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川原誠 (裁判官)

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川原 誠
かわはら まこと
生年月日 (1940-11-17) 1940年11月17日(83歳)[1]
出生地 日本の旗 日本愛知県[1]
国籍 日本の旗 日本

任期 1999年7月12日[2] - 2001年2月27日[2]
前任者 大内捷司
後任者 熊田士朗

任期 2001年2月28日[2] - 2002年3月9日[2]
前任者 福田晧一
後任者 羽渕清司
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川原 誠(かわはら まこと、1940年昭和15年〉11月17日 - )は、日本の元裁判官[1]愛知県出身[1]名古屋大学卒。

経歴

第20期司法修習生(司法修習地は名古屋[1]。1965年(昭和40年)9月の司法試験に合格し、1966年(昭和41年)4月 - 1968年(昭和43年)4月まで司法修習を受けていた[1]

1968年(昭和43年)4月5日に金沢地方裁判所判事補として赴任し[2]2005年平成17年)11月17日をもって定年退官した[2]

主な担当訴訟

脚注

注釈

  1. ^ 法定刑である無期懲役求刑に対し、自首を認定して減軽したもの。

出典

  1. ^ a b c d e f 公人社 1998, p. 138.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 裁判官情報 川原誠”. 新日本法規WEBサイト. 新日本法規 (2021年3月9日). 2021年6月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年6月27日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 中日新聞』2005年10月15日朝刊第二社会面36頁「遺族癒えぬ悲しみ あの子は帰らない」(中日新聞社
  4. ^ 佐木隆三 1991, p. 227.
  5. ^ 佐木隆三 1991, p. 299.
  6. ^ 北日本新聞』1988年2月5日朝刊第二社会面20頁「富山、長野連続誘拐殺人 8年目の審判 12 裁判官 30回超す出張尋問 8人がかりで公判193回 氷点下の歩行検証」(北日本新聞社 社会部:斉藤寿記者、忠田憲美記者)
  7. ^ 中日新聞』2005年10月15日朝刊一面1頁「元少年3人に死刑判決 連続リンチ殺人 『役割に大差ない』名高裁 2人無期の一審破棄」「死刑積極適用に動く」「判決理由の骨子」「控訴審の認定事実」(中日新聞社)
  8. ^ 『中日新聞』2017年4月5日朝刊第二社会面26頁「『少年と罪 木曽川・長良川連続リンチ殺人事件』 6『議論尽くし 全員極刑』」(中日新聞社)

参考文献

  • 佐木隆三『女高生・OL連続誘拐殺人事件』 さ-5-12、560号(初刷)、徳間書店徳間文庫〉、1991年9月15日(原著1987年5月31日)。ISBN 978-4195993804NCID BN13987358国立国会図書館書誌ID:000002162477  - 富山・長野連続女性誘拐殺人事件を題材にした書籍。
  • 日本民主法律家協会司法制度委員会 編『全裁判官経歴総覧 第三版[第一分冊] 期別異動一覧編』(第3版第1刷発行)公人社、1998年4月1日、138-139頁。ISBN 978-4906430581NCID BA35371920国立国会図書館書誌ID:000002813261  - (1987年12月10日・第1版第1刷発行 / 1990年12月10日・第2版第1刷発行)

関連項目

先代
大内捷司
福井地方裁判所長
1999年 - 2001年
次代
熊田士朗
先代
福田晧一
津地方裁判所長
2001年 - 2002年
次代
羽渕清司