ニホンジカ
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ニホンジカ | ||||||||||||||||||||||||
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![]() ニホンジカ Cervus nippon
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保全状況評価[1] | ||||||||||||||||||||||||
LEAST CONCERN (IUCN Red List Ver.3.1 (2001)) ![]() | ||||||||||||||||||||||||
分類 | ||||||||||||||||||||||||
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学名 | ||||||||||||||||||||||||
Cervus nippon Temminck, 1836[2][3] | ||||||||||||||||||||||||
シノニム[2] | ||||||||||||||||||||||||
Cervus sika Temminck, 1844[4]
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和名 | ||||||||||||||||||||||||
ニホンジカ[5][6][7] | ||||||||||||||||||||||||
英名 | ||||||||||||||||||||||||
Sika[4] Sika deer[6] Japanese Sika deer Japanese deer |
ニホンジカ (Cervus nippon) は、哺乳綱偶蹄目(鯨偶蹄目とする説もあり)シカ科シカ属に分類される偶蹄類。
分布[編集]
北朝鮮、ベトナムでは絶滅したと考えられ、韓国では絶滅した[1]。台湾に再導入[1]。
アイルランド、アゼルバイジャン、アメリカ、アルメニア、イギリス、ウクライナ、オーストリア、チェコ、デンマーク、ドイツ、ニュージーランド、フィリピン、フィンランド、フランス、ポーランド、マダガスカル、リトアニアに移入[1]。
形態[編集]
体長オス90 - 190 cm(センチメートル)、メス90 - 150 cm[6]。肩高オス70 - 130 cm、メス60 - 110 cm[6]。体重オス50 - 200 kg(キログラム)[8][9]、メス25 - 80 kg[6]。日本では地理変異が大きく[7]、北部個体群は大型に・南部個体群は小型になる傾向がある[6]。臀部は白い斑紋があり、黒く縁どられる[6]。
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頭胴長110 - 170 cm、尾長8 - 20 cm。全身は茶色だが、尻の毛は白く縁が黒い。夏には胴体に白点が出現し、冬になるとほぼなくなる。オスは枝分かれした角(枝角)を持ち、春先になると落下し新たな角に生え換わる。
分類[編集]

Cervus nippon taiouanus
2006年(平成18年)には南日本の個体群のみを種C. nipponに残し、大陸の個体群をC. hortulorum、台湾の個体群をC. taiouanus、北海道を含む北日本の個体群をC. yesoensisの4種に分割する説が提唱された[1]。2015年(平成27年)現在IUCNでは種の分割を認めず、12亜種(基亜種と亜種ツシマジカ。以下に英名のある10亜種)のみを認めている[1]。
ミトコンドリアDNAの分子系統解析では日本の個体群は北海道から兵庫県にかけての系統と、対馬・屋久島なども含めて兵庫県から西の系統に分かれるという推定結果が得られている[6]。
以下の亜種の分類はGrrub (2005) に[4]、分布・和名は三浦 (1986) に[5]、英名はIUCN (2016) に従う[1]。ただし、基亜種の命名者についてはFeldhamer (1980)・谷戸ら (2022) に従った[2][3]。
- Cervus nippon nippon Temminck, 1836 キュウシュウジカ
- 日本(四国、九州など)
- Cervus nippon aplodontus (Heude, 1884) North Honshu sika
- 日本(本州)。模式産地はnorth of Tokyo[2]。
