ミツマタ

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ミツマタ
ミツマタの花の写真
分類
: 植物界 Plantae
: 被子植物門 Magnoliophyta
: 双子葉植物綱 Magnoliopsida
: フトモモ目 Myrtales
: ジンチョウゲ科 Thymelaeaceae
: ミツマタ属 Edgeworthia
: ミツマタ E. chrysantha
学名
Edgeworthia chrysantha Lindl. (1846)
和名
ミツマタ
英名
Oriental paperbush
アカバナミツマタ

ミツマタ三椏、学名:Edgeworthia chrysantha)は、冬になれば葉を落とす落葉性の低木であり、ジンチョウゲ科ミツマタ属に属する。中国中南部・ヒマラヤ地方が原産地とされる。3月から4月頃ごろにかけて、三つ叉(また)に分かれた枝の先に黄色い花を咲かせる。そのため、「ミツマタの花」は日本においては仲春啓蟄3月6日頃〕から清明の前日〔4月4日頃〕まで)の季語とされている[1]。皮は和紙紙幣原料として用いられる[2][3]

概要

ミツマタは、その枝が必ず三叉、すなわち三つに分かれる持ち前があるために「ミツマタ」と名付けられた。三枝三又とも書く。中国語では「結香」(ジエシアン)と称している。

古代には「サキクサの」という言葉が「三(み)つ」という言端(ことば)に係る枕詞とされており(例:「三枝〔サキクサ〕の三つば四つばの中に殿づくりせりや」〔催馬楽・この殿は〕)、枝が三つに分かれるミツマタは昔は「サキクサ」と呼ばれていたと考えられている。そう名付けられた訳(わけ)としては、ミツマタはあたかも春を告げるかのごとく一足先に淡い黄色の花を一斉に開(ひ)らくため、その故(ゆえ)をもって「先草=サキクサ」と呼ばれたのだとの考えがある。但(ただ)し他にも、ミツマタが縁起の良い吉兆の草とされていたため「幸草(サキクサ)」と呼ばれたのだとも言われる。最も古い用例である万葉歌人柿本人麻呂和歌(ヤマトうた)では、

●春されば まず三枝(さきくさ)の 幸(さき)くあれば 後にも逢む な恋ひそ吾妹(『万葉集』10巻-1895) (春になればまず先に咲く「サキ」クサのように「幸〔さき〕」く〔つつが無く〕あることが出来たならば、のちにまた会いましょう。恋しがらないでください、わが愛しい人よ)

とあり、三枝(さきくさ)という言端(ことば)の元が「先草(サキクサ)」とも「幸草(サキクサ)」とも とれる表現となっている。(いずれにせよ、この「サキクサ」が三枝[さいぐさ、さえぐさ]という姓の語源とされる)。

園芸種では、オレンジ色から朱色の花を付けるものもあり、赤花三椏(あかばなみつまた)と称する。

利用

和紙の原料として重要である。ミツマタが和紙の原料として登場するのは、16世紀戦国時代)になってからであるとするのが一般的である。しかし、『万葉集』にも度々登場する良く知られたミツマタが、和紙の原料として使われなかったはずがないという説がある。

平安時代の貴族たちに詠草(えいそう)料紙として愛用された斐紙(雁皮紙、美紙ともいう)の原料である雁皮(ガンピ)も、ミツマタと同じジンチョウゲ科に属する。古い時代には、植物の明確な識別が曖昧混同することも多かったために、雁皮紙だけでなく、ミツマタを原料とした紙も斐紙(ひし)と総称されて、近世まで文献に紙の原料としてのミツマタという名がなかった。後に植物の知識も増え、製紙技術の高度化により、ガンピとミツマタを識別するようになったとも考えられる。

「みつまた」が紙の原料として表れる最初の文献は、徳川家康がまだ将軍になる前の慶長3年(1598年)に、伊豆修善寺にいた製紙工の文左右衛門にミツマタの使用を許可した黒印状(諸大名の発行する公文書)である(当時は公用の紙を漉くための原料植物の伐採は、特定の許可を得たもの以外は禁じられていた)。 

