須田芳正

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須田 芳正
名前
カタカナ スダ ヨシマサ
ラテン文字 SUDA Yoshimasa
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-08-22) 1967年8月22日(56歳)
出身地 東京都
身長 167cm[1]
体重 62kg[1]
選手情報
ポジション FW
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1990-1992 東京ガスSC
1992-1994 浦和レッズ 4 (0)
1995 甲府SC 25 (1)
監督歴
2004-2007 慶應義塾大学
2011- 慶應義塾大学
1. 国内リーグ戦に限る。..現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

須田 芳正(すだ よしまさ、1967年8月22日 - )は東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。選手時代のポジションはフォワード(FW)

慶應義塾大学法学部卒。順天堂大学大学院修士課程スポーツ健康科学研究科及び弘前大学博士課程医科学研究科修了。

来歴[編集]

選手時代[編集]

暁星小学校在学時にサッカーを始める[2]暁星中学校・高校と進学し[3]1984年にはU-16日本代表に選出された[2]

1990年慶應義塾大学を卒業し、東京ガスに入社。強化を図っていた[3]同社サッカー部(現 FC東京)に社員選手として所属し、同年の関東リーグ及び全国地域リーグ決勝大会で優勝。日本サッカーリーグへの昇格を果たした。

1992年、翌年から開幕するJリーグでのプレーを目指して、同リーグに参加する浦和レッズに練習参加し[4]、プロ契約を結んだ。浦和ではサテライトチームでのプレーが主だった。1994年ジャパンフットボールリーグ甲府サッカークラブ(現 ヴァンフォーレ甲府)に移籍し、同年限りで現役を引退。

現役引退後[編集]

1998年順天堂大学大学院修士課程を修了した後、母校の慶應義塾大学の体育研究所で助手を務めつつ、フットサルの普及・指導に取り組む。2000年には日本代表選手としてもプレー[2]

2004年慶應義塾大学体育会ソッカー部の監督に就任。2007年よりオランダ・CIOSへ留学し、約2年の期間に同国サッカー協会の2級[4] 及び欧州サッカー連盟B級の指導者ライセンスを取得した。

帰国後、2011年より再び慶應ソッカー部の監督を務めている。同年の関東大学リーグ戦では黄大城田中奏一を中心とするサイド攻撃で[4] 1部3位という好成績を残した。

所属クラブ[編集]

個人成績[編集]

国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 JSL杯/ナビスコ杯 天皇杯 期間通算
1990 東京ガス 関東 -
1991-92 18 JSL2部 26 1 1 0
1992 浦和 - J - 0 0 0 0 0 0
1993 4 0 0 0 0 0 4 0
1994 甲府ク 旧JFL 25 1 - 0 0 25 1
通算 日本 J 4 0 0 0 0 0 4 0
日本 JSL2部 26 1 1 0
日本 旧JFL 25 1 - 0 0 25 1
日本 関東 -
総通算

代表歴[編集]

職歴・指導歴[編集]

主な著書[編集]

  • 『フットサル教本』大修館書店、2002年。 松崎康弘との共著、日本フットサル連盟監修。
  • 『フットサル―攻略マニュアル100』日本放送出版協会、2002年。 
  • 『いつでもどこでもフットサル』アイオーエム、2002年。 [2]
  • 『やってみよう!フットサル』東洋館出版社、2004年。 宮崎昇作との共著。
  • 『フットサル教本 改訂版』大修館書店、2013年。  ※松崎康弘との共著、日本フットサル連盟監修。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『Jリーグオフィシャルガイド1993・ニコスシリーズ ヤマザキナビスコカップ』p85
  2. ^ a b c d いつでもどこでもフットサル アイオーエム
  3. ^ a b c 【ソッカー男子】早慶サッカー定期戦 インタビュー 須田芳正監督 CS Park (2013年6月28日)
  4. ^ a b c 【ソッカー男子】早慶サッカー定期戦特集 / 第1弾・須田監督編 慶應スポーツ新聞会 (2011年6月28日)

外部リンク[編集]