- ホンシュウジカC. n. centralis(模式産地は日光)はシノニムとされる[2]。
- †Cervus nippon grassianus (Heude, 1884) シャンシージカ Shansi sika(絶滅亜種[1][7])
- 中華人民共和国(陝西省)
- Cervus nippon hortulorum Swinhoe, 1864 ウスリージカ
- ウスリー地方。模式産地は頤和園[2]。
- Cervus nippon keramae (Kuroda, 1924) ケラマジカ Kerama sika, Ryukyu sika
- 日本(慶良間列島)。江戸時代に九州から移入された[7]。
- Cervus nippon kopschi Swinhoe, 1873 コプシュジカ、チャンシージカ Kopschi sika, South China sika
- 中華人民共和国南東部。
- Cervus nippon mageshimae Kuroda & Okada, 1950 マゲシカ
日本(馬毛島)[10]マゲシカの群れ(鹿児島県 馬毛島)。 - 2個体を基に記載されたが、種子島の個体群を含んだり分類上の位置は明確でない[10]。
- †Cervus nippon mandarinus Milne-Edwards, 1874 ネッカジカ North China sika(絶滅亜種[1][7])
- 中華人民共和国(河北省、山東省、山東省)
- Cervus nippon mantchuricus Swinhoe, 1864 マンシュウジカ Manchurian sika(野生絶滅亜種[7])
- 中華人民共和国北東部、朝鮮半島。模式産地は満州[2]。
- Cervus nippon pseudaxis Gervais, 1841 ベトナムジカ Tonkin sika, Viet Namese sika
- ベトナム
- Cervus nippon pulchellus Imaizumi, 1970 ツシマジカ
- 日本(対馬)。絶滅したニホンムカシジカに似る[11]。
- Cervus nippon sichuanicus Guo, Chen & Wang, 1978 Sichuan sika
- Cervus nippon soloensis (Heude, 1888)
- Cervus nippon taiouanus Blyth, 1860 タイワンジカ、ハナジカ Formosan sika, Taiwan sika(野生絶滅亜種[7])
- 台湾。模式産地は台湾[2]。
- 成獣でも周年白い斑点が入る。
- Cervus nippon yakushimae Kuroda & Okada, 1950 ヤクシカ
- 日本(屋久島)
- Cervus nippon yesoensis (Heude, 1884) エゾシカ Hokkaido sika
- 日本(北海道)。模式産地は蝦夷。
日本のニホンジカ[編集]


日本国内に棲息するニホンジカはエゾシカ、ホンシュウジカ、キュウシュウジカ、マゲシカ、ヤクシカ、ケラマジカ、ツシマジカの7つの地域亜種に分類される。
一方、日本列島のニホンジカが分子系統学的に大きく南北2つのグループ-南日本グループ(九州および周辺島嶼個体群、四国西部、 山口県)と北日本グループ(四国東部、兵庫県以東、 北海道)-に分けられ、両者間の遺伝的距離がユーラシア大陸のニホンジカと同等に離れている、との説もある[12]。
北の方のものほど体が大きい(ベルクマンの法則参照)。南西諸島の3亜種は特に小型であり、オスの体重で比較するとエゾジカの140 kgに対してマゲジカとヤクシカで40 kg、ケラマジカでは30 kgである。
- キュウシュウジカ(亜種) C.n.nippon 【四国、九州/日本固有亜種】
- 江戸時代にヨーロッパで分類に使用された亜種であるため、亜種名が「nippon」(基亜種)になっている。
- ツシマジカ(亜種) C.n.pulchellus 【対馬/日本固有亜種】
- 独立種とする説もあったが、分子遺伝学的にホンシュウジカ(中国地方産)に極めて近いことがわかり、近年は亜種としない記述も多い。
- 馬毛島(まげしま)は、種子島の沖に位置する小島。10世紀の生息(狩猟)記録があり、少なくとも1000年以上にわたり小島で維持されてきたと考えられる。島全体を私企業が所有し、唯一全く保護策が講じられていないニホンジカ亜種であり、現在、島全体の大規模開発が進められている。[いつから?]
