ホセ・アンヘル・シガンダ

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はシガンダ第二姓(母方の)はラクンサです。
ホセ・アンヘル・シガンダ Football pictogram.svg
名前
本名 José Ángel Ziganda Lakuntza
カタカナ ホセ・アンヘル・シガンダ・ラクンサ
基本情報
国籍 スペインの旗 スペイン
生年月日 (1966-10-01) 1966年10月1日(50歳)
出身地 ナバーラ州, ララインサル
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1985-1987 スペインの旗 CAオサスナB 12 (4)
1987-1991 スペインの旗 CAオサスナ 122 (35)
1991-1998 スペインの旗 アスレティック・ビルバオ 255 (76)
1998-2001 スペインの旗 CAオサスナ 68 (19)
通算 457 (134)
代表歴
1991-1994 スペインの旗 スペイン 2 (0)
監督歴
2005-2006 スペインの旗 CAオサスナB
2006-2008 スペインの旗 CAオサスナ
2009-2010 スペインの旗 ヘレスCD
2011-2017 スペインの旗 ビルバオ・アスレティック
2017- スペインの旗 アスレティック・ビルバオ
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

ホセ・アンヘル・シガンダ・ラクンサJosé Ángel Ziganda Lakuntza1966年10月1日 - )は、スペインナバーラ州出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。元スペイン代表であった。現役時代のポジションはFW。現在はアスレティック・ビルバオの監督を務めている。

経歴[編集]

選手[編集]

CAオサスナの下部組織出身であり、1987年12月13日のCEサバデル戦(0-0)でトップチームデビューした。1989年から1991年には絶対的なレギュラーであり、2シーズン連続でリーグ戦11得点を挙げた。この活躍が近隣のアスレティック・ビルバオの目にとまり、1991年にバスク自治州のクラブに移籍した。1992年5月26日のアルバセテ・バロンピエ戦(5-4)ではハットトリックを達成している。イスマエル・ウルサイスが台頭したためにアスレティックを追い出され、1998年にCAオサスナに復帰した。セグンダ・ディビシオン(2部)で戦った1999-2000シーズンは昇格に貢献し、2001年までプレーして現役引退を発表した。CAオサスナとアスレティック・ビルバオに在籍した12シーズンでプリメーラ・ディビシオン(1部)通算381試合に出場し、111得点を挙げた。さらにセグンダ・ディビシオンで19得点を挙げ、UEFAカップで9得点、コパ・デル・レイで6得点を挙げている。

1991年4月17日、カセレスで行われたルーマニアとの親善試合(0-2)で4分間だけ出場してスペイン代表デビューを果たした。スペイン代表での出場機会はルーマニア戦の1試合のみである。

指導者[編集]

CAオサスナの下部組織のいくつかのチームで指導者経験を積み、2005-06シーズンにはCAオサスナBを指揮した。メキシコ人のハビエル・アギーレ監督がトップチームを離れてアトレティコ・マドリード監督に就任すると、シガンダが後任の監督に就任した。UEFAチャンピオンズリーグでは予選3回戦での敗退が決まっており、2006-07シーズンのリーグ戦でも開幕直後に躓いたが、徐々に状況を改善し、UEFAカップではクラブ史上最高位のベスト4となった。リーグ戦は11位で終えた。2007-08シーズンは攻撃の中心となるはずのジャバド・ネクナムウーゴ・ヴィアナが負傷に苦しみ、1試合平均1得点以下の乏しい得点力で残留争いに巻き込まれた。2008-09シーズンは開幕からの6試合で1勝もできず(わずか2得点であった)、2008年10月13日、シガンダは解任されてホセ・アントニオ・カマーチョが後任監督に就任した。2009年7月上旬、エルクレスCFへと旅立ったエステバン・ビーゴ監督に代わり、プリメーラ・ディビシオンへの初昇格を決めたヘレスCDと1年契約を結んで監督に就任した。しかし、開幕戦からの17試合で勝ち点7しか挙げられずに最下位に低迷し、2010年1月12日、シーズンの半ばで職を解かれた。

外部リンク[編集]