鴻型水雷艇

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鴻型水雷艇
竣工直後の「雉」(1937年7月31日)[1]
竣工直後の「雉」(1937年7月31日)[1]
基本情報
種別 水雷艇[2]
命名基準 鳥の名
運用者  大日本帝国海軍
計画数 16隻[3]
建造数 8隻[3]
前級 千鳥型水雷艇
次級 -
要目 (竣工時計画)
基準排水量 840英トン[4]
公試排水量 960トン[4][5]、または計画1,020.30トン[6]
満載排水量 計画 1,124.30トン[7]
全長 88.50m[6]
水線長 85.00m[6][4]
垂線間長 83.00m[6]
水線幅 8.18m[6][4][注釈 1]
深さ 4.85m[6]
吃水 公試平均 2.76m[4]、または公試計画 2.858m[6]
満載計画 3.063m[6]
ボイラー ロ号艦本式缶(空気余熱器付[4])2基[8]
主機 艦本式タービン(高中低圧[4])2基[8]
推進器 2軸 x 520rpm[8]
直径2.300m、ピッチ2.350m[9]
出力 19,000馬力[6][8]
速力 30.5ノット[6]
航続距離 4,000カイリ / 14ノット[6]
燃料 重油 245トン[6]
乗員 計画乗員 129名[10]
鴻竣工時定員 127名[11]
1937年6月定員 125名[12]
兵装 40口径十一年式12cm単装砲(M型砲) 3門[14]
40mm機銃1挺[15][5]
11mm軽機銃1挺[14]
(53cm)九四式3連装発射管 1基3門[16]
六年式魚雷 3本[16]
九四式爆雷投射機1基、装填台1基[16]
爆雷投下台 水圧三型2基、手動一型4基[16]
爆雷18個[16]
搭載艇 6m内火艇1隻、6mカッター2隻、6m通船1隻[13]
ソナー 九一式探信儀一型 1基[17]
特殊装備 二号大掃海具1.5組、または三号大掃海具1組[16]
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鴻型水雷艇(おおとりがたすいらいてい)は日本海軍水雷艇[2]。同型艇8隻[3]

計画・建造[ソースを編集]

前型の千鳥型水雷艇は計画当初は20隻の建造を予定しており、1931年(昭和6年)度のマル1計画では要求12隻中4隻の建造が認められた[18]。続く1934年(昭和9年)度のマル2計画では16隻の水雷艇の建造が認められ、当初の予定通り水雷艇20隻がそろう計画になった[18]。軍令部はこの水雷艇に同じ600トン以内で千鳥型を超えた更に過大な要求を行った[18]。つまり速力34ノット(千鳥型は30ノット、以下同)、航続力16ノットで3,000海里(14ノットで3,000海里)、12.7cm砲4門(同3門)魚雷発射管61cm4門(同53cm4門)などである[18]。基本計画番号F47として設計を開始したが友鶴事件の発生により設計を大幅に改めF47Bとして再設計された[18]。当初は条約制限外の600トン以下とする予定だったが計画当初でも公試排水量893トンであり、この時点で基準排水量840トン、公試排水量960トンに増大していた[18]

本型の4隻を建造中に更に第四艦隊事件が発生した[19]。 溶接構造の補強、DS鋼による部分的な補強などを実施することにして工事を再開[19]、残る4隻は主要強度材を全てDS鋼にするよう計画が変更された[20]1936年(昭和11年)10月から翌年9月までに8隻が竣工[21]、竣工時には公試排水量1,000トンに達したと言われる[22]

本型は計画では16隻の建造を予定していたが、残りの艇を建造しても工事の遅延などにより無条約時代(1937年以後)の竣工になることが決定したため8隻で建造は打ち切られ、以後このクラスの水雷艇が建造されることはなかった[20]。建造取り止め艦の予定艦名は「初鷹」「蒼鷹」「若鷹」「熊鷹」「山鳥」「水鳥」「海鳥」「駒鳥」とされている[23]