- 屋久島に12,000 - 16,000頭ほどがいると推定されている[13]。オス成獣の角が4本に枝分かれするキュウシュウジカに対して、ヤクシカは3本が普通である。起源は不明だが、有史以前から自然分布していたと考えられている。近年急激に増加し、世界遺産の島での管理のあり方が問われている。
- 日本哺乳類学会のレッドリスト(1997年(平成9年))では危急亜種だが、環境省のレッドリストには記載されていない。ケラマジカおよびその生息地は天然記念物。江戸時代の移入個体の末裔であることが古文書などから明らかとなり、その保全のあり方が注目される。
これらのほかにタイワンジカ(C.n.taiouanus)が日本でも観光用に移入され、和歌山県の友ヶ島などで野生化。本土に渡って在来亜種と交雑することが危惧されている。
瀬戸内海の 島々にはかつてはその多くにシカが棲んでいたと考えられるが、現在では淡路島、鹿久居島、小豆島、因島、生口島、宮島の6島のみであり、鹿久居島、因島などでは絶滅寸前とも言われる。大三島のシカはミカン栽培のために山が切り開かれた際に絶滅し、1964年(昭和39年)を最後の記録とする。
生態[編集]
常緑広葉樹林や落葉広葉樹林、草原などに生息する[6]。一方で完全に森林から離れることはなく、森林の周辺・森林内に草地が点在する環境を好む[6]。積雪地帯では、冬季に積雪を避けて季節的な移動を行うこともある[6]。雌雄別々に群れを形成するが、採食地では合流することもある[5]。メスの群れは母系集団で、群れで産まれたメスとその母親で構成される[6][5]。オスは生後1 - 2年で産まれた群れから独立する[6]。生後2年以上のオスはオスのみで群れを形成する[5]。開けた草原などでは大規模な群れを、森林では小規模で流動的な群れを形成する[5]。
北海道・本州などの落葉広葉樹林に生息する個体はイネ科の草本、ササ類の葉、木の葉、堅果、樹皮などを季節によって食べる[6]。九州などの常緑広葉樹林に生息する個体は周年木の葉を食べる[6]。兵庫県但馬地方で、好まれ餌となる食草が無くなると、人には有毒なケシ科のタケニグサ(ケナシチャンパギク等も含む)を食べている記録が出ている[注釈 1]。
繁殖様式は胎生。9月下旬から11月に交尾を行う[6]。繁殖期になると闘いによりオスの順位が決定し、一例として優位オスの割合と年齢は奈良公園では約20 %で生後5年以上・金華山で約5 %で生後10年以上の個体が多い[5]。奈良公園や金華山では優位のオスはメスの行動圏に縄張りを形成し、縄張り内から離れようとするメスに対して先回りして攻撃し囲いこむようになる[5]。奈良公園では劣位のオスも優位のオスの縄張りの周囲や縄張り内で隙をついて繁殖期に平均0.6頭のメスと交尾を行うこともあるが、金華山では劣位のオスはほぼ交尾することはできない[5]。一方で五島列島野崎島の例では優位オスが劣位の個体に対して縄張りを形成せず、複数のオスが発情したメスに群がりオス同士で争って強いオスが交尾を行う[5]。妊娠期間は約230日[6]。5月下旬から7月下旬に1頭の幼獣を産む[6]。最高寿命はオスは約15年、メスは約20年[6]。
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オスは「フィー」と聞こえる鳴き声を発し求愛を行う。子は生後2年で性成熟する。
人間との関係[編集]
中国語名は梅花鹿、台湾では花鹿と呼称される[7]。英名はSika(サイカ)と発音される[7]。
生え始めのビロード状の皮膚に覆われた角(袋角)が漢方薬として利用されることもある[1]。日本では医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律に基づき、ロクジョウ(鹿茸)の起源動物としてシベリアジカ(ウスリージカ)とマンシュウジカが厚生労働省の定める原材料リストに記載されている[14]。農作物を食害する、植生を破壊する害獣とみなされることもある[15]。
IUCNでは2015年(平成27年)現在は日本では増加傾向、ロシア・台湾の再導入個体群は安定傾向にあるとされる[1]。中華人民共和国やベトナム・朝鮮半島では生息地の破壊、狩猟により生息数が激減している[1]。一方で中華人民共和国では、食用や薬用として多数の個体が飼育されている[1]。台湾では1969年に亜種タイワンジカの野生個体は絶滅したが、1988年に墾丁国家公園へ再導入された[1]。ベトナムでは国立公園内に飼育個体群は存在するが、1990年に2 - 4頭の報告例があるものの亜種ベトナムジカの野生個体は絶滅した可能性がある[1]。
