堀江芳介
堀江 芳介(ほりえ よしすけ[1] / ほうすけ[2][3]、1845年4月9日(弘化2年3月3日[1][2]) - 1902年(明治35年)3月27日[1][2][注 1])は、日本の陸軍軍人、政治家。最終階級は陸軍少将。元老院議官、衆議院議員、錦鶏間祗候。
経歴
[編集]周防国で、長州藩家老・浦靱負家臣、堀江伝蔵の長男として生まれる[2]。奇兵隊士となり戊辰戦争に従軍[2]。大坂兵学校を経て、1872年1月16日(明治4年12月7日)、陸軍中尉任官[2][4]。1875年(明治8年)6月、陸軍教導団次長に就任[2][4]。1877年(明治10年)3月、別働第2旅団参謀長となり西南戦争に出征[1][2][4][5]。1878年(明治11年)11月、歩兵大佐に進み、同年12月、参謀本部管東局長に就任した[2][4]。1880年(明治13年)10月、近衛局参謀長を兼務[2][4]。
1883年(明治16年)1月、陸軍戸山学校次長となり、同年2月、陸軍少将に昇進し同校校長に就任した[1][2][4][5]。1885年(明治18年)5月、近衛歩兵第1旅団長に転じた[1][2][4][5]。月曜会事件により、1886年(明治19年)7月、歩兵第6旅団長に発令(未赴任)され、同年8月、休職となり、さらに1888年(明治21年)12月、予備役に編入された[2][4][5]。同月から1889年(明治22年)10月まで欧州に出張した[2]。
1888年(明治21年)11月、元老院議官に就任[2]。1890年(明治23年)7月の第1回衆議院議員総選挙に山口県第4区から出馬し当選し、衆議院議員を1期務めた[3]。1890年10月20日、錦鶏間祗候となる[6]。さらに、1895年(明治28年)9月、山口県伊保庄南村(のち阿月村、現在柳井市阿月)村長に就任し、1898年(明治31年)9月まで在任[2]。その他、熊毛郡会議員を務めた[2]。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『日本陸軍将官辞典』653頁では3月24日。
出典
[編集]- ^ a b c d e f 『日本人名大辞典』1697頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 『日本陸海軍総合事典』第2版、142頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』574頁。
- ^ a b c d e f g h 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』15頁。
- ^ a b c d 『日本陸軍将官辞典』653-654頁。
- ^ 『官報』第2195号、明治23年10月22日。
- ^ 『官報』第1003号「叙任及辞令」1886年11月1日。
- ^ 『官報』第3266号「叙任及辞令」1894年5月22日。
- ^ a b 『官報』第5614号「叙任及辞令」1902年3月26日。
- ^ 『官報』第2251号「叙任及辞令」1890年12月27日。
- ^ 『日本陸海軍総合事典』第2版、140頁。