もし日本海軍がこれら水雷艇の建造を継続していれば、後の松型駆逐艦と同じ大量生産型の駆逐艦のプロトタイプと成り得た、と指摘する声もある[20]そればかりか、海防艦よりも有力な船団護衛艦と成り得たといわれ、後世、建造を中止したことを短慮と断ずる声もある。[要出典]

艦型[ソースを編集]

千鳥型では度重なる改善工事で速力が27から28ノットまで低下したため、本型では速力を30.5ノットに回復させ、復原性や航洋性を備えることにした[24]

船体は新しい線図を用いており、千鳥型と艦首形状も異なる[19]。千鳥型より全長で6.5m長くなるなど一回り大きな船体となった[19]

艦橋は改装後の千鳥型と同じ2層構造であるが、羅針艦橋の天蓋は固定式とし(千鳥型はキャンバス)、トップには3m測距儀が装備された(千鳥型は2m測距儀)[25]。千鳥型にあった羅針艦橋前面の波返し[26]は装備されていない[25]。中国進出時には羅針艦橋の周囲に防弾板が装備された[25]

缶(ボイラー)は千鳥型と同じ空気余熱器付のロ号艦本式缶、蒸気条件も千鳥型と同じ圧力30kg/平方cm、温度350℃の高温高圧蒸気を使用した[27]。主機は艦本式タービン2基、タービンは高中低圧の3筒になり(千鳥型は高低圧の2筒)、出力19,000馬力(千鳥型11,000馬力)にアップした[28]。このタービンは後に松型駆逐艦の主機に採用されている[28]。機械室については、千鳥型では変則的な縦隔壁で機械室を左右に分けてタービン1基ずつを装備していたが[19]、本型では機械室にタービン2基を装備、その後方を発電機室とする通常の配置になった[28]

砲は改装後の千鳥型と同じ12cm砲3門だが、新たに十一年式12cm砲(通称M型砲)を採用した[19]。この砲は仰角55度までの射撃が可能で(千鳥型搭載の通称G型砲は仰角33度)、これは上陸作戦での射撃を考慮したと言われている[19]。なお千鳥型で船首楼甲板にあった装填演習砲は本型では後甲板に移されている[29]

魚雷兵装は新たに九四式53cm3連装発射管を開発し1基装備、防盾(シールド)も装備してした[19][30]。予備魚雷は無く魚雷3本を搭載、魚雷は六年式魚雷、または八九式魚雷だった[30]

後甲板にある爆雷兵装、掃海具などは千鳥型に準じている[19][29]。 ただ爆雷投射機は千鳥型の片舷砲(K型砲)2基[31]から本型では九四式爆雷投射機(両舷砲、Y型砲)1基になった[16]。また爆雷投下台は千鳥型の4基から本型では6基に強化された[29]。爆雷は千鳥型と同数の18個を搭載する[16]。太平洋戦争中に掃海具を撤去、爆雷投射機と爆雷投下軌道を増設し、爆雷は48個に増載した[29]

レーダーは太平洋戦争中に装備した。終戦時残存した「雉」の場合は羅針艦橋後部の信号所に取り付け架台を設けて22号電探1基を装備、前部マスト13号電探1基を装備した[25]

機銃増備[ソースを編集]

機銃は25mm機銃連装1基で計画されたが[14]、竣工時は毘式40mm機銃1挺になっていた[19][15]。「雁」「鳩」には竣工時か竣工直後に25mm連装機銃が装備されたようである[32]。1938年時の「雁」は25mm連装機銃1基とされる[19][5]

大戦中の機銃増備の状況は以下の通り[33]

艦名 25mm機銃 13mm機銃 電探 調査日
3連装 連装 単装 連装 単装
鴻、鵯 3基 5挺 13号電探1基 1944年 8月20日
3基 5挺 - 1944年11月22日
雉、雁、鷺、鳩 3基 5挺 13号電探1基 1944年10月 1日