過去には日本では1870年代 - 1940年代の乱獲により生息数が激減・分布域が分断化したが、1947年(昭和22年) - 1994年(平成6年)に主にメスの狩猟を厳重に規制する保護政策をとったことで生息数・分布域が増加した[16]。日本国内での国土に対する分布域の割合は1945年(昭和20年)は10 %以下、1978年(昭和53年)は約25 %、2003年(平成15年)は約40 %、2014年(平成26年)は50 %以上と推定されている[16]。2015年度末の本州以南の推定個体数は約304万頭(90 %信頼区間 約224万 - 456万頭)とされるが、2013年度末の約305万頭(90%信用区間 約194万 - 646万頭)と比較すると減少に転じた可能性があるとされている[15]。日本の環境省と農林水産省はニホンジカが急速に増加し生態系や農業等に深刻な被害を与えているとして、2013年(平成25年)よりニホンジカの個体数を2023年(令和5年)までに半減させる10年計画を定め、2014年(平成26年)から都道府県に捕獲を支援する交付金を与えた[17]。
東アジア以外では19世紀にイギリスのスコットランドや欧州各所に人為移入されたが、今となっては在来のアカシカと交雑する厄介な外来種として扱われている。またニュージーランドにも人為移入されており、自然生態系を壊すため管理のあり方が議論されている。
馬毛島のニホンジカ[編集]

馬毛島のニホンジカ(マゲシカ)は日本の環境省によれば絶滅のおそれのある地域個体群[18]。森林伐採による生息地の破壊により生息数は減少している[10]。馬毛島は以前は国の鳥獣保護区だったが、後に鹿児島県の鳥獣保護区となっている[10]。2000年(平成12年)における生息数は571頭、2010年(平成22年) - 2011年(平成23年)における生息数は255 - 277頭と推定されている[10]。
日本人と鹿[編集]


名称の由来[編集]
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シカを意味する日本語には、現在一般に使われる「しか」のほかに、「か」、「かのしし」、「しし」などがある。
地名などの当て字や、「鹿の子(かのこ)」「牝鹿(めか)」などの語に残るように、古くは「か」の一音でシカを意味していた。
一方、古くからの日本語で肉を意味する語に「しし」(肉、宍)があり[注釈 2]、この語はまた「肉になる(狩猟の対象となる)動物」の意味でも用いられたが、具体的にはそれは、おもに「か」=シカや「ゐ」=イノシシのことであった。 後に「か」「ゐ」といった単音語は廃れ、これらを指す場合には「しし」を添えて「かのしし」「ゐのしし」と呼ぶようになった[注釈 3]が、「かのしし」の方は廃語となって現在に至っている。 さらに、「鹿威し(ししおどし)」「鹿踊り(ししおどり)」にあるように、おそらくある時期以降、「しし」のみでシカを指す用法が存在している。
こうした一方で、「しか」という語も万葉集の時代から存在した。語源については定説がないが、「か」音は前述の「か」に求めるのが一般的である。一説に「せか」(「せ」(兄、夫)+「か」)の転訛と考え、もと「雄鹿」の意味であったとも、また、「しし」+「か」の変化したものかともいう。
同一の語が“けもの”を意味したり“シカ”を意味したりする現象は他の言語にも見られる。たとえば英語: deer に連なる古英語: dēor は元来“けもの”の意であったことが知られている(同源のドイツ語: Tierは現在でも"動物"の意味)。サンスクリットでも同様の現象があったという。こうした語義のゆれや変遷には多くの場合、シカが最も狩りやすく人間にとって身近な動物であったことが関係していたと考えられている。
日本文化における鹿[編集]
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奈良時代以前の宮中行事では、シカの肩甲骨に熱を加えて生じる亀裂から吉凶を占う太占が行われており、宮中行事の時期や方角を決める上で重要な役割を果たしていた。
「鹿」は秋の季語であり和歌などに詠まれ、歌集におさめられている。シカは秋に交尾期があり、この時期になるとオスは独特の声で鳴き角をつきあわせて戦うため人の注意を引いたのだろう。
