論地駅
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論地駅 | |
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ろんじ Ronji | |
◄大隅高山 (2.4 km) (1.8 km) 吾平► | |
所在地 | 鹿児島県肝属郡肝付町後田 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 大隅線 |
キロ程 | 23.9 km(志布志起点) |
電報略号 | ロン |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1920年(大正9年)12月23日[1] |
廃止年月日 | 1987年(昭和62年)3月14日[1] |
備考 | *廃止当時は高山町 |
論地駅(ろんじえき)は、鹿児島県肝属郡高山町(現在の肝付町)後田にかつて設置されていた、日本国有鉄道(国鉄)大隅線の駅(廃駅)である。大隅線の廃止に伴い、 1987年(昭和62年)3月14日に廃駅となった。
歴史
大隅鉄道により開設された駅で、当初は762 mm軌間の軽便鉄道の駅であった。1935年(昭和10年)に国有化され、1938年(昭和13年)に1,067 mm軌間へ改軌された。第二次世界大戦末期に一旦営業が休止されたが、戦後再開された。再開当初、駅員が4人配置されていたが、利用が少ないため2年ですぐに2人へ減らされ、さらに1955年(昭和30年)には無人化されていた。
年表
- 1920年(大正9年)12月23日:大隅鉄道の鹿屋 - 高山(後の大隅高山)間開通時に開業[1]。
- 1935年(昭和10年)6月1日:鉄道省により国有化、古江線の駅となる。
- 1936年(昭和11年)10月23日:古江線の路線名改称により、古江西線の駅となる。
- 1938年(昭和13年)10月10日:1,067 mm軌間への改軌工事完成、古江東線と古江西線を合わせて古江線とする。
- 1945年(昭和20年)6月20日:営業休止[1]。
- 1947年(昭和22年)10月7日:営業再開[1]、駅員4人配置。
- 1949年(昭和24年)4月:駅員2人に減。
- 1955年(昭和30年)4月1日:荷物扱い廃止[1][2]。駅員無配置駅となる[3]。
- 1972年(昭和47年)9月9日:志布志駅 - 国分駅間全通に伴い古江線が大隅線に改称され、同線の駅となる。
- 1979年(昭和54年):駅舎改築[4]。
- 1987年(昭和62年)3月14日:大隅線の全線廃止に伴い、廃駅となる[1]。
廃止時の構造
隣の駅
脚注
参考文献
- 高山郷土誌編纂委員会『高山郷土誌』1966年