後部3番主砲と40mm機銃を撤去、艦橋前と後部甲板室上に機銃台を設け40mm機銃台と合わせて25mm連装機銃を計3基装備した。その他25mm単装機銃を船首楼甲板に2挺、後甲板に3挺の計5挺が装備された。対潜兵装は「雉」等の場合、八一式爆雷投射機6基、九四式爆雷投射機1基、九三式水中聴音機1基、九四式探信儀1基(水流覆付)を装備した。

戦歴[ソースを編集]

8隻は竣工後に第1水雷隊と第11水雷隊を編成した[20]。 本型は吃水が浅く、運動性もあり、また砲が強力だったため揚子江方面での作戦に適していると考えられた。 そのため各艦にはあらかじめ江水濾過装置が備えられていた[34]。竣工後は中国方面での揚子江遡江作戦等の上陸作戦支援、掃海などに従事した[20]太平洋戦争では緒戦は香港攻略戦フィリピン攻略戦などを支援、その後は多くが各根拠地隊に所属となり各地で船団護衛や哨戒活動等に従事した。 1943年に「鵲」が戦没したのを初めに翌年には5隻が戦没、終戦直前にも「雁」が潜水艦に撃沈され、終戦時に残っていたのは鴻型では「雉」のみだった[20]

同型艦[ソースを編集]

艦名(読み):竣工日(建造造船所)。喪失(場所、原因)、またはその後。

(おおとり)
1936年(昭和11年)10月10日竣工(舞鶴海軍工廠)[35]1944年(昭和19年)6月12日戦没(サイパン北方、航空機)[21]
(ひよどり)[36]
1936年(昭和11年)11月20日竣工(東京石川島造船所)[35]1944年(昭和19年)11月17日戦没(南シナ海、米潜ガンヌル)[21]
(はやぶさ)[36]
1936年(昭和11年)12月7日竣工(横浜船渠)[35]1944年(昭和19年)9月24日戦没(ミンドロ島南方、航空機)[21]
(かささぎ)[36]
1937年(昭和12年)1月15日竣工(大阪鉄工所)[35]1943年(昭和18年)9月27日戦没(ニューブリテン島北西方、米潜ブルーフィッシュ)[21]。1943年(昭和18年)8月29日から9月1日にかけて、ニューギニアにて当時海軍報道班員であった久生十蘭が乗艦しており、その記録を日記に残している[37]
(きじ)[38]
1937年(昭和12年)7月31日竣工(三井造船玉工場)[35]スラバヤで終戦[21]復員輸送艦となる。1947年(昭和22年)10月ソ連に引き渡し。1957年(昭和32年)に退役し、翌1958年(昭和33年)解体。
(かり)[39]
1937年(昭和12年)9月30日竣工(三菱横浜船渠)[35]1945年(昭和20年)7月16日戦没(ジャワ海、米潜バヤ)[21]
(さぎ)[39]
1937年(昭和12年)7月31日竣工(播磨造船所)[35]1944年(昭和19年)11月8日戦没(ルソン島西方、米潜ガンヌル)[21]
(はと)[39]
1937年(昭和12年)8月7日竣工(東京石川島造船所)[35]1944年(昭和19年)10月16日戦没(香港南東、航空機)[21]

水雷隊の変遷[ソースを編集]

第一水雷隊[ソースを編集]

横須賀鎮守府籍の「鴻」「鵯」「隼」「鵲」で編成[40]、1942年(昭和17年)2月1日に解隊された[41]