- 奥山に 紅葉踏みわけ 鳴く鹿の 声聞くときぞ 秋は悲しき(猿丸大夫) 『小倉百人一首』(『古今和歌集』ではこの歌は「詠み人知らず」となっている)
- 下紅葉 かつ散る山の 夕時雨 濡れてやひとり 鹿の鳴くらむ(藤原家隆) 『新古今和歌集』
- 世の中よ 道こそなけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる(藤原俊成) 『千載和歌集』
花札の十月には、紅葉の木の側で雌鹿を恋慕って鳴いている雄鹿が描かれており、「紅葉に鹿」といわれている。鹿は雌雄の結束が強いために、この絵図には男女の仲と開運の願いが込められている。花札における「萩に猪」「紅葉に鹿」「牡丹に蝶」の三札は合わせて、猪鹿蝶(いのしかちょう)と呼ばれて、縁起が良い代名詞になっている。また無視することをしかとというのは花札での十月の鹿(鹿十 - シカトウ)が横を向いていることに由来する。
ニホンジカの夏毛は茶褐色に白い斑点が入った模様をしており、これは鹿の子(かのこ)と呼ばれ、夏の季語である。
2015年(平成27年)2月2日発行の20円普通切手の絵柄として採用された[19]。
なお、現代の日本における鹿のイメージは奈良公園にいる春日大社の「神鹿」や宮島を自由に歩き回る鹿によるところが多いが、そのイメージは鹿せんべいに群がる愛らしくおとなしい動物というようなものである。また、子供動物園で放し飼いにされている子鹿によるところもある。無論そのイメージは「かわいい」というものである。なお、子鹿は「バンビ」と呼ばれることが多いが、同名の児童文学はオーストリアの作品である。なお、ニホンジカの子供を「バンビ」と呼ぶのは誤用ではないが、「バンビ-『バンビ~林の中の暮らし』」はノロジカの子供をモデルにしているために、ニホンジカとは別種である。
鹿を題材とする音楽[編集]
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- 『鹿の遠音』(しかのとおね) 琴古流尺八の古典本曲として有名な曲。江戸時代より伝わる。深山に遠く響き渡る鹿の鳴き声をモチーフとしている。「連管」と呼ばれる二重奏でも奏され、この場合二つのパートが牡鹿と雌鹿に分かれ、互いに鳴き交わす様を表現するという。
- 『秋の曲』(あきのきょく) 箏曲。幕末に活躍した 吉沢検校作曲。歌詞として古今和歌集から六首を採るが、中に「山里は 秋こそことにわびしけれ 鹿の鳴く音に目を覚ましつつ」があり、箏で鹿の鳴き声を描写した奏法が用いられている。
先史・古代日本の鹿狩り[編集]
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縄文時代の人々の主な狩猟対象は鹿と猪であった。日本語の「シカ」という言葉の語源は肉(食肉)を意味する「シ」(シシ)と毛皮を意味する「カ」が合わさったものと考えられている。古代人がシカを衣食両方の重要な供給源として見なし、非常に近い距離で関わり合っていたことがうかがえる。
遺跡から出土するシカの遺存体を観察すると、頭蓋骨の後頭部が破壊されていたり、四肢骨が螺旋状に割られている状況から肉や内臓だけでなく、脳や骨髄も食用にされていたとみられている。また、細長い骨である中手骨や中足骨、堅く弾力性のある角などはヤスや銛、釣り針、弭、ヘアピン、垂飾品などの装飾品ほか、様々な道具の材料として利用されていた。シカの捕獲方法は様々であったと思われるが、縄文時代の早い時期には、陥し穴状の遺構が見つかっている。また、肩甲骨に石鏃が突き刺さったまま残っている遺物も出土しているので、弓矢を使用した狩猟が盛んに行われていたことが考えられる。他にヤスや銛などを使ったり、ワナを仕掛けたことも考えられる。当時の人々がシカをどのように考えていたかということは研究上の重要な問題である。縄文時代ではイノシシを模した土製品が少なからず出土しているが、反対にシカを模した土製品はこれまでひとつも見つかっていない。このことから、縄文時代において重要な狩猟動物であったイノシシとシカのうち、イノシシは当時の精神世界や観念上において一定の役割を果たしていたと考えられるが、シカは「単なる食料、もしくは道具の材料」という極めて実用的な役割であったと考えられている。
