遠州流
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遠州流(えんしゅうりゅう)は小堀政一(遠州)に始まる武家茶道、および華道の一派である[1]。宗家である遠州流茶道は東京都新宿区にあり、公益財団法人として小堀遠州顕彰会、同門組織として遠州流茶道連盟がある[要出典]。その他に、小堀遠州流や大和遠州流があり、小堀遠州流(こぼりえんしゅうりゅう)は遠州から弟の小堀正行に分かれた流派で、家元は東京都練馬区にあり、同門組織は松籟会という[要出典]。大和遠州流は、小堀遠州の三男小堀政伊に始まる小堀権十郎家に伝わった茶道の流派である[要出典]。なお小堀仁右衛門家は消滅した[要出典]。
特徴[編集]
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遠州流は武家茶道を代表する流儀[要出典]で、紹鴎・利休と発展した質素で内省的な「わび」「さび」の茶道に、織部を経て遠州独特の美意識を加えた「綺麗さび」と呼ばれる茶風を特徴とする[要出典]。織部を武家らしい華やかさとすれば、遠州は茶の湯の心を用いて自然な雅やかさを加えたものと言える[誰によって?]。
歴史[編集]
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小堀遠州は羽柴秀長の家老を務めた小堀正次の子で名は正一といい、若い頃[いつ?]から古田織部のもとで茶の湯を学んだ。慶長9年(1604年)26歳のときに父正次が急死し、家督を継いで松山城を預かり、その後元和2年(1617年)に朱印状を得て大名となり2年後近江小室藩に移封される。遠州の通り名は慶長13年(1608年)駿府城修築の功績によって遠江守に任ぜられたことによるが、これ以外に後陽成院御所造営、名古屋城天守閣の修築、松山城の再建など、各地で建物の新造・修繕を務め建築家・造園家として名を馳せた[要出典]。冷泉為満・為頼父子、木下長嘯子に和歌を学び、藤原定家風の書を身につける文人でもあった。茶人としては生涯で400回[要出典]ほどの茶会を催し、茶入、茶碗、花入などを多く[要出典]作製したほか、審美眼に優れ[要出典]東山御物などから優品を選定しこれらは後に中興名物と呼ばれるようになる[誰によって?]。利休・織部の茶風に桃山時代の気風を取り入れた「綺麗さび」と呼ばれる茶風に達し、3代将軍家光の茶道師範を務めた他、諸大名、公卿、僧侶などに茶道を指導した。
小堀遠州の門人(茶道)[編集]
徳川家光、小堀政尹、沢庵和尚、江月和尚、瀧本坊昭乗、古筆了雪(古筆鑑定家。古筆了佐の五男)[2]、狩野守信、佐川田昌俊、黒田正玄、山田大有、大森秀祐(漸齋)
(出典:『読史備要』[3])
遠州流の歴史[編集]
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5世正峯は、家継・吉宗・家重の3代に仕え、若年寄を2度務めるなど幕閣の一員として活躍し、譜代大名並の格式を許された人である。しかし7世正方は田沼意次のもとで大番頭や伏見奉行の要職を務めたが、伏見騒動によって天明8年(1788年)改易されることになる。ここに大名家としての小堀家は断絶することになった。
8世正優は6世正寿の子で、3歳のときに小堀家は改易となる。以後40年間浪人となったが、文政11年(1828年)に300俵で小普請組の御家人として迎えられ、糊口を凌ぐために茶道を教授するなどして本家を再興した。尾張徳川家第12代・徳川斉荘に招かれて目利きを行い、その城代家老竹腰篷月に相伝するなど、大名旗本、公家などに幅広く[要出典]茶道教授を行い遠州流中興と称せられる[誰によって?]。10世宗有のとき、明治維新により士族となり、遠州流の茶道を広く[要出典]一般に教授することになる。
小堀遠州流の歴史[編集]
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遠州の弟小堀正行は、父正次と共に召されて家康に仕えた。1,000石の小姓組であったが、父の遺領2,000石の分知を受けて以後、正行家は3,000石の旗本となる。7世政報、8世政展はともに本家5世正峯の子が養子に入り、以後遠州直系[要出典]となる。10世政徳は「寛政重修諸家譜」の家譜調査に小堀家系譜を幕府に呈譜した。12世政休(宗舟)は徳川家茂、徳川慶喜に仕えていたが、明治維新後は徳川家の依頼を受け上野東照宮の堂守を勤めたほか、神田練塀町に家元として立ち、茶道を教授した。茶道普及のために関西に赴き、明治28年には、京都・大徳寺孤篷庵にて遠州没後250年祭を催す。安田善次郎との交流など、遠州の茶の湯を継承する茶人として活躍した[要出典]。高松宮妃の師範を務めた14世進(宗忠)以後は東京を拠点とし、小堀遠州から連綿と続く[要出典]茶道の普及に務める。
歴代[編集]
遠州流[編集]
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小堀本家は近江小室藩1万2000石を治める大名であったが、7世政方(宗友)のときに改易となった。その後8世正優(宗中)が300俵の御家人として召し抱えられ本家を再興した。
世 | 名 | 号 | 庵号 | 生没年 | 備考 |
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一 | 小堀正一 | 宗甫 | 孤篷庵 | 1579年- 1647年2月6日 |
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二 | 小堀正之 | 宗慶 | 1620年2月15日- 1674年8月24日 |
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三 | 小堀正恒 | 宗實 | 1649年3月25日- 1694年1月2日 |
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四 | 小堀正房 | 宗瑞 | 1685年4月4日- 1713年10月16日 |
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五 | 小堀正峯 | 宗香 | 1690年- 1760年12月16日 |
4世正房の弟 | |
