ウィッシン・アンド・ホーピン
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「ウィッシン・アンド・ホーピン」 | ||||
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ダスティ・スプリングフィールド の シングル | ||||
初出アルバム『A Girl called Dusty』 | ||||
B面 | Do-Re-Mi | |||
リリース | ||||
規格 | 7 inch single | |||
録音 | 1964年(アルバム『A girl caleed Dusty』収録) | |||
ジャンル | ポップス | |||
時間 | ||||
レーベル | フィリップス・レコード | |||
作詞・作曲 | バート・バカラック、ハル・デイヴィッド | |||
プロデュース | ジョニー・フランツ | |||
チャート最高順位 | ||||
ダスティ・スプリングフィールド シングル 年表 | ||||
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「 ウィッシン・アンド・ホーピン」(Wishin' and Hopin' )は、バート・バカラックとハル・デイヴィッドが作詞作曲した楽曲。1964年にダスティ・スプリングフィールドのカバー版が全米チャート6位を記録した。
解説
[編集]「ウィッシン・アンド・ホーピン」は、元々ディオンヌ・ワーウィックが1963年にシングル"This empty place"のB面として発表した作品だった。アメリカでは1964年発表のダスティ・スプリングフィールドによるカバーが全米6位を記録(彼女にとって初の全米トップ10入り)。バカラックはこのダスティ版を高く評価した。イギリスではマージ―ビーツによるバージョンが同年に全英13位を記録。その頃ダスティは、同じくバカラック作の"I just don't know what to do with myself"(恋のとまどい)をイギリスでシングル発表し、全英3位を記録。そのためイギリスではダスティ版「ウィッシン・アンド・ホーピン」はシングル発表されなかった。[1]アメリカではディオンヌ・ワーウィック、イギリスではダスティ・スプリングフィールド、シラ・ブラックと着々と自分の作品の表現者を見出していった。
カバー
[編集]出典:[2]
- ビリー・ストレンジ(1964)
- ディオンヌ・ワーウィック(1964)
- ナンシー・シナトラ(1966)
出典
[編集]- ^ Bacharach; Maestro! The life of a pop genius. by Michael Brocken, Chrome Dreams, c2003, p.149-152, ISBN 9781842402191
- ^ Top pop Album tracks, 1955-1992,by Joel Whitburn, Record Research ,c1993,p.495, ISBN 0-89820-094-6