高木ゑみ

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高木 ゑみ(たかぎ えみ、1985年12月4日[1] - )は日本料理研究家。 沖縄読谷村 full cafe のオーナーシェフ。

来歴・人物[編集]

東京都出身。慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻エコール辻東京フランス・イタリア料理マスターカレッジ卒業。

大学在学中にイギリスオーストリアアメリカへの留学を契機に世界各国の料理に出合い、料理の道に進む。

その後、料理研究家となり数々のメディア出演、出版をしながら、東京中目黒に料理教室を展開。豊富なノウハウが詰まった独自のレッスンスタイルが人気となり、生徒数は1000人を超え予約の取れない ”熱血料理塾” として話題になる。

その後、離婚を大きなキッカケにし、本当に自分がやりたかったことを沖縄を拠点に展開すると決心。周りには明かさず水面下で進め続け、2018年4月より沖縄に移住。現在読谷村にて世界に一つだけの店、Full cafeを展開中。

家族・親族[編集]

母方の曾祖父は、大正デモクラシー期を代表する文化人の一人、西村伊作である。日本人の生活近代化、生活の改善や教育・住宅の改革を説き、当時の人々から熱い支持を集め、日本の歌人与謝野晶子夫妻と文化学院を創立した。

大伯父板倉準三は、ル・コルビュジエに師事し、1937年のパリ万国博覧会では、日本館の設計を手がけ、日本のなまこ壁を思わせるデザインとモダニズムの理念を統合し、世界でも高い評価を受けた。

その息子には同じく建築家の坂倉竹之助。孫にはヒップホップMCのSPHEREZEEBRAがいる。またダーウィンの『種の起原』を訳すなど啓蒙的著作・翻訳を行った動物生理学者の石田周三も。

また大伯母達は、留学が珍しい戦前に今とは困難の度合いが全く違う状況だったが、独自の考えで海外へ留学、国際結婚し海外で暮らしている。現在は、軽井沢の家で海外に散らばる家族をも含め、一族の集いの場所となっており、そんな家族の歴史、子供たちの生き方を当時の貴重な写真、絵画などを軽井沢のルヴァン美術館で見ることが出来る。

父方の祖父の高木克二は、1952年株式会社平和堂時計店を東京銀座に設立。会社の創業期は、日本の時計メーカーの全盛期にあたりテクノスウォルサムの輸入販売を経て、ピアジェをはじめ、様々な宝飾・時計ブランドの総輸入代理店として有名になった。

1956年に平和堂貿易株式会社を東京銀座に設立し1990年には、社団法人日本ジュエリー協会(通称 JJA)会長に就任した。

著書[編集]

  • 「はかどるごはん支度」(幻冬舎)2017年12月20日発売
  • 「やる気の続く台所習慣40」(扶桑社)2017年9月8日発売
  • 「毎日らくちん「万能菜」」(宝島社)2017年4月7日発売
  • 「汚れも気持ちも ためない生活。」(主婦と生活社) 2016年11月4日発売
  • 「もう献立に悩まない」(マガジンハウス)2016年7月7日発売
  • 「考えない台所」(サンクチュアリ出版)2015年5月20日発売
  • 「不思考厨房」(台湾版と韓国版の考えない台所)             
  • 「高木ゑみのおもてなしレシピとテーブル」(主婦の友社) 2014年2月24日発売
  • 「少しの工夫でいつものごはんがセレブ料理に」(扶桑社)2011年9月30日発売
  • 「名媛主廚EMI教做時尚宴客料理」(セレブ料理の本が中国語に翻訳されて、台湾、ホンコン、マカオ、シンガポール、マレーシアで発売)
  • 「恋をかなえる 手作り彼チョコ」(学研パプリッシング)2011年1月6日発売

出演[編集]

脚注[編集]

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出典[編集]

外部リンク[編集]