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五味國枝

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ごみ くにえ
五味 國枝
五味 國枝
1925年、満20歳ころの写真。
本名
別名義 五味 くにえ
五味 久仁子 (ごみ くにこ)
五味 くに子
生年月日 (1905-04-10) 1905年4月10日
没年月日 不詳年
出生地 日本の旗 日本 大阪府大阪市南区難波新地(現在の同府同市中央区難波
職業女優
ジャンル 新派劇映画時代劇現代劇剣戟映画サイレント映画トーキー
活動期間 1924年 - 1933年
配偶者 沼田善太郎(死別)
著名な家族 五味國太郎(実父)
五味國男(実兄)
主な作品
嵐に立つ女
鞍馬天狗
鞍馬天狗 恐怖時代
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五味 國枝(ごみ くにえ、1905年4月10日 - 没年不詳)は、日本の元女優である [1][2][3][4][5][6][7][8][9]。新漢字表記五味 国枝[1][4][5][6][7][8][9]。本名同じ[2][3]五味 くにえ五味 久仁子(ごみ くにこ)、五味 くに子等と表記されることがあった[5][7][10]サイレント映画時代の剣戟映画で活躍し「天才」と呼ばれ、さまざまな撮影所に請われて転々としたが、生活のためでもあった[1][4][10]

人物・来歴

1905年明治38年)4月10日大阪府大阪市南区難波新地五番町(現在の同府同市中央区難波)に生まれる[1][2][3][4]。実父は新派俳優の五味國太郎(本名同じ、1875年 - 1922年)[11]、実兄は五味國男(本名小崎久雄、1898年 - 没年不詳)である[1][2][3][4]

現在の大阪市中央区難波3丁目25番2号にかつて存在した大阪市立精華小学校(当時旧制小学校、1995年閉校・統合されて大阪市立南小学校)を卒業する[1][4]。満17歳の誕生日を迎えた18日後、1922年(大正11年)4月28日、実父を亡くす[11]。翌1923年(大正12年)、帝国キネマ演芸が製作し、同年3月1日に公開された、小田照葉(高岡智照)と兄の五味國男の主演作『愛の扉』(監督中川紫郎)に「五味 久仁子」の名で出演している[5][12]。その後、1924年(大正13年)、松竹下加茂撮影所に入社、同年5月1日に公開された『心中重井筒』(監督賀古残夢)に出演、「五味 國枝」の名で正式にデビューした[1][4]。1925年(大正14年)、時代劇も製作するようになった、東京の松竹蒲田撮影所に異動になり、同年10月8日に公開された『虎徹の斬れ味』(監督清水宏)等に出演した[1][4][5][6]。同年に発表された『裸にした映画女優』という書物のなかに兄・國男の項目があり、そこで國枝に触れ、「妹に天才五味くに子がある」と記述されている[10]

1926年(大正15年)には、当時松竹キネマと配給提携していた、京都・太秦阪東妻三郎プロダクションに招かれ、同年6月10日[5](6月3日[6])に公開された『幕末』(監督宇沢芳幽貴)に出演、主演の阪東妻三郎の相手役に抜擢された[1][4][5][6]。同11月17日に公開された、東亜キネマ甲陽撮影所製作による『生さぬ仲』(監督西本武二)に主演した記録が残っているが[6]、基本的には阪東妻三郎プロダクション太秦撮影所の作品に出演しており、同撮影所内に設立された阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画が製作する阪東妻三郎が出演しない映画、1927年(昭和2年)2月4日公開の『笑殺』(監督川浪良太)や、同年4月1日・4月8日に公開された現代劇『嵐に立つ女』前・後篇(監督小沢得二)に主演した[1][4][5][6]。『嵐に立つ女』は非常に評価が高かったが、同年、同作を最後に同社を退社し、芸者に転向している[1][4]

しかしながら同年、奈良のあやめ池撮影所で映画製作をしていた市川右太衛門プロダクションに請われて映画界に復帰、同年9月29日・10月7日に公開された『狂血』前・後篇(監督大伴麟三)に出演した[1][4][5][6]。翌1928年(昭和3年)には、嵐寛寿郎プロダクションに招かれて、同年7月12日に公開された『鞍馬天狗』(監督山口哲平)および同年11月30日に公開された『鞍馬天狗 恐怖時代』(監督山口哲平)で「暗闇のお兼」役を演じ、同年11月10日[5](11月14日[6])に公開された『安政巷談 黄総の十手』(監督山口哲平)では、嵐寛寿郎の相手役として「緋牡丹のお竜」役を演じた[1][4][5][6]。同年末には市川右太衛門プロダクションに戻り、1929年(昭和4年)3月2日に公開された『野良犬』(監督悪麗之助)等に出演した[1][4][5][6]。同年後半には同社を退社、河部五郎率いる一座に参加[1][4]、同年10月には、京都・日出会館で行われた同一座の公演に出演、金子洋文が演出した『沓掛小唄』(上田新三郎)と『月形半平太』(行友李風)に出演した記録が残っている[13]