  • (1936年(昭和11年)10月10日:「鴻」単独で横須賀警備隊所属[42]。)
  • 1936年(昭和11年)12月7日:「鴻」と「隼」の2隻で編成[43]
  • 1936年(昭和11年)12月20日:「鵯」編入[44]
  • 1937年(昭和12年)1月15日:「鵲」編入[45]、4隻編成となる。
  • 1937年(昭和12年)7月28日:第3艦隊第3水雷戦隊に編入[41]
  • 1937年(昭和12年)12月1日:第3艦隊第4水雷戦隊に編入[41]
  • 1938年(昭和13年)4月1日:第3艦隊付属に編入[41]
  • 1938年(昭和13年)7月1日:「鴻」が除かれる[41]。「鴻」は第3艦隊第11戦隊に編入[41]
  • 1940年(昭和15年)11月15日:「鴻」復帰[41]。第2遣支艦隊海南根拠地隊所属[41]
  • 1941年(昭和16年)4月10日:「鵯」が除かれる[46][41]、「鵯」は第2遣支艦隊付属となる。第1水雷隊は海南警備府所属[41]
  • 1941年(昭和16年)10月1日:「鵲」が除かれる[47][41]
  • 1942年(昭和17年)2月10日:解隊[48][注釈 2]

第十一水雷隊[ソースを編集]

呉鎮守府籍の「雉」「雁」「鷺」「鳩」で編成。 1938年(昭和13年)12月15日に解隊された[49]が、1940年(昭和15年)11月15日に再編成、昭和17年2月15日に解隊された[41]

  • 1937年(昭和12年)7月31日:「雉」「鷺」の2隻で編成[50]、呉警備戦隊所属[51]
  • 1937年(昭和12年)8月7日:「鳩」編入[52]、呉警備戦隊より除かれ[53]、第2艦隊所属となる[41]
  • 1937年(昭和12年)9月20日:「雁」編入[54]、編成完了。
  • 1937年(昭和12年)12月1日:予備隊になる[41]
  • 1938年(昭和13年)1月1日:海軍兵学校、海軍潜水学校の練習艇になる[41]
  • 1938年(昭和13年)4月5日:「雉」「鳩」が除かれる[55]
  • 1938年(昭和13年)6月6日:「雉」「鳩」復帰[56]
  • 1938年(昭和13年)9月20日:「雁」が除かれ[57]、予備水雷艇になる[41]
  • 1938年(昭和13年)12月15日:解隊[49]。「雉」「鳩」は旅順要港部付属となる[41]
  • 1940年(昭和15年)11月15日:4隻で再編成、支那方面艦隊上海根拠地隊所属[41]
  • 1941年(昭和16年)7月25日:「鷺」「鳩」が除かれる[58][41]。2隻は第5艦隊付属に編入[41]
  • 1941年(昭和16年)9月20日:第3遣支艦隊付属となる[41]
  • 1942年(昭和17年)2月15日:解隊[59][41]。「雉」は第3遣支艦隊付属、「雁」は第1南遣艦隊第12特別根拠地隊に編入[41]

参考文献[ソースを編集]

  • 岩重多四郎 『日本海軍小艦艇ビジュアルガイド 駆逐艦編』 大日本絵画、2012年7月ISBN 978-4-499-23085-8
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻四の1』明治百年史叢書 第175巻、原書房、1971年11月(原著1939年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻八』明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。
  • 海軍省/編 『海軍制度沿革 巻十の2』明治百年史叢書 第183巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。
  • 片桐大自 『聯合艦隊軍艦銘銘伝<普及版> 全八六〇余隻の栄光と悲劇』 潮書房光人社、2014年4月(原著1993年)。ISBN 978-4-7698-1565-5
  • 『昭和造船史(第1巻)』明治百年史叢書 第207巻、(社)日本造船学会/編、原書房、1981年(原著1977年10月)、第3版。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫 『日本駆逐艦物語』福井静夫著作集第5巻、光人社、1993年1月ISBN 4-7698-0611-6
  • 福井静夫 『日本補助艦艇物語』福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年12月ISBN 4-7698-0658-2
  • 防衛庁防衛研修所戦史室 『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』戦史叢書第31巻、朝雲新聞社1969年
  • 牧野茂福井静夫/編 『海軍造船技術概要』 今日の話題社、1987年5月ISBN 4-87565-205-4
  • 雑誌『』編集部/編 『写真日本の軍艦 第11巻 駆逐艦II』 光人社、1990年6月ISBN 4-7698-0461-X
    • 解説・東清二、作図・石橋孝夫「図で見る『水雷艇』変遷史」、『写真日本の軍艦第11巻』、光人社、1990年6月、 216-222頁。
  • 「丸」編集部/編 『軍艦メカ4 日本の駆逐艦』 光人社、1991年8月ISBN 4-7698-0564-0
  • 「二等駆逐艦及水雷艇 一般計画要領書 附現状調査」。(戦後複写版も参考)
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『昭和16年1月~4月 内令 1巻/昭和16年4月(3)』。Ref.C12070150300。
    • 『昭和16年5月~8月 内令 2巻/昭和16年7月(3)』。Ref.C12070152100。
    • 『昭和16年9月~10月 内令 3巻/昭和16年10月(1)』。Ref.C12070153300。
    • 『昭和17年1月~3月 内令 1巻/昭和17年2月(2)』。Ref.C12070160900。

