西田陽子
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引退 | |
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身長(現役時) | 162cm (5 ft 4 in) |
体重(現役時) | 56kg (123 lb) |
血液型 | B型 |
基本情報 | |
本名 | 西田陽子 |
ラテン文字 | Yoko NISHIDA |
日本語 | 西田陽子 |
誕生日 | 1980年1月8日(39歳) |
国 |
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出身地 | 沖縄県 |
ドラフト | |
選手経歴 | |
2002-2007 | 三菱電機コアラーズ |
西田 陽子(にしだ ようこ、1980年1月8日 - )は、沖縄県出身の元バスケットボール選手である。旧姓・安谷屋(あだにや)。オーエスジーフェニックスでプレーした兄健太とともに「沖縄バスケ界のパイオニア」と呼ばれた。母校の愛知学泉大学では家庭科教員免許を取得したが、愛知教育大学で保健体育科の免許も取得。2013年に地元沖縄に戻り、現在は県立石川高等学校の保健体育科教員。
来歴[編集]
室川小学校でバスケを始め、安慶田中学校では1994年に沖縄女子初のジュニアオールスター優勝。北中城高校でインターハイベスト8に貢献し、ジュニア日本代表主将も務めた。愛知学泉大学でも黄金時代を支え、2001年には国体準優勝を経験。インカレでは敢闘賞を受賞した。
卒業後、三菱電機に入社。1年目から主力として定着。2006年にW1降格となるも、入れ替え戦進出に貢献。2007年引退。地元に戻り、嘉手納高校の教員を務めていたが、2008年にアシスタントコーチとして三菱に復帰。2011年退任。
2010年結婚により西田姓となる。2013年、県立高校の保健体育科教員として地元に戻り現在に至る。
経歴[編集]
- 北中城高 - 愛知学泉大 - 三菱電機(2002年〜2007年)
受賞歴[編集]
- 2002-03Wリーグ ルーキー・オブ・ザ イヤー
外部リンク[編集]
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