ヘレスCD
ヘレスCD | ||||
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原語表記 | Xerez Club Deportivo S.A.D. | |||
愛称 | Xerecistas, La bulería mecánica | |||
クラブカラー | 青 | |||
創設年 | 1947年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | テルセーラ・ディビシオン | |||
ホームタウン | ヘレス・デ・ラ・フロンテーラ | |||
ホームスタジアム | ムニシパル・デ・チャピン | |||
収容人数 | 20,523人 | |||
代表者 | フアン・ルイス・ヒル | |||
監督 | フアン・カルロス・ゴメス・ディアス | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ヘレスCD SAD(Xerez Club Deportivo S. A. D.)は、スペイン・アンダルシア州カディス県ヘレス・デ・ラ・フロンテーラを本拠地としているサッカークラブ。2019-20シーズンはテルセーラ・ディビシオン(4部)に所属している。
1975年のリザーブチームとしてヘレスCD Bが設立された。カテゴリアス・レヒオナレス(5部以下相当)に所属している。
歴史
[編集]黎明期から戦後
[編集]20世紀初頭、ウィリアム&ハンバート・ワイナリーで働いていたトーマス・スペンサーがソシエダ・ヘレスFBC(Sociedad Jerez Foot-Ball Club)を設立し、スペンサーが選手(キャプテン)兼会長に就任。このクラブは1946年まで存在したが、1947年にCDヘレス(Club Deportivo Jerez)と合併してヘレスCD(Jerez Club Deportivo)に落ちつき、1960年に現行のヘレスCD(Xerez Club Deportivo、綴り違い)に改名した。1953-54シーズンにはクラブ史上初めてセグンダ・ディビシオン(2部)に参戦し、5シーズンの間セグンダでプレーした。1940年代にはピッチ上で昇格の資格を得る成績を残したが、フランコ政権下の「国家の強い関心」によってエスパーニャ・デ・タンヘルFCにその座を奪われたことがあった[1]。
セグンダ定着とトップリーグ昇格
[編集]1988年7月10日、新スタジアムのエスタディオ・ムニシパル・デ・チャピンが完成したため、エスタディオ・ドメクからホームスタジアムを変更し、レアル・マドリードとの間で落成記念親善試合が行われた。セグンダやセグンダ・ディビシオンB(3部相当)で長期間過ごした後、2001-02シーズンにはクラブ史上初のプリメーラ・ディビシオン(1部)昇格が確実なものと思われたが、シーズンが終盤に向かうにつれて劇的に調子を落とした。ラスト8試合で勝ち点4しか挙げられず、結局は4位に終わって昇格は果たせなかった。このシーズンから6シーズン連続で10位以内を維持したが、2007-08シーズンは不本意な15位という成績に終わった。2008-09シーズンは、2008年11月2日のレアル・ムルシア戦に5-3で勝利してから調子を上げ、2009年1月から2月にかけて5連勝、4月から5月にかけて7連勝を達成した。シーズンを通して昇格圏内を維持し、2009年6月13日のSDウエスカ戦(2-1)に勝利してクラブ史上初のプリメーラ昇格を決めた。2位で迎えたシーズン最終節のセルタ・デ・ビーゴ戦(1-1)は引き分けに終わったが、首位のCDテネリフェがCDカステリョンに1-2で敗れたため、勝ち点82でセグンダ優勝を果たした[2]。モモ、アントニート、マリオ・ベルメホの3人が二桁得点を記録し、総得点・総失点ともにリーグ4位というバランスの良さが昇格につながった。
初のプリメーラ挑戦とその後
[編集]2009-10シーズン、主力の多くがレンタルバックなどで退団し、プレシーズン開幕時には登録選手が12人まで減る事態だった[3] が、8月の最終週に8選手と契約して人数を揃えた。開幕から4戦を無得点(11失点)で4連敗し、早々と降格候補筆頭に挙げられた[4]。5節のRCDエスパニョール戦(0-0)でようやくシーズン初勝ち点を挙げ、6節のマラガCF戦(1-1)でシーズン初得点を挙げたが、1991-92シーズンにレアル・ソシエダが記録した開幕からの最長無得点記録を更新することになった[5]。2009年10月18日、ビジャレアルCF戦(2-1)でシーズン初勝利を挙げたとはいえ[6]、前半戦は1勝5分13敗と散々な成績だったが、2010年1月にネストル・ゴロシート監督が就任すると、後半戦は7勝5分7敗の好成績を残し、最終節まで残留の可能性を残した[7]。最終節はCAオサスナとの対戦であったが、1-1と引き分けに終わり、最下位でセグンダ降格となった。
2012-13シーズン、セグンダで最下位の22位に終わり、また慢性的な財政難でもあったことから、セグンダB(3部)ではなくテルセーラ(4部)へと降格した。
名称の変遷
[編集]- ヘレスFC(Xerez Fútbol Club) 1907–1946
- CDヘレス(Club Deportivo Jerez) 1942-1946
- ヘレスCD(Xerez Club Deportivo) 1947–
- ヘレスFCとCDヘレスが合併してヘレスCDが誕生した。
タイトル
[編集]- セグンダ・ディビシオン 1回
- 2008–09
- セグンダ・ディビシオンB 2回
- 1981–82, 1985–86
- テルセーラ・ディビシオン 5回
- 1952–53, 1959–60, 1964–65, 1966–67, 1970–71
成績
[編集]近年の成績