北海道ではイノシシが自然分布しないため、シカが主要な狩猟対象獣であったと考えられている。アイヌも同様にシカ(エゾシカ)はイヨマンテなどの儀礼に使用されず、また、シカの神(カムイ)そのものも存在しないと言われている。宗谷地方などエゾシカが稀な地域を除き、シカは単なる食料の対象であったと見られている(宗谷地方でのシカの扱いについては、更科源蔵の著作でも言及されている)。他方で伝承に措いては“ユカッテカムイ”即ちシカを支配する神が居て、その神がシカの骨を地上にばら撒く、或いはシカの魂が入った袋の口を緩める事で数多くのシカが地上に齎される、或いは捕らえたシカを粗末に扱う等のタブーを犯すとこの神の逆鱗に触れ、シカが地上に齎されなくなる、などの描写が多く確認できる。2007年(平成19年)、厚真町ニタップナイ遺跡の発掘調査において6㎡の範囲に25頭の上顎頭骨が見つかり、17世紀中葉のシカ送り儀礼の痕跡が確認されている。
弥生時代以降、本州では本格的な稲作農耕の開始に伴なう害獣駆除や農閑期の狩猟活動があったとはいえ、食料資源の中でシカの比重は相対的に低下したと考えられる。その一方で、この頃から、シカを「霊獣」として扱う傾向が芽生えてきたとも見られている。縄文時代とは反対に、シカは、銅鐸のモチーフとして登場するようになるが、一方でイノシシは銅鐸のモチーフとしては登場しない。1年ごとに生え替わる角が1年のなかで同じようなスケジュールで生育する稲と関わりがある、と考えられていたのであろう。日本の神話や伝承では豊作を願い、水田にシカの死体や血を捧げるような儀式が描かれることがある。この点でシカとイノシシは同じ農作物や田畑を荒らす(シカは稲籾そのものを食べてしまい、イノシシは稲をなぎ倒す)害獣ではあるが、シカの方が日本人の大部分が「農耕民族化」していくなかで「霊獣」としての地位を獲得していった。
天武天皇は675年(天武天皇4年)に、律令国家の大きな税収源である稲作を保護・促進するため、稲作に役立つ動物の保護を目的として牛馬犬猿鶏の肉食を、稲作期間である4月〜9月に限って禁止した。シカとイノシシは稲作の害獣と見なされたために肉食を禁じられていない。春日大社、 鹿島神宮、北口本宮冨士浅間神社のような古い神社で現代でも神鹿が飼われているのは日本人と鹿狩りの古い関わりの名残りである。
なお、鹿肉を「もみじ」ともいうがこれは前述の通り「鹿」は秋の季語であり、「秋」と「鹿が棲息する場所」で「紅葉(もみじ)」を連想させるため、そういわれるようになったといわれている。
春日大社・興福寺の鹿[編集]
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神の使いである神鹿(しんろく)として最も有名なのは奈良の春日大社・興福寺のシカである。春日大社の縁起によれば神鹿の由来は、主祭神である武甕槌命が元々の本拠である鹿嶋より春日大社のある三笠山に遷座した際に乗っていた白鹿が繁殖したものと伝えている。江戸時代まで神鹿殺しは重罪であり、犯人は死刑となった。現代においても交通事故など事故によるものを除いては、条例等で刑罰の対象となる。
上方落語の『鹿政談』は正にこの史実を元にした噺である。オカラ(卯の花)を食べに来た春日大社のシカを犬と誤って殺してしまった豆腐屋に対し、奉行はシカの死体を「あくまで角が生えているように見え、身体には鹿模様のある犬である」と言い張り、無罪放免にしたという筋書きである。
現在[いつ?]、春日大社周辺に生息する「奈良のシカ」は天然記念物として保護されている。
神社・仏閣の境内や庭園などで灯明用や常夜灯として用いられる灯籠(とうろう)のうち奈良県奈良市春日野町にある春日大社に献納された数多くの灯籠を総称して春日灯籠と呼ぶが、灯明を据える六角形の火袋(ひぶくろ)の部分に神鹿が浮彫りにされ笠の角部分に蕨手と呼ばれる巻き型のある石灯籠の型をとくに春日灯籠と呼ぶ。
占いと鹿[編集]
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古代日本で行われていた占いの一つに太占(ふとまに)があり、古事記や日本書紀にその記述がある。この占いでは鹿の骨(卜骨 - ぼっこつ)を用いることが多く、鹿卜(かぼく)とも呼ばれる。具体的には鹿の肩甲骨(少数ながら肋骨や寛骨も)を焼き、その亀裂の形や大きさで吉凶を判断した。このため鹿は聖獣として扱われていた。