六 | 小堀正寿 | 宗延 | 1734年10月25日- 1804年12月20日 |
養子で、小堀仁右衛門家4代惟貞の子 5世正峯の外孫 | |
七 | 小堀正方 | 宗友 | 1742年- 1803年9月8日 |
5世正峯の七男 | |
八 | 小堀正優 | 宗中 | 1786年- 1867年6月24日 |
6世正寿の子 | |
九 | 小堀正和 | 宗本 | 1813年- 1864年2月6日 |
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十 | 小堀正快 | 宗有 | 瓢庵 | 1858年- 1909年4月23日 |
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十一 | 小堀正徳 | 宗明 | 其心庵 | 1888年10月14日- 1962年6月21日 |
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十二 | 小堀正明 | 宗慶 | 成趣庵 | 1923年1月14日- 2011年4月24日[4] |
「国民皆茶」を提唱[5]。東京茶道会初代理事長を務めた。 |
十三 | 小堀正晴 | 宗実 | 不傳庵 | 1956年9月17日- |
当代(12世の長男) |
小堀遠州流[編集]
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小堀遠州流を伝える分家は遠州が家督を継ぐ時に弟小堀正行に分知したのが始まりで、6代政郷までは遠州傍系であったが、7代政報・8代政展は本家から迎えた養子であり、以来血脈としては遠州直系[要出典]となる。
代 | 名 | 号 | 庵号 | 生没年 | 備考 |
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初 | 小堀正一 | 宗甫 | 孤篷庵 | 1579年- 1647年2月6日 |
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二 | 小堀正行 | 宗虎 | 1583年- 1615年8月14日 |
正一の弟 | |
三 | 小堀正十 | 宗貞 | 1601年- 1644年4月4日 |
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四 | 小堀政孝 | 宗舟 | 1626年- 1684年8月19日 |
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五 | 小堀政利 | 宗功 | 1628年- 1694年6月29日 |
4代政利の弟 | |
六 | 小堀政郷 | 宗安 | 1672年- 1724年9月13日 |
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七 | 小堀政報 | 宗忠 | 1717年- 1733年10月6日 |
本家5世正峯の次男 | |
八 | 小堀政展 | 宗信 | 1721年- 1764年5月26日 |
本家5世正峯の五男 | |
九 | 小堀政弘 | 宗道 | 1746年- 1788年8月10日 |
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十 | 小堀政徳 | 宗勇 | 1761年- 1819年5月6日 |
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小堀政純 | 宗円 | 1793年- 1851年4月4日 |
1822年総領を除かる | ||
十一 | 小堀政恒 | 宗仁 | 1813年- 1845年7月22日 |
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十二 | 小堀政休 | 宗舟 | 為楽庵 | 1840年- 1901年8月31日 |
11代政恒の弟 |
十三 | 小堀政孝 | 宗博 | 深入庵 | 1880年- 1922年10月31日 |
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十四 | 小堀進 | 宗忠 | 静楽庵 | 1886年- 1953年6月21日 |
13代政孝の弟 |
十五 | 小堀文雄 | 宗通 | 法楽庵 | 1912年- 1999年11月20日 |
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十六 | 小堀健作 | 宗圓 | 1946年1月1日- |
当代 |
小堀仁右衛門家[編集]
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小堀仁右衛門家は600石の旗本で、代々京都代官を務め主に禁裏の作事を担っていた。
代 | 名 | 仮名 | 生没年 | 備考 |
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初 | 小堀正春 | 左馬助 | 1595年-1672年閏6月17日 | 遠州の異母弟 |
二 | 小堀正憲 | 1626年-1692年3月29日 | 小堀氏で最初の京都代官 | |
三 | 小堀克敬 | 1673年-1719年7月7日 | ||
四 | 小堀惟貞 | 右膳 | 1708年-1738年9月13日 | 3代克敬の長男で、惟明とも称した |
五 | 小堀正誠 | 左源太 | 1710年-1741年 | 3代克敬の三男 |
六 | 小堀邦直 | 数馬 | 1728年-1789年3月25日 | 4代惟貞の長男 |
七 | 小堀邦明 | 縫殿 | 1766年-1804年 | |
八 | 小堀正徳 | 中務 | ?-1826年3月8日 | 養子で、丹波柏原藩主織田信憑の三男 |
九 | 小堀正芳 | 主税 | ?-1843年5月22日 | |
十 | 小堀勝太郎 | 数馬? | ? |
脚注[編集]
参考文献[編集]
- 小堀宗慶「遠州流」『日本の茶家』河原書店
- 小堀宗通「小堀遠州流」『日本の茶家』河原書店
- 戸川宗積『日本の茶道の流れ』大絖書房
- 宮帯出版社編集部「茶道家元系譜」『茶湯手帳』宮帯出版社
- 藤岡屋日記