1930年(昭和5年)には、東京・巣鴨河合映画製作社に入社、多くの作品で葉山純之輔の相手役をはじめ、主演した[1][4][5][6]。同年12月12日に公開された『仇討呪文』(監督石山稔)や、1932年(昭和7年)3月18日に公開された『憶ひ起せ乃木将軍』等、兄・五味國男の主演作では、「兄妹共演」を果たしている[1][4][5][6]。同年6月、同社を退社した[1][4]。記録に残る同社での最後の作品は、同年7月1日に公開された『新釈加賀騒動』(監督石山稔)であった[5][6]

河合退社以降は、京都の御室撮影所に高村正次が設立した宝塚キネマ興行が製作・配給し、1933年(昭和8年)1月15日に公開した『紅騎一番隊』(監督後藤岱山)に出演したが、同作を最後に芸能界から引退[5][6]。その7年後、1940年(昭和15年)に沼田善太郎と結婚して家庭の人となり、1女をもうけたが、沼田とは第二次世界大戦終結後の1980年(昭和55年)1月30日に死別した[1]。同年12月31日に発行された『日本映画俳優全集・女優編』(キネマ旬報社)の五味の項には、存命人物として東京都江東区平野一丁目の連絡先が示されているが、すでに引退しており、以後の消息は伝えられていない[1]没年不詳

フィルモグラフィ

鞍馬天狗 恐怖時代』(1928年)、公開時満23歳。
同上。

クレジットはすべて「出演」である[5][6]。公開日の右側には役名[5][6]、および東京国立近代美術館フィルムセンター(NFC)、マツダ映画社所蔵等の上映用プリントの現存状況についても記す[9][14]。同センター等に所蔵されていないものは、とくに1940年代以前の作品についてはほぼ現存しないフィルムである。資料によってタイトルの異なるものは併記した。

帝国キネマ演芸

製作・配給は「帝国キネマ演芸」、サイレント映画である[5][6]

松竹下加茂撮影所

すべて製作は「松竹下加茂撮影所」、配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画である[5][6]

松竹蒲田撮影所

すべて製作は「松竹蒲田撮影所」、配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画である[5][6]

阪東妻三郎プロダクション

すべて製作は「阪東妻三郎プロダクション」、配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画である[5][6]

  • 乱闘の巷』 : 監督・脚本安田憲邦、原作青木緑園、主演阪東妻三郎、撮影石川東橘、1926年12月31日公開 - 役名不明、15分尺で現存(マツダ映画社蔵[14]
  • 富士に立つ影』(『富士に立つ影 第一篇』[6]) : 監督陸大蔵(悪麗之助)、原作白井喬二、脚本田中純一郎、1926年撮影開始直前製作中止 - 召使お藤[6][15]

阪妻・立花・ユ

すべて製作は「阪妻・立花・ユニヴァーサル聯合映画」、配給は「ユニヴァーサル映画」、すべてサイレント映画である[5][6]

市川右太衛門プロダクション

特筆以外すべて製作は「市川右太衛門プロダクション」(あやめ池撮影所)、配給は「松竹キネマ」、すべてサイレント映画である[5][6]

河合映画製作社

すべて製作・配給は「河合映画製作社」、すべてサイレント映画である[5][6]

宝塚キネマ興行

すべて製作・配給は「宝塚キネマ興行」、すべてサイレント映画である[5][6]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t キネマ旬報社[1980], p.104.
  2. ^ a b c d 映画世界社[1928], p.89.
  3. ^ a b c d 映画世界社[1929], p.116.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 五味国枝jlogos.com, エア、2013年6月7日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 五味国枝五味久仁子日本映画データベース、2013年6月7日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn 五味国枝、日本映画情報システム、文化庁、2013年6月7日閲覧。
  7. ^ a b c d e 五味国枝五味久仁子allcinema, 2013年6月7日閲覧。
  8. ^ a b 五味国枝KINENOTE, 2013年6月7日閲覧。
  9. ^ a b c d e 五味国枝東京国立近代美術館フィルムセンター、2013年6月7日閲覧。
  10. ^ a b c 泉沢[1925], p.123-124.
  11. ^ a b デジタル版 日本人名大辞典+Plus『五味国太郎』 - コトバンク、2013年6月11日閲覧。
  12. ^ 報知[1925], p.248.
  13. ^ 国立[2003], p.66.
  14. ^ a b c d 主な所蔵リスト 劇映画 邦画篇マツダ映画社、2013年6月7日閲覧。
  15. ^ 富士に立つ影、日本映画データベース、2013年6月7日閲覧。

参考文献

関連項目

外部リンク