古谷清

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古谷 清(ふるや きよし、1878年明治11年)10月28日[1][2] - 1945年昭和20年)11月21日[1][2])は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

経歴[編集]

東京府出身[1][2][3]。古谷浜吉の長男として生れる[1]。東京府立四中(現東京都立戸山高等学校)を経て、1898年(明治31年)11月、陸軍士官学校(10期)を卒業[1][2][4]。翌年6月、砲兵少尉に任官し野砲兵第1連隊付となる[1][4]。1909年(明治42年)12月、陸軍大学校(21期)を卒業し参謀本部員となる[1][2][3]

その後、ロシア駐在、野砲兵第15連隊大隊長、支那政府応聘、野砲兵第19連隊大隊長、陸軍野戦砲兵射撃学校教官、ロシア軍従軍、ロシア大使館武官などを務め、 1919年(大正8年)7月、歩兵大佐に昇進[1][3]。同年10月、参謀本部付として欧州に出張し、第一次世界大戦ヨーロッパ戦線の情報収集に従事した[1][2][3]。その後、野戦重砲兵第2連隊長、陸軍省軍務局砲兵課長、陸軍野戦砲兵学校教育部長を務め、1923年(大正12年)10月、陸軍少将に進級[1][2][3]

1924年(大正13年)2月、陸軍航空部付として航空畑に転じ、陸軍航空本部総務部長、所沢陸軍飛行学校長を務め、1929年(昭和4年)8月、陸軍中将に進み、1930年(昭和5年)6月、航空本部長に就任した[1][2][3]。1931年(昭和6年)8月、待命となり予備役に編入された[1][2][3]。その後、国粋会理事を務めた[1]

栄典[編集]

位階
勲章

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n 『日本陸海軍総合事典』第2版、140頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『日本陸軍将官辞典』645頁。
  3. ^ a b c d e f g 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』149頁。
  4. ^ a b 『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』147、149頁。
  5. ^ 『官報』第5587号「叙任及辞令」1902年2月21日。
  6. ^ 『官報』第1431号「叙任及辞令」1931年10月5日。
  7. ^ 『官報』第506号「叙任及辞令」1928年9月1日。

参考文献[編集]

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。