マーティンエアー
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設立 | 1958年5月24日 | |||
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ハブ空港 | オランダ アムステルダム・スキポール空港 | |||
親会社 | エールフランス‐KLM | |||
保有機材数 | 1 | |||
就航地 | 15 | |||
本拠地 | オランダ アムステルダム | |||
外部リンク | http://www.martinair.com/ |
マーティンエアーまたはマーチンエアー(蘭 Martinair)とは、オランダのアムステルダムを本拠とするエールフランス‐KLM傘下の貨物航空会社。本拠地はアムステルダムのアムステルダム・スキポール空港。
歴史
[編集]1958年5月24日に、J・マーティン・シュレーダー(J. Martin Schröder)により設立された1機の航空機と5名の社員からなるMartin's Air Charter (MAC)が、マーティンエアーの前身である。1963年にシュレーダーは会社の株式の49%を、均等に分割した上で4社に売却した(これらの4社は後にネドロイド(Nedlloyd)1社に合併)。さらにシュレーダーが保有していた50%超の株式も、後にKLMオランダ航空が買い取った。1966年には会社名をマーティンエアー・ホラントと変更し、米国便の運航が許可された1967年に会社は大きく成長した。1971年には保有機材の全てがジェット機となった。
1991年にはマーティンエアー・カーゴのサービスを開始するとともに、社名からホラントを取りマーティンエアーとした。1996年にはコロンビアのタンパ・カーゴ(Tampa Cargo)の株式の40%を取得した。1995年には、経営者のマーティン・シュレーダーが、民間航空業界に対する貢献が認められTony Jannus Awardを受賞した。彼は1998年に常勤役員から引退している。同年、欧州委員会はKLMがネドロイドから残りの株式を購入する申請を却下し、完全子会社化を否定した。2003年にはタンパ・カーゴの株式を買い増して保有率58%の主要株主となった。
2007年6月22日、マーティンエアーはKLMによる完全買収を望んでいる旨を公表した。2007年11月には貨物便と長距離国際便を除いて、短距離便全てを運休した。2008年2月には保有していたタンパ・カーゴの全ての株式をコロンビアのアビアンカ航空に売却した。2008年12月17日、欧州委員会より同年末のKLMによる完全買収が認められた旨を発表した。2009年2月5日、KLMは共に子会社であるマーティンエアーとトランサヴィアのブランドをKLMブランドに統一する計画があることを発表した。マーティンエアーの旅客便は2011年11月1日をもって運航が終了し、旅客便はKLMブランドに統一された[1]。以降はマーティンエアー・カーゴのみ運航している。
運用機材
[編集]保有機材
[編集]2023年現在
- ボーイング747-400BCFx1
- ボーイング747-400ERFx3(KLM保有、KLM CARGO塗装、マーティンエアー運用)
エールフランス-KLMグループ発注しているA350Fx4機をマーティンエアーで2026年以降導入、既存747貨物機と置き換える予定。
引退機材
[編集]歴史的にKLM中古機を多数運用している。
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マーティンエアー・ビレッジスクールのTB-10
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マーティンエアーのコンベア440
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マーティンエアーのマクドネル・ダグラスDC-9
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マーティンエアーのエアバスA320
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マーティンエアーのボーイング757
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B767-300ER PH-MCH
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マクドネル・ダグラス MD-11
就航都市
[編集]マーティンエアー 就航都市 (2018年7月現在) | ||||
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国 | 都市 | 空港 | 備考 | |
ヨーロッパ | ||||
オランダ | アムステルダム | アムステルダム・スキポール空港 | ハブ空港 | |
イギリス | ロンドン | ロンドン・スタンステッド空港 | ||
アフリカ | ||||
エジプト | カイロ | カイロ国際空港 | ||
ケニア | ナイロビ | ジョモ・ケニヤッタ国際空港 | 焦点都市 | |
南アフリカ共和国 | ヨハネスブルグ | ヨハネスブルグ国際空港 | ||
タンザニア | ダルエスサラーム | ジュリウス・ニエレレ国際空港 | ||
ジンバブエ | ハラレ | ハラレ国際空港 | ||
中央アメリカ | ||||
グアテマラ | グアテマラシティ | ラ・アウロラ国際空港 | ||
北アメリカ | ||||
アメリカ合衆国 | マイアミ | マイアミ国際空港 | 焦点都市 | |
南アメリカ | ||||
アルゼンチン | ブエノスアイレス | エセイサ国際空港 | ||
ブラジル | サンパウロ | ヴィラコッポス国際空港 | 南米基点 | |
ペルー | リマ | ホルヘ・チャベス国際空港 | ||
チリ | サンティアゴ・デ・チレ | アルトゥーロ・メリノ・ベニテス国際空港 | ||
コロンビア | ボゴタ | エルドラド国際空港 | ||
エクアドル | キト | マリスカル・スクレ国際空港 | ||
休・廃止路線 | ||||
メキシコ | カンクン | カンクン国際空港 | 旅客便 | |
オランダ領アンティル | キュラソー | ハト国際空港 | 旅客便 | |
キューバ | ハバナ | ホセ・マルティ国際空港 | 旅客便 | |
アルバ | オラニエスタッド | ベアトリクス女王国際空港 | 旅客便 | |
スリナム | パラマリボ | ヨハン・ペンヘル国際空港 | 旅客便 |
航空事故
[編集]- 1974年12月4日22時15分UTC頃:マーティンエアー138便(DC-8-55CF型機、機体番号PH-MBH)がスリランカのコロンボ空港に着陸進入中に、40マイル東の山に墜落し、乗員乗客191名全員が死亡[2]。
- 1992年12月22日7時33分UTC頃:マーティンエアー495便(DC-10-30CF型機、機体番号PH-MBN)がポルトガルのファロ空港への着陸に失敗し、滑走路から逸脱し大破。右翼の燃料タンクから出火した。乗客乗員340名のうち56名が死亡。
脚注
[編集]- ^ “フライング・ブルー、2011年11月でマーティンエアーと提携終了”. Flyteam. (2011年7月3日)
- ^ ASN Aviation Safety Database http://aviation-safety.net/database/operator/airline.php?var=5700