やまだかつてないWink

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

やまだかつてないWink(やまだかつてないウィンク)は、フジテレビ邦ちゃんのやまだかつてないテレビ』で山田邦子横山知枝と組んでいたユニット。Winkのパロディであり、通称「やまかつWink」。

メンバー[編集]

歴史[編集]

1989年、山田が『ものまねベスト10』(→『ものまねベスト5』→『ものまねランド』)でWink(「やまかつ」準レギュラーだった)の相田翔子のものまねを行い、自身のものまねのレパートリーの一つとしていたことや[1]、また『やまかつ』のレギュラーが大江千里KANMALTAなどミュージシャンや音楽関係者が多く関わっていたことなどより、本家と同じように2人でものまねをやってみようということから始まった。

『日本全国早智子を探せ』で一般視聴者から相方(鈴木早智子役)を募集し、ビデオオーディションを行なう。その結果、横山知枝が選ばれた。

初出演は『ものまねベスト5』の第1位「ついに実現! 翔子と早智子のWink」で、Winkの「One Night In Heaven 〜真夜中のエンジェル〜」を2人で披露した。ちなみに「やまだかつてないWink」の名前が使用開始されたのは、本家Winkがゲスト出演した際の「本物のWinkの前で歌う やまだかつてないWink」で、Winkのヒットナンバーをメドレーで披露した。なお、ものまねコントでの登場の際は単に「Wink」と表記された。

1990年7月に「“T”intersection」で実際にCDデビューを果たし、1991年2月発売の「さよならだけどさよならじゃない」は卒業ソングとしてヒット、定番曲になる[2]

1991年8月21日、日本武道館にて開催された「やまかつin武道館」に参加[3]

その後新曲は発表されず、1992年3月25日の番組終了に伴い解散。横山知枝はソロ活動に移行[4]

2005年9月26日、フジテレビでは『デッドエイジ』番組内にて13年半ぶりに再結成をしたが、それ以前にも関西テレビ快傑えみちゃんねる』や日本テレビあの人は今!?』でも再結成を果たしている。

ディスコグラフィ[編集]

シングル[編集]

  • “T”intersection ~あなたに戻れない~
    • (作詞:山田邦子、作曲:MALTA、編曲:船山基紀) - 1990年7月21日
      • c/w:“T”intersection ~あなたに戻れない~(オリジナル・カラオケ)
  • さよならだけどさよならじゃない
    • (作詞:山田邦子、作曲:KAN、編曲:小林信吾) - 1991年2月21日
      • c/w:さよならだけどさよならじゃない(オリジナル・カラオケ)

アルバム[編集]

  • やまだかつてないCASSETTE - 1991年3月21日
    • 上記アルバムのカセットテープ版。
  • Myこれ! Lite 横山知枝/やまだかつてないWINK - 2010年4月21日
    • 横山のソロ曲を含めたベスト・アルバム。「Wink」ではなく、全大文字の「WINK」となっている。

関連項目[編集]

脚注[編集]

出典[編集]

  1. ^ 相棒の鈴木早智子を探しさまよったり、早智子の人形と振りつきでデュエットしたりする内容だった。
  2. ^ “忘れられた「お笑い第2世代」 60歳山田邦子はテレビから“消えて”何をしていたか?”. 文藝春秋. (2020年6月13日). https://bunshun.jp/articles/-/38402?page=2 2023年12月23日閲覧。 
  3. ^ “山田邦子、素人同然の21歳で「ひょうきん族」抜てき 中居正広驚き「いやいやいや、それが早い」”. Sponichi Annex. (2023年2月10日). https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/02/10/gazo/20230210s00041000686000p.html 2023年12月23日閲覧。 
  4. ^ なお横山は、やまかつレギュラー時代にもソロ曲を2曲発表している(こちらを参照)。
  5. ^ もともとは視聴者プレゼント用のカセットテープのみに収録されていた。アルバム初収録。