コンテンツにスキップ

堀江芳介

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

2021年3月22日 (月) 08:47; ナカジン (会話 | 投稿記録) による版(日時は個人設定で未設定ならUTC

(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)

堀江 芳介(ほりえ よしすけ[1] / ほうすけ[2][3]1845年4月9日弘化2年3月3日[1][2]) - 1902年明治35年)3月27日[1][2][注 1])は、日本の陸軍軍人政治家。最終階級は陸軍少将元老院議官衆議院議員錦鶏間祗候

経歴

[編集]

周防国で、長州藩家老浦靱負家臣、堀江伝蔵の長男として生まれる[2]奇兵隊士となり戊辰戦争に従軍[2]。大坂兵学校を経て、1872年1月16日明治4年12月7日)、陸軍中尉任官[2][4]1875年(明治8年)6月、陸軍教導団次長に就任[2][4]1877年(明治10年)3月、別働第2旅団参謀長となり西南戦争に出征[1][2][4][5]1878年(明治11年)11月、歩兵大佐に進み、同年12月、参謀本部管東局長に就任した[2][4]1880年(明治13年)10月、近衛局参謀長を兼務[2][4]

1883年(明治16年)1月、陸軍戸山学校次長となり、同年2月、陸軍少将に昇進し同校校長に就任した[1][2][4][5]1885年(明治18年)5月、近衛歩兵第1旅団長に転じた[1][2][4][5]月曜会事件により、1886年(明治19年)7月、歩兵第6旅団長に発令(未赴任)され、同年8月、休職となり、さらに1888年(明治21年)12月、予備役に編入された[2][4][5]。同月から1889年(明治22年)10月まで欧州に出張した[2]

1888年(明治21年)11月、元老院議官に就任[2]1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙に山口県第4区から出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた[3]。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる[6]。さらに、1895年(明治28年)9月、山口県伊保庄南村(のち阿月村、現在柳井市阿月)村長に就任し、1898年(明治31年)9月まで在任[2]。その他、熊毛郡会議員を務めた[2]

栄典

[編集]
位階
勲章

親族

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 『日本陸軍将官辞典』653頁では3月24日。

出典

[編集]
  1. ^ a b c d e f 『日本人名大辞典』1697頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、142頁。
  3. ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』574頁。
  4. ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』15頁。
  5. ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』653-654頁。
  6. ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
  7. ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
  8. ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
  9. ^ a b 『官報』第5614号「叙任及辞令」1902年3月26日。
  10. ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。
  11. ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、140頁。

参考文献

[編集]
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 上田正昭他『日本人名大辞典』講談社、2001年。
  • 衆議院・参院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。