勝田清孝事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

勝田清孝事件(かつたきよたかじけん)は、1972年から1983年にわたって発生した連続殺人事件である。8人を殺害し、1994年に死刑判決、2000年に執行された。

概要[編集]

勝田 清孝(かつた きよたか、1948年8月29日 - 2000年11月30日)は、1972年から1983年まで約10年間にわたり凶悪犯罪を繰り返し、犯行方法も次第にエスカレートしていった。警察官交通事故で呼び出し、駆けつけた警察官をで轢き、銃を盗むという過激な犯行にもおよび、1982年10月31日から翌日にかけてその拳銃で、高速道路サービスエリアから強引にヒッチハイクして乗り込んだ車の運転手を射殺、この一連の犯行で警察庁は「警察庁広域重要指定113号事件」に指定した。この取り調べの過程で、これ以外の7件の殺人事件を自供した[1]

殺人については22件について疑われ、勝田本人も22人を殺害したと自供したものの、14件は確証がなかったため立件されず、勝田による殺人と断定されているのは広域重要指定113号事件での1人とそれ以外の事件の7人の計8人のみである。また、勝田による犯行の多くは当初同一犯人による事件ではないと思われていた。

1994年に7件の強盗殺人事件と1件の強盗殺傷事件により最高裁で死刑が確定、2000年に20世紀最後の死刑として執行された[2]。被害者8名は、連続殺人事件としては戦後日本の裁判史上、古谷惣吉事件、大久保清事件と並び、歴代一位[3](連続でない死者数最多は2017年時点で相模原障害者施設殺傷事件)。

広域重要指定113号事件[編集]

113号事件以外の殺人事件[編集]

  • 1972年9月13日、京都市でクラブホステス殺害。
  • 1975年7月6日、吹田市でクラブママ殺害。
  • 1976年3月5日、名古屋市でクラブホステス殺害。
  • 1977年6月30日、名古屋市で麻雀荘アルバイト店員女性殺害。
  • 1977年8月12日、名古屋市で美容師の女性殺害。
  • 1977年12月13日、神戸市で労金職員の男性殺害。現金輸送中に450万円強奪[1]
  • 1980年7月31日、名古屋市でスーパーマーケットの男性店員殺害。事務所内で540万円強奪[1]

生い立ち[編集]

勝田は京都府相楽郡木津町(現・木津川市)に農家の長男として生まれる。家は比較的裕福だった[2]。高校時代は吹奏楽部に所属し、小遣いの多い部員と張り合うために校内食堂で食券を盗んで友人らにおごったりしたほか、車両の窃盗、盗品の販売、バイク走行中に女性の頭を竹の棒で殴打して金品を奪うひったくり、車上荒らし、売店荒らしなどの犯罪を働いていた[1]。高校在学中にひったくりで逮捕、大阪府の和泉少年院に送致された。退院後、職を転々とした隣町の1歳下の女性と付き合い結婚を考えるが「少年院帰りとは一緒にはできない」と女性の両親に断られ、勝田の両親も「家の格が違う」と反対する。このためか2人は大阪へ駆け落ちした。奈良の運送会社で働き始めた後に両家の承諾を得て結婚し、子供が生まれた。

前歴を隠して23歳で消防職員採用試験に合格する(前歴については直後に職場からも把握されるが、それにより懲戒免職となることはなかった)。真面目な仕事ぶりで評価が高かったが、愛人や車などで金遣いが荒く借金の穴埋めのために長距離輸送のアルバイトを始め、それと同時期に空き巣を始める。また、この時期に近隣の銀行で女子行員暴行殺害事件が起こるが、警察が勝田に疑惑の目を向け、その度に勝田は警察への不信と、うまくいかない人生への不満を募らせていた。

水商売の女性のバッグには大金が入っていることが多いのに気付いた勝田は、クラブのホステスを狙いひったくりを繰り返すようになる。狙った女性から騒がれると容赦なく殺害した。勝田が殺害した5人の女性には、いずれも複雑な人間関係があり、事件によりそれが発覚したために離婚や失職した者もいる。大金を盗まれた形跡がないことから警察は被害者の顔見知りによる怨恨や痴情のもつれを動機とする犯行との判断から捜査を進めていたことから被害は拡大した。その裏で、勝田の借金はさらに膨らんでいった。

1974年、勝田は消防副士長となったのを機に、父親に賭博で負けたと嘘をつき200万円の借金を肩代わりしてもらって借金清算するも車と酒と愛人の誘惑に勝てず、再び借金が増えていった。表彰20回、全国競技大会に2年連続入賞という実力で消防士長に昇格した頃には、昼間は真面目な消防隊員、夜は強盗殺人犯に変貌していた。虚飾な性格は変わらず、1980年7月にはスーパーの強盗殺人で得た金で280万円のトランザムと50万円のゴルフ会員権を購入し、同年11月に車上荒らしで逮捕されて消防士を免職となる[1]。収入がないにもかかわらず、1982年には愛人と同棲を始め、ガゼールトヨタクラウンスーパーサルーンを購入するなど羽振りのよさを装い、両親や盗みによる金で借金を清算してはまた借金するという生活をおくる[1]

全国競技大会出場のころなど殺人も空き巣も行っていなかった時期があるのは、本職の消防士として責任ある地位についていたこと、また愛人の存在を知った妻が自殺未遂を起こし、愛人や車に費やす金の工面どころではなかったからと後日、自供している。長距離輸送のアルバイトの間に空き巣や殺人を繰り返し、10年間で約300件に及ぶ窃盗強盗殺人を起こした後、ようやく勝田は逮捕された。詳細な自供により、勝田の数々の犯行が明らかになった。

勝田は1972年から1980年までに7人を殺害した件と、1982年に警察官から奪った銃で警察庁広域重要指定113号事件を起こした件で2つの死刑判決を受けた。獄中で視力障害者のための点字翻訳ボランティアをしていた[4]。 死刑確定後の1994年1月17日、支援者来栖宥子の実母(藤原姓)と養子縁組し「藤原清孝」となり、来栖は義理の姉となった。2000年11月30日午前11時38分に勝田の死刑が執行された。それに先立って自らの遺骨や所有物を全て燃す旨の遺言を遺した。

1977年7月6日には殺人事件から6日後にクイズ番組『夫婦でドンピシャ!』に出場して優勝したというエピソードも残る(放映日は8月20日)[5]

関連書籍[編集]

  • 『勝田清孝の冷血』(現代書林、大下英治、1983年) - 後に人物の名前を少し変えて『連続殺人鬼 冷血』として映画化された。殺人者役は中山一也
  • 『冥晦に潜みし日々』(創出版、勝田清孝、1987年) - 本人による著作。現在は絶版。
  • 『113号事件 勝田清孝の真実』(恒友出版、来栖宥子、1996年) - 勝田の私信を掲載。

関連項目[編集]

注釈及び引用[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ a b c d e f 連続強盗殺人事件の犯罪社会学的研究一事件報道ならびに捜査にともなう被害にも言及して鮎川潤、金城学院大学論集、‎1993
  2. ^ a b 『20世紀名言集大犯罪者篇』p136犯罪心理研究所、情報センター出版局、 2001
  3. ^ 『判決から見る 猟奇殺人ファイル』p28丸山佑介、彩図社, 2009
  4. ^ 佐久間哲、『死刑に処す-現代死刑囚ファイル-』、自由国民社
  5. ^ 『悪い奴ら、最期の言葉 --断末魔の叫び100選』p39鉄人社編集部 鉄人社 (2015/8/7)

外部リンク[編集]