フォスフォレッスセンス
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概要
[編集]初出 | 『日本小説』1947年7月号 |
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単行本 | 『太宰治随想集』(若草書房、1948年3月21日) |
執筆時期 | 1947年6月3日口述筆記。のち自筆で書き直される[1]。 |
原稿用紙 | 13枚 |
編集者の野原一夫の語るところによれば、1947年(昭和22年)5月頃、山崎富栄の部屋で太宰と野原がビールを飲んでいると、雑誌『日本小説』の若い編集者の訪客があった。その日が雑誌の締め切り日にあたっていたが、太宰は一行の原稿も書いていなかった。太宰は「口述でやろう」と編集者に提案し、20分ほどしたのちにゆっくりと喋り始める。口述が終わると筆記された原稿に2、3か所手を入れただけで編集者に渡したという。それが本作品『フォスフォレッスセンス』となった[2][3]。
山崎富栄の手記に1947年の「6月3日」の項に「日本小説の方達と、私の二階でお話なさる」とあり、日付に関しては山崎の記述が正しいものと推測される。また本作品は太宰の自筆原稿が残っている。のちに太宰が改めて書き直したものと思われる(書き直しの時期は不明)[1]。
題名の「Phosphorescence」は「燐光」の意。文筆家・翻訳家の松本侑子は自著『恋の蛍 山崎富栄と太宰治』(光文社、2009年10月17日)において、「フォスフォレッスセンス」という花は実在しない花だろうと述べている。
あらすじ
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