脚注[ソースを編集]

注釈[ソースを編集]

  1. ^ #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.2で吃水線長(公試)の欄には8.85と書かれているが一本線で消され、その上に薄く8.18と書かれている。戦後複写版では8.85と書かれている。
  2. ^ #写真日本の軍艦第11巻p.250の鴻行動年表では2月1日解隊になっているが誤植と思われる。

出典[ソースを編集]

  1. ^ #写真日本の軍艦第11巻pp.256-257の写真と解説
  2. ^ a b #海軍制度沿革8(1971)p.98、昭和9年10月13日内令第411号『艦艇類別等級別表中左ノ通改正ス 驅逐艦、一等ノ部有明型ノ項中「村雨」ノ下ニ「夕立、春雨」ヲ加フ 水雷艇ノ部中千鳥型ノ項ノ次ニ左ノ一項ヲ加フ | 鴻型 | 鴻 |』
  3. ^ a b c #戦史叢書31海軍軍戦備1p.434、マル2計画艦艇建造状況
  4. ^ a b c d e f g #昭和造船史1pp.788-789、付録第2 艦艇要目表 6.駆逐艦及び水雷艇要目表
  5. ^ a b c #戦史叢書31海軍軍戦備1付表第四その二「昭和十三年三月調艦艇要目等一覧表 その二 潜水艦、水雷艇、特務艦、特務艇、新造艦船」
  6. ^ a b c d e f g h i j k l #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.2
  7. ^ #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.25
  8. ^ a b c d #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.15
  9. ^ #海軍造船技術概要(1987)下巻p.1695
  10. ^ #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.17。士官6名、特務士官2名、准士官2名、下士官34名、兵85名、合計129名。
  11. ^ #海軍制度沿革10-2(1972)pp.734-735、昭和10年4月25日(内令173)『海軍定員令中左ノ通改正セラル 一等驅逐艦定員表其ノ四及水雷艇定員表ヲ別紙ノ如ク改ム』(一等驅逐艦定員表其ノ四省略)|第70表|水雷艇定員表|(以下略)|。士官6名、特務士官2名、准士官2名、下士官34名、兵83名。
  12. ^ #海軍制度沿革10-2(1972)p.758,778、昭和12年4月28日(内令169)『海軍定員令中左ノ通改正セラル』(中略)『附則 本令中定員ノ増減又ハ変更ヲ為ルベキモノハ昭和十二年六月一日ヨリ之ヲ施行ス』(中略)『|第84表|水雷艇定員表|(略)|』(以下略)。士官6名、特務士官2名、准士官2名、下士官30名、兵85名。
  13. ^ #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.19
  14. ^ a b c #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.5
  15. ^ a b 阿部安雄「日本海軍駆逐艦・水雷艇要目表」#日本駆逐艦物語pp.304-305
  16. ^ a b c d e f g h #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.7
  17. ^ #一般計画要領書(二等駆逐艦・水雷艇)p.13
  18. ^ a b c d e f #東・石橋(1990)水雷艇p.220
  19. ^ a b c d e f g h i j k #東・石橋(1990)水雷艇p.221
  20. ^ a b c d e f #東・石橋(1990)水雷艇p.222
  21. ^ a b c d e f g h i 伊達久「水雷艇行動年表」#写真日本の軍艦第11巻pp.248-253
  22. ^ #東・石橋(1990)水雷艇pp.221-222
  23. ^ #銘銘伝2014p.479
  24. ^ #写真日本の軍艦第11艦p.223の写真解説
  25. ^ a b c d 梅野和夫「千鳥型/鴻型 艦橋構造&前檣」#軍艦メカ4日本の駆逐艦pp.148-151
  26. ^ #岩重(2012)p.39