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 『但馬情報特急―たじまのしぜん』~「タケニグサは海外では園芸植物です」に、鹿が食草とする記事がある。此のタケニグサは外用薬の薬草(病変部には大変良く効くのであるが,それ以外の部分に塗布をすると、逆に皮膚を傷める恐れがある)ではあるが、人にとって内服すると、麻酔薬(麻酔薬自体有毒物質を利用した医薬品で、使用量を間違えると、死亡する恐れがあるので華岡青洲が麻酔薬『通仙散=麻沸散※処方原料にチョウセンアサガオ(マンダラゲ)やトリカブト(ブシ)等の強い有毒成分を含む薬草(一般には毒草)が入っている』の処方や使用法を発表しては成らないとしたのも、麻酔事故を防ぐ目的であった。麻酔薬は神経を麻痺させて、痛みを感じさせない様にしたり、人為的に意識不明にして、手術の苦痛を感じさせない様にするので、執刀医の他に麻酔科医師が立ち会うのである)や有毒物質として作用する成分が含まれている。
- ^ 外来語である「獅子」とは別語。
- ^ ほかに、カモシカは「あおじし」であり、ウシは「たじし」などとも呼ばれた。
出典[編集]
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p Harris, R.B. 2015. Cervus nippon. The IUCN Red List of Threatened Species 2015: e.T41788A22155877. doi:10.2305/IUCN.UK.2015-2.RLTS.T41788A22155877.en. Downloaded on 06 September 2017.
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- ^ a b c d e f g h i j 大泰司紀之 「ニホンジカにおける分類・分布・地理的変異の概要」『哺乳類科学』第26巻 2号、日本哺乳類学会、1986年、13-17頁。
- ^ 『エゾシカは森の幸 人・森・シカの共生』p.63
- ^ Sika Deer: Biology and Management of Native and Introduced Populations. Springer Science & Business Media. (2008). pp. 28
- ^ a b c d e f 石井信夫 「馬毛島のニホンジカ」『レッドデータブック2014 -日本の絶滅のおそれのある野生動物-1 哺乳類』環境省自然環境局野生生物課希少種保全推進室編、株式会社ぎょうせい、2014年、124 - 125頁。
- ^ 『ツシマジカ』 - コトバンク
- ^ マゲシカの生息状況と保全上の課題、 日本鹿研究第12号p.39 2021年6月
- ^ 資料2 ヤクシカの生息状況について (PDF) 屋久島世界遺産地域科学委員会ヤクシカ・ワーキンググループ第1回会合
- ^ 永田純子・大泰司紀之・太子夕佳・伊吾田宏正「ロクジョウ(鹿茸)原材料種および亜種の再検討」『野生生物と社会』第7巻 1号、「野生生物と社会」学会 、2019年、11-21頁。
- ^ a b ニホンジカ等の生息や被害の現状・全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成27年度)・全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成29年度)(環境省・2017年9月6日に利用)
- ^ a b 永田純子, 明石信廣, 小泉透 「シンポジウム:シカと森林の管理」『哺乳類科学』第56巻 2号、日本哺乳類学会、2016年、215-224頁, doi:10.11238/mammalianscience.56.215
- ^ 全国のニホンジカ及びイノシシの個体数推定等の結果について(平成30年度)
- ^ 鹿児島県レッドリスト改訂の主なポイント
- ^ “新デザインの普通切手の発行”. 2023年1月31日閲覧。
参考文献[編集]
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- 高槻成紀 (2006), シカの生態誌, Natural History Series 480, 東京大学出版会, ISBN 4-13-060187-3
- 小宮輝之 (2010), 日本の哺乳類, フィールドベスト図鑑 11 (増補改訂版 ed.), 学研教育出版, ISBN 9784054044371
- 今泉吉典 (1960), 原色日本哺乳類図鑑, 保育社, pp. 186