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1979年熊本県会議員選挙
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改選数
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56
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選挙制度
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中選挙区制
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有権者数
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1,033,873
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選挙後の党派別勢力図
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投票率
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75.61% ( 2.11%)
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第1党
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第2党
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第3党
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政党
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自由民主党 |
日本社会党 |
公明党
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選挙前議席
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42 |
5 |
3
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獲得議席
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35 |
5 |
3
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議席増減
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7 |
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得票数
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449,437 |
74,572 |
33,527
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得票率
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58.26% |
9.67% |
4.35%
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第4党
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第5党
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第6党
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政党
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日本共産党 |
新自由クラブ |
民社党
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選挙前議席
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1
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0
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0
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獲得議席
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1
|
1
|
1
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議席増減
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1
|
1
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得票数
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13,144
|
11,150
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10,800
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得票率
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1.70%
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1.45%
|
1.40%
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1979年熊本県会議員選挙(1979ねんくまもとけんかいぎいんせんきょ)は、熊本県の議決機関である熊本県議会を構成する議員を全面改選するために行われる選挙で、第9回統一地方選挙の前半戦投票日である4月8日に投票が行われた。
熊本県議会議員の任期(4年)が満了したことによる選挙である。国勢調査の結果に基づき、熊本市で定数が1増、下益城郡で定数が1減となり、県全体では定数は変わらず56議席が本選挙で改選されることとなった。24選挙区56議席に対し82名が立候補したが、6選挙区・9名が無投票当選となり、残る18選挙区73名によって選挙戦が行われた[1]。
また、今回選挙からポスター掲示板が設置されることとなり、選挙運動の公営化がはじめて実現された[2]。
自民党は現職7人が落選する大打撃を受けたものの、無所属で当選した10人のうち8人が12月までに自民党へ入党し、議会内の絶対多数は変わらなかった。しかし、民社党と新自由クラブがはじめて議席を獲得し、熊本県議会においても多党化が目立つ結果となった[3]。
基礎データ[編集]
- 選挙事由:任期満了
- 告示日:1979年3月27日
- 投票日:1979年4月8日
- 議員定数:56名
- 選挙区:24選挙区
- 候補者数:82名
選挙結果[編集]
党派別当選者数及び得票数
党派
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議席数
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得票
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現
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元
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新
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改選前
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計
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得票数
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得票率
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自由民主党
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29
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0
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6
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42
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35
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449,437
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58.26%
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|
日本社会党
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3
|
0
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2
|
5
|
5
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74,572
|
9.67%
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|
公明党
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3
|
0
|
0
|
3
|
3
|
33,527
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4.35%
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日本共産党
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1
|
0
|
0
|
1
|
1
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13,144
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1.70%
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新自由クラブ
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0
|
0
|
1
|
0
|
1
|
11,150
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1.45%
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民社党
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0
|
0
|
1
|
0
|
1
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10,800
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1.40%
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|
無所属
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0
|
0
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10
|
3
|
10
|
178,849
|
23.18%
|
合計
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36
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0
|
20
|
54
|
56
|
771,479
|
100.00%
|
投票者数(投票率)
|
781,672
|
75.61%
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有権者数
|
1,033,873
|
100.00%
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出典:『熊本県の選挙50年の歩み』[4]
当選者[編集]
自民党
社会党
公明党
共産党
新自由クラブ
民社党
無所属
参考文献[編集]
- 熊本県議会事務局 編『熊本県議会史 第八巻』熊本県議会、2017年。
- 熊本県選挙管理委員会『熊本県の選挙50年の歩み』熊本県選挙管理委員会、1999年。