  27. ^ 鈴木範樹「水雷艇が搭載した機関」#写真日本の軍艦第11巻p.210
  28. ^ a b c 鈴木範樹「水雷艇 煙突、後檣&艦載艇」#軍艦メカ4日本の駆逐艦pp.158-159
  29. ^ a b c d 瀬名堯彦「水雷艇(千鳥型・鴻型) 艦尾&後甲板」#軍艦メカ4日本の駆逐艦pp.160-161
  30. ^ a b 瀬名堯彦「千鳥型/鴻型 魚雷兵装」#軍艦メカ4日本の駆逐艦pp.156-157
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  33. ^ 『日本補助艦艇物語』p368、石橋孝夫作成「あ号作戦後の補助艦艇兵装状況一覧表」による。
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  36. ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)pp.380-381、昭和9年11月24日附達第201号
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  38. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.381、昭和10年6月20日附達第70号
  39. ^ a b c #海軍制度沿革8(1971)p.390、昭和10年11月22日附達第140号
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  46. ^ #S16.1-4内令1巻/昭和16年4月(3)画像37『内令第三百六十三號 水雷艇編成中左ノ通改定セラル 昭和十六年四月十日 海軍大臣及川古志郎 第一水雷隊ノ項中「鵯、」ヲ削ル』
  47. ^ #S16.9-10内令3巻/昭和16年10月(1)画像7『内令第千百六十三號 水雷艇編成中左ノ通改定セラル 昭和十六年十月一日 海軍大臣及川古志郎 第一水雷隊ノ項中「、鵲」ヲ削ル』
  48. ^ #S17.1-3内令1巻/昭和17年2月(2)画像9-10『内令第二百五十三號 水雷艇編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年二月十日 海軍大臣嶋田繁太郎 第一水雷隊ノ項ヲ削ル』
  49. ^ a b #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和13年12月15日内令第1107号
  50. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和12年7月31日内令第391号「第一水雷隊ノ次ニ第十一水雷隊(雉、鷺)ヲ加フ」
  51. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.62、昭和12年7月31日内令第392号
  52. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和12年8月7日内令第417号
  53. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.62、昭和12年8月7日内令第413号
  54. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和12年9月20日内令第620号
  55. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和13年4月5日内令第262号
  56. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和13年6月6日内令第451号
  57. ^ #海軍制度沿革4-1(1971)p.157、昭和13年9月20日内令第808号
  58. ^ #S16.5-8内令2巻/昭和16年7月(3)画像1『内令第八百三十六號 水雷艇編成中左ノ通改定セラル 昭和十六年七月二十五日 海軍大臣及川古志郎 第十一水雷隊ノ項中「、鷺、鳩」ヲ削ル』
  59. ^ #S17.1-3内令1巻/昭和17年2月(2)画像41『内令第二百八十一號 水雷艇編成中左ノ通改定セラル 昭和十七年二月十日五 海軍大臣嶋田繁太郎 第十一水雷隊ノ項ヲ削ル』