チーム・テイクワン
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(TEAM TAKE ONEから転送)
TEAM TAKE ONE[1] (ちーむていくわん)は、かつて日本に存在したレーシングチーム。
日本信販社長(当時)の山田洋二が設立し、セントラル20の柳田春人が初代監督を務めた。
概要
[編集]1990年設立。ノバエンジニアリングにメンテナンスを委託し全日本F3000選手権に参戦開始。以降N1耐久(後のスーパー耐久)、全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権(JSPC)、全日本ツーリングカー選手権(JTCC)、全日本GT選手権(JGTC)の日本国内主要カテゴリーに参戦。オーナーの山田もN1耐久のホンダ・シビックやJGTCのポルシェで参戦した。日本信販の経営不祥事に伴う山田の引責辞任で2002年限りで活動停止した。
参戦実績
[編集]全日本F3000選手権
[編集]1990年、サントリー、プラスという大型スポンサーを擁し参戦開始。初年度はノバ、翌年はサントリー号のラルトがルマン、プラス号のローラがムーンクラフトによってメンテナンスされた。 1992年から自社メンテナンスを行う。翌93年最終戦で優勝を遂げるも、この年限りでトップフォーミュラは活動休止に。
年度 | ドライバー | マシン | 最高位 |
---|---|---|---|
1990年 | 中谷明彦 | ローラ・T90/50 | 4位 |
フォルカー・ヴァイドラー | ローラ・T90/50 | 優勝 | |
1991年 | ジョニー・ハーバート | ラルト・RT23 | 2位 |
ミハエル・シューマッハ(第6戦) | 2位 | ||
関谷正徳(第10-11戦) | 9位 | ||
服部尚貴 | ローラ・T90/50 | 5位 | |
1992年 | トーマス・ダニエルソン | ローラ・T92/50 | 5位 |
田中実 | 9位 | ||
1993年 | トーマス・ダニエルソン | ローラ・T92/50 | 優勝 |
全日本スポーツプロトタイプカー耐久選手権
[編集]1992年、日産・R91CPでコクヨのスポンサードを受け参戦。第2戦の富士1000kmではワークスのカルソニックと同一周回の2位の大金星をあげる。
年度 | ドライバー | マシン | 最高位 |
---|---|---|---|
1992年 | トーマス・ダニエルソン/ 岡田秀樹 | 日産・R91CP | 2位 |
全日本ツーリングカー選手権(JTCC)
[編集]1994年、BMW・318iで綜合警備保障のスポンサードを受け、中谷明彦のドライブにより参戦した。JTCCはこの年限り。
年度 | ドライバー | マシン | 最高位 |
---|---|---|---|
1994年 | 中谷明彦 | BMW・318i | 5位 |
全日本GT選手権
[編集]1995年、ポルシェ・911 GT2で綜合警備保障のスポンサードを受け参戦開始。オーナーの山田洋二も自らハンドルを握る。1999年からマクラーレン・F1 GTRにマシンを変更。2002年まで参戦。
年度 | ドライバー | マシン | 最高位 |
---|---|---|---|
1995年 | 山田洋二/ 田嶋栄一 | ポルシェ・911 GT2 | 2位 |
1996年 | 山田洋二/ 田嶋栄一 | ポルシェ・911 GT2 | 7位 |
1997年 | 山田洋二/ 茂木和男 | ポルシェ・911 GT2 | 9位 |
1998年 | 山田洋二/ 岡田秀樹 | ポルシェ・911 GT2 | 8位 |
1999年 | 山田洋二/ 岡田秀樹 | マクラーレン・F1 GTR | 9位 |
2000年 | 山田洋二(第5戦まで)/ 岡田秀樹/ 松田次生(第6戦から) | マクラーレン・F1 GTR | 4位 |
2001年 | 岡田秀樹/ アンドレ・クート | マクラーレン・F1 GTR | 優勝 |
2002年 | 岡田秀樹/ 黒澤治樹 | マクラーレン・F1 GTR | 9位 |
脚注
[編集]- ^ “#チームテイクワン Instagram posts (photos and videos) - Picuki.com”. www.picuki.com. 2024年2月5日閲覧。