鈴木シャッター
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(LIXIL鈴木シャッターから転送)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 |
非上場(以下は過去のデータ) |
本社所在地 |
日本 〒170-0005 東京都豊島区南大塚一丁目1番4号 |
設立 | 1936年7月23日 |
業種 | 金属製品 |
法人番号 | 9013301013446 |
事業内容 | |
代表者 | 代表取締役 浜野寿之[1] |
資本金 | 4億円 |
純利益 |
11億7,137万5,000円 (2024年3月期)[2] |
純資産 |
83億9,155万2,000円 (2024年3月期)[2] |
総資産 |
132億8,939万6,000円 (2024年3月期)[2] |
主要株主 | 三和ホールディングス株式会社 100% |
外部リンク | https://www.suzuki-sh.co.jp/ |
特記事項:JASDAQ市場について:上場廃止時は店頭登録銘柄 |
株式会社鈴木シャッター(すずきシャッター、SUZUKI SHUTTER CO., LTD.)は、東京都豊島区に本社を置くシャッターなどを製造する企業である。
かつては三機工業、LIXILの傘下にあった。2018年(平成30年)7月31日、LIXILが保有する全株式を三和ホールディングスへ売却することを発表。2019年(令和元年)10月より三和ホールディングス傘下となった[3][4]。
沿革
[編集]- 1903年(明治36年)4月 - 建築金物商会として創業[5]。
- 1936年(昭和11年)7月 - 株式会社建築金物商会に改組[5]。
- 1939年(昭和14年)10月 - 鈴木シヤタア工業株式会社に商号変更[5]。
- 1969年(昭和44年)2月 - 三機工業株式会社と資本提携[5]。
- 1970年(昭和45年)3月 - 鈴木シヤタア産業株式会社を吸収合併し、鈴木シャッター工業株式会社に商号変更[5]。
- 1981年(昭和56年)9月 - 埼玉工場竣工[5]。
- 1985年(昭和60年)3月 - 鈴木シャッター販売株式会社を吸収合併。
- 1990年(平成2年)11月 - 店頭市場(現・ジャスダック)に株式を公開。資本金19億7,100万円となる[5]。
- 1993年(平成5年)10月 - 東京都豊島区に本社新社屋を建設[5]。
- 2000年(平成12年)10月 - トステム(現・LIXILグループ)が株式交換により完全子会社化。
- 2001年(平成13年)4月 - トステム鈴木シャッター株式会社に商号変更[5]。
- 2011年(平成23年)4月 - グループ内のスチール建材事業再編に伴い、旧・トステム子会社のトステムSD株式会社を吸収合併し、コスモ工業株式会社の営業権を譲受。同時に株式会社LIXIL鈴木シャッターに商号変更し[5]、株式会社LIXILの子会社となる。
- 2012年(平成24年)3月 - 当社取扱いの一部の軽量シャッター及び一部の軽量ドアを三和シヤッター工業株式会社からのOEMに切り替え。
- 2018年(平成30年)7月 - LIXILが保有するLIXIL鈴木シャッター全株式を、三和ホールディングスへ売却することを発表。三和ホールディングスは公正取引委員会の承認後に、LIXIL鈴木シャッター全株式を取得する予定[3][4]。
- 2019年(令和元年)10月 - 三和ホールディングスに株式が譲渡され三和グループとなる。商号を株式会社鈴木シャッターに変更[5]。
広告活動
[編集]1980年代に「クリスタルグリル」のテレビCMを放送し、2022年(令和4年)頃に公式YouTubeチャンネルで広告活動を行った[6]。
その他
[編集]- 1966年2月、翌年の香港での法人設立[5]を控え、当時の社長が現地出張の際に機内から富士山を撮影した写真が、英国海外航空機空中分解事故の事故原因究明に大きく寄与した(『マッハの恐怖』も参照)。
- 1981年7月7日に東京12チャンネル(現・テレビ東京)で『直純のピアノふぉる亭』を放送したが、この回は電話帳の広告からCMソングを作詞・作曲する企画が放送された。同番組の司会者、山本直純が職業別電話帳(現在のタウンページ)に掲載された広告から当社を選び、ゲスト出演者の小林亜星とともに楽曲を製作し、非公式CMソング「鈴木シャッター」(作詞・作曲:小林亜星)と「スズキ・シャッター」(作曲:山本直純)のお披露目(ともに女性コーラス3人による斉唱)も行われた。なお、この曲には電話帳広告に記されたキャッチコピー、「防火ひとすじ78年」も歌詞に含まれていた。同企画の映像は2019年5月31日にBSテレビ東京で放送した『武田鉄矢の昭和は輝いていた』で小林がゲスト出演した時に放送している[7]。同番組は2021年5月30日に心不全で死去した小林[8]の追悼企画として同年6月21日に再放送を行った[7][9]。
脚注
[編集]- ^ “企業メッセージ”. 鈴木シャッター. 2024年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ a b c 株式会社鈴木シャッター 第114期決算公告
- ^ a b “株式会社 LIXIL 鈴木シャッターの株式取得に関する株式譲渡契約締結の決議についてのお知らせ” (PDF). 鈴木シャッター (2018年7月31日). 2018年8月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ a b “三和HD、シャッター・防災製品製造販売のLIXIL鈴木シャッターを買収”. M&A タイムス. トラフィックラボ (2018年8月1日). 2023年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “沿革”. 鈴木シャッター. 2024年5月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ 鈴木シャッター: “鈴木シャッター 公式Youtubeチャンネル”. YouTube. 2024年8月24日閲覧。
- ^ a b “武田鉄矢の昭和は輝いていた【小林亜星さんを偲んで・ヒットの秘密】”. テレ東・BSテレ東. テレビ東京. 2021年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ 「小林亜星さんが心不全で死去 88歳 「北の宿から」など作曲」『スポーツニッポン』2021年6月14日。オリジナルの2023年9月7日時点におけるアーカイブ。2024年8月24日閲覧。
- ^ ORICON NEWS (2021年6月17日). “小林亜星さん自ら語った“ヒットの法則” BSテレ東で追悼再放送”. ORICON MUSIC. オリコン. 2022年1月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年8月24日閲覧。