[編集]シーズン ディビジョン 順位 試合数 勝 分 敗 得点 失点 勝ち点 コパ・デル・レイ 備考 2002–03 セグンダ 6 42 17 13 12 55 53 64 ベスト16 2003–04 セグンダ 9 42 12 18 12 47 49 54 3回戦敗退 2004–05 セグンダ 8 42 14 17 11 39 36 59 2回戦敗退 2005–06 セグンダ 7 42 18 13 11 60 46 67 5回戦敗退 2006–07 セグンダ 8 42 16 10 16 47 42 58 ベスト32 2007–08 セグンダ 15 42 12 16 14 47 56 52 ベスト32 2008–09 セグンダ 1 42 24 10 8 73 42 82 2回戦敗退 プリメーラ昇格 2009–10 プリメーラ 20 38 8 10 20 38 66 34 ベスト32 セグンダ降格 2010–11 セグンダ 8 42 17 9 16 65 51 60 ベスト32 2011–12 セグンダ 14 42 13 11 18 50 66 50 2012–13 セグンダ 22 42 7 9 26 38 74 30 テルセーラ降格
過去の成績
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- 1シーズン - プリメーラ・ディビシオン(1部)
- 25シーズン - セグンダ・ディビシオン(2部)
- 17シーズン - セグンダ・ディビシオンB(3部相当、1977年創設)
- 21シーズン - テルセーラ・ディビシオン(4部相当、1977年以前は3部相当)
- 2シーズン - ディビシオネス・レヒオナレス(5部相当、1977年以前は4部相当)
歴代会長
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歴代監督
[編集]- チュス・ペレダ 1995-1996
- ベルント・シュスター 2001-2003
- エステバン・ビーゴ[8][9][10] 2003-2004
- ルーカス・アルカラス 2005-2006
- エステバン・ビーゴ 2008-2009
- ホセ・アンヘル・シガンダ 2009-2010
- ネストル・ゴロシート[11] 2010
- ハビ・ロペス 2010-2011
- フアン・メリノ 2011
- ビセンテ・モレノ 2011-2012
- エステバン・ビーゴ 2012-2013
- カルロス・リオス 2013
- ダビド・ビダル 2013
- パコ・ペーニャ 2013
- アントニオ・マヌエル・ラセロ・カベッロ 2013
- フランシスコ・イゲラ 2013-2014
- パコ・ペーニャ 2014
- ヘスス・メンドーサ 2014-2015
- ビセンテ・バルガス 2015-2016
- フアン・カルロス 2019-2020
歴代所属選手
[編集]- GK
- ルイス・ガルシア・コンデ 2001-2002
- フアン・ルイス・モラ 2002-2003
- トニ・ダブラス 2003-2004
- ステファン・ポラト 2007-2009
- レナン 2009-2010
- DF
- アレクサンダー・クチェラ 2001-2003
- ダビド・プリエト 2006-2007, 2009-2010, 2012-2013
- ビクトール・サンチェス 2009-2010
- MF
- デヴィッド・ホジソン 1987-1988
- エミリオ・ビケイラ 2000-2002, 2008-2010
- イゴール・ムサ 2002-2004
- アバス・ラワル 2004-2005
- ハビエル・カムニャス 2004-2007
- ルーベン・パソス 2004-2007
- マルコ・ナバス 2006-2009
- アベル・アギラール 2007-2008
- ホセ・マリ 2010-2013
- シディ・ヤヤ・ケイタ 2009-2010, 2012-2013
- ビセンテ・モレノ[12] 2000-2011
- カピ 2010-2012
- FW
- ダニエル・グイサ 1998-1999
- ジョルディ・ラルディン 2001-2002
- イバン・ロサード 2005-2006
- アレサンドレ・ヘイホ 2005-2007
- イスマエル 2005-2007
- アントニート[12] 2007-2011
- モモ 2008-2010
- マリオ・ベルメホ 2008-2011
- ジョジー・アルティドール 2009
脚注
[編集]- ^ Finales de los años 40 Archived 2010年3月31日, at the Wayback Machine. Fundación Xerez CD
- ^ El Xerez finaliza campeón y Nino, 'Pichichi' tras llegar a los 29 goles El Correo、2009年6月22日
- ^ Sports Graphic Number、文藝春秋
- ^ 「戦力充実のサラゴサは残留が濃厚 散々な昨季2部王者は、降格の本命に」 footballista、ソルメディア、2009年10月7日号、20頁
- ^ 「救世主は18歳! アトレティコが初勝利 ヘレスは初ゴール決めるも白星逃す」 footballista、ソルメディア、2009年10月14日号、17頁
- ^ 「”相性”に左右され? アトレティコは3敗目 ヒホンがサン・マメスで19年ぶりに勝利」 footballista、ソルメディア、2009年10月28日号、17頁
- ^ footballista、ソルメディア、2010年6月9日号、18頁
- ^ Esteban obra el milagro de Primera (Esteban works Primera miracle); Diario AS, 14 June 2009
- ^ "Mientras la gente habla nosotros trabajamos" ("People talk we work"); Diario de Jerez, 24 December 2009
- ^ Esteban Vigo es el elegido (Esteban Vigo is the chosen one); Andalucía Información, 4 July 2012
- ^ "Seríamos octavos de haber tenido tiempo" ("We would have finished eighth if we have had more time"); Diario AS, 31 March 2010
- ^ a b Tu ídolo del Xerez CD (Your Xerez CD idol) Archived October 12, 2009, at the Wayback Machine.; Furia Xerez