番目の妃アリックス・ド・ヴェルジーの息子[1]

生涯

[編集]

1218年に父の死去により公位を嗣いだ。

1237年、ユーグ4世はシャロン伯ジャン1世と取引し、自身のサロン男爵領とジャン1世のシャロン伯領およびオーソンヌ(Auxonne)伯領を交換した。これによりブルゴーニュ公領は拡大し[2]、ワイン貿易により経済的な利益を得た。

1239年、ユーグ4世はナバラ王テオバルド1世が率い、神聖ローマ皇帝フリードリヒ2世 が支援したバロン十字軍英語版に参加した[3]。ブルゴーニュ軍はコーンウォール伯リチャードと同盟を結んでアシュケロンを再建し、1241年にエジプトと和平交渉を行った[4]。ユーグ4世は1266年にテッサロニキ王国の名目上の王とされたが[5]、王国はすでに40年以上前にエピロス専制侯国により奪還されていた。

ユーグ4世は1271年10月27日にヴィレンヌ=アン=デューモワにおいて60歳で死去した。

子女

[編集]

16歳のときに、17歳であったドルー伯ロベール3世の娘ヨランドと結婚し[6]、以下の子女をもうけた。

45歳のときにナバラ王テオバルド1世の王女ベアトリスと再婚し[8]、以下の子女をもうけた。

  • ベアトリス(1260年 - 1328年) - ラ・マルシュ伯ユーグ13世・ド・リュジニャンと結婚
  • ユーグ(1260年 - 1288年) - モンレアル領主、アヴァロン子爵。シャロン伯ジャン1世の娘マルグリットと結婚。
  • マルグリット(? - 1300年以降) - アルレ領主ジャン1世・ド・シャロン=アルレ(アンスカリ家)と結婚[9]
  • ジャンヌ(? - 1295年) - 修道女
  • イザベル(イザベラ、エリザベート)(1270年 - 1323年) - ローマ王ルドルフ1世の2番目の妃[9]

脚注

[編集]
  1. ^ Setton 1976, p. 492.
  2. ^ Cox 1999, p. 362.
  3. ^ Bradbury 2007, p. 210.
  4. ^ Richard 1999, pp. 325–327.
  5. ^ Topping 1975, p. 109.
  6. ^ Lower 2005, p. 97.
  7. ^ a b Du Chesne 1628, pp. 79–80.
  8. ^ Evergates 2011, p. 80.
  9. ^ a b Funck-Brentano 1888, p. 9.

参考文献

[編集]
  • Setton, Kenneth M (1976). The Papacy and the Levant (1204–1571), Volume I: The Thirteenth and Fourteenth Centuries. 1. Philadelphia: The American Philosophical Society. ISBN 0-87169-114-0 
  • Cox, Eugene (1999). “The kingdom of Burgundy, the lands of the house of Savoy and adjacent territories”. In Abulafia, David. The New Cambridge Medieval History, Volume 5, c.1198–c.1300. Cambridge: Cambridge University Press. ISBN 9781139055734 
  • Bradbury, Jim (2007). The Capetians: The History of a Dynasty. Bloomsbury Publishing 
  • Richard, Jean (1999). The Crusades, C.1071-c.1291. Cambridge University Press 
  • Topping, Peter (1975). “The Morea, 1364–1460”. In Setton, Kenneth M.; Hazard, Harry W. A History of the Crusades, Volume III: The Fourteenth and Fifteenth Centuries. Madison and London: University of Wisconsin Press. ISBN 0-299-06670-3 
  • Lower, Michael (2005). The Barons' Crusade: A Call to Arms and Its Consequences. University of Pennsylvania Press 
  • Du Chesne, A (1628). Histoire géneálogique des ducs de Bourgogne de la maison de France. Paris: Preuves 
  • Evergates, Theodore (2011). Aristocratic Women in Medieval France. University of Pennsylvania Press 
  • Funck-Brentano, Frantz (1888). “Philippe Le Bel et la Noblesse Franc-Comtoise”. Bibliothèque de l’École des chartes 49: 9. 
先代
ウード3世
ブルゴーニュ公
1218年 - 1271年
次代
ロベール2世