「豆州ニテハ 鳥子草、カンヒ ミツマタハ 何方ニ候トモ 修善寺文左右衛門 ヨリ外ニハ切ルヘカラス」

とある。「カンヒ」は、ガンピのことで、「鳥子草」が何であるかは不明であるが、ミツマタの使用が許可されている。

天保7年(1836年)稿の大蔵永常『紙漉必要』には、ミツマタについて「常陸駿河甲斐の辺りにて専ら作りて漉き出せり」とある。武蔵の中野島付近で漉いた和唐紙は、このミツマタが主原料であった。佐藤信淵の『草木六部畊種法』には、

「三又木の皮は 性の弱きものなるを以て 其の紙の下品(品質が最低の意)なるを なんともすること無し」

として、コウゾ(楮)と混合して用いることを勧めている。

明治になって、政府はガンピを使い紙幣を作ることを試みた。ガンピの栽培が困難であるため、栽培が容易なミツマタを原料として研究。明治12年(1879年)、大蔵省印刷局(現・国立印刷局)抄紙部で苛性ソーダ煮熟法を活用することで、日本の紙幣に使用されるようになっている。国立印刷局に納める「局納みつまた」は、2005年の時点で島根県岡山県高知県徳島県愛媛県山口県の6県が生産契約を結んで生産されており、納入価格は山口県を除く5県が毎年輪番で印刷局長と交渉をして決定された[4]。しかし、生産地の過疎化や農家の高齢化、後継者不足により、2005年度以降は生産量が激減し[5]、2016年の時点で使用量の約9割はネパール中国から輸入されたものであった。国内では岡山県、徳島県、島根県の3県だけで生産されており、出荷もこの3県の農協に限定された[6]

生産農家の減少などで、ミツマタの価格は2018年に30キログラムあたり9万5400円と過去最高水準まで上昇した(国立印刷局による)。2024年度の新紙幣発行を視野に、耕作放棄地など徳島県山間部でミツマタを新たに栽培する動きもある。ミツマタは栽培植物の中では鹿による食害が比較的少ないという[7]

ネパールでのミツマタ栽培や対日輸出は、『官報』販売などを行う企業かんぽう(大阪市)が支援している[8]

手漉き和紙業界でも、野生だけで供給量の限定されたガンピの代用原料として栽培し、現代の手漉き和紙では、コウゾに次ぐ主要な原料となっている。現代の手漉き鳥の子和紙ふすま紙は、ミツマタを主原料としている。

徳島県では、通常は廃棄されるミツマタの幹を使った木炭とそれを成分とした石鹸が製造されている[9]

耐用年数

平成20年度税制改正において、法人税等の「減価償却資産の耐用年数等に関する省令」が改正され、別表第四「生物の耐用年数表」によれば平成20年4月1日以後開始する事業年度にかかるミツマタの法定耐用年数は5年となった。

脚注

  1. ^ "三椏の花(みつまたのはな)仲春".(NPO法人季語と歳時記の会). 2016年2月21日閲覧
  2. ^ "ミツマタとは|ヤサシイエンゲイ".(京都けえ園芸企画舎). 2016年2月21日閲覧
  3. ^ 新札にらみ「ミツマタ」増産/四国山地で出荷拡大に動く日本経済新聞』朝刊2019年5月16日(マーケット商品面)2019年6月8日閲覧。
  4. ^ 和紙原料の生産・流通状況”. 日本特用林産振興会. 2017年6月13日閲覧。
  5. ^ 特産農産物に関する生産情報調査結果(平成 24 年)”. 公益財団法人日本特産農産物協会. 2017年6月13日閲覧。
  6. ^ ミツマタ出荷で集落再生 京都・福知山、紙幣原料に”. 京都新聞社. 2017年6月13日閲覧。
  7. ^ 【価格は語る】「お札原料ミツマタ最高値圏/国産わずか1割、増産の動きも」『日経産業新聞』2019年5月17日(サービスプライス面)。
  8. ^ 業務内容のご紹介 かんぽうのお仕事(2019年6月8日閲覧)。
  9. ^ 1万円札の材料が→男性用せっけんに/ネパリ「加齢臭などに効果」日経MJ』2018年5月28日(ライフスタイル面)2018年8月7日閲覧。

参考文献

  • きごさい時記「三椏の花(みつまたのはな)」(NPO法人季語と歳時記の会)[1]
  • 「ミツマタとは│ヤサシイエンゲイ」(京都けえ園芸企画舎)[2]

関連項目

外部リンク