西サハラ問題

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西サハラ問題(にしサハラもんだい)とは、アフリカ北西部にある西サハラ領有権を巡って、南北分割統治を主張するモーリタニア(1979年には領有権を放棄)とモロッコ、独立を画策するサハラの狼と呼ばれたエル・ワリ英語版を中心とするポリサリオ戦線(POLISARIO、サギアエルハムラ・リオデオロ解放戦線)の対立問題のことをいう。

歴史[編集]

西サハラ独立を求めるポリサリオのデモ
2006年11月11日マドリードにて

西サハラは1884年スペイン保護領となると[1]1924年スペイン領サハラとしてアラブ人ベルベル人を中心とする住民をスペインが植民地として支配してきた。

1963年、モロッコとモーリタニアが領有権を主張[1]

1975年11月6日、モロッコが主導した緑の行進タルファヤで行なわれ、同年11月14日マドリード協定によりスペインは領有権を放棄した。しかし、スペインの了承の下、西サハラ北部をモロッコ、南部をモーリタニアが分割統治をする秘密協定が結ばれ両国が領有すると、独立を目指すポリサリオ戦線はサハラ・アラブ民主共和国(Sahrawi Arab Democratic Republic、SADR)の樹立を宣言し、アルジェリアリビアの支援を受け1976年から武力闘争を開始した[1]

1979年、ポリサリオ戦線は西サハラ南部を領有するモーリタニアと停戦協定を締結し、モーリタニアは西サハラ領有権を放棄したが、モロッコがその南部を含めて併合したことでモロッコとポリサリオ戦線の対立に拍車をかけた。1982年までにOAUに加盟する26ヵ国がSADRを承認した。

1983年アフリカ統一機構(OAU、現在のアフリカ連合(AU))が独立問題を決める住民投票実施を提案し、モロッコもそれを受け入れたものの1984年、OAUにサハラ・アラブ民主共和国が加盟したことで、モロッコはOAUを脱退。紛争は継続することとなった。

1988年にモロッコは住民投票の受け入れを了承し、1991年4月国連の仲介でモロッコとポリサリオ戦線は停戦に合意。その年の9月に国連西サハラ住民投票監視団(MINURSO)が派遣され、活動を開始している。

しかし、投票権を持つ「西サハラ住民」の定義をめぐる問題で、幾度となく投票が延期され、膠着状態は今なお続き、実質的に管理下に置いているモロッコは西サハラのインフラ整備を推進するなど、投票が行われた際の併合可決に向けた動きを加速させている。

2016年9月、モロッコはAUへの再加盟申請を行ったことを明らかにした[2]が、西サハラに対する領有権の主張は変えていない[3]。モロッコは2017年1月31日に再加盟が認められた。

2020年11月にはモロッコ政府がモーリタニアに続く道路をSADRが封鎖しているとして軍事行動を開始。11月13日にはポリサリオ戦線が停戦の終了を宣言し、地域の緊張が高まった[4]

12月10日、米国の仲介で、モロッコとイスラエルが国交正常化で合意した。米国は見返りに、西サハラのモロッコ領有権を承認し[5][6][7]、さっそく西サハラをモロッコ領とした新しい地図を発表した[8]。米国のドナルド・トランプ大統領はTwitterで、「モロッコは1777年にアメリカ合衆国を承認した[9]。従って、我々は西サハラの主権を認めるのが妥当である[10]」と主張した。モロッコは国王ムハンマド6世の名で、「米国に対する深い感謝の意」を表明した[11]。ポリサリオ戦線は「間もなく退任するドナルド・トランプ米大統領が、モロッコに帰属しないもの(西サハラ)を帰属させた事実を、最も強い言葉で非難する」と声明を出した。

2021年、スペイン政府が新型コロナウイルス感染症が重症化したポリサリオ戦線の指導者ブラヒム・グハリに医療提供を行ったことにモロッコ政府は反発[12]。5月、モロッコがスペインの海外領土セウタへの移民8000人流入を黙認したことからスペイン首相のペドロ・サンチェスが秩序回復のため現地入りするなど両国の関係は悪化し、モロッコはスペインから大使を召還した[12]

また、互いに反政府勢力を支援しているとして長年緊張関係にあるアルジェリアとモロッコの間では、2021年になりアルジェリアがカビリー地方の独立運動やアルジェリア国内の山火事にモロッコが関与していると主張し緊張関係が高まった[13]。2021年8月24日、アルジェリアはモロッコとの国交断絶を宣言した[13]

2021年9月、ペルーとサハラアラブ民主共和国(SADR)は、25年間の停職の後、外交関係を再構築した[14]

出典[編集]

  1. ^ a b c 西サハラ”. 国連広報センター. 2019年8月12日閲覧。
  2. ^ Morocco Asks to Re-join African Union After 4 Decades”. Voice of America. 2016年9月24日閲覧。
  3. ^ “AU加盟申請…脱退以来、32年ぶり復帰へ”. 毎日新聞. (2016年9月24日). https://mainichi.jp/articles/20160925/k00/00m/030/067000c 2016年9月24日閲覧。 
  4. ^ “西サハラ独立派、停戦終了を宣言 モロッコの軍事作戦で”. AFPBB News. フランス通信社. (2020年11月14日). https://www.afpbb.com/articles/-/3315861 2020年11月15日閲覧。 
  5. ^ 中村亮、久門武史 (11 December 2020). "イスラエル、モロッコと国交正常化 米仲介". 日本経済新聞. 2020年12月11日閲覧
  6. ^ モロッコもイスラエルと国交合意 米国が西サハラ主権を承認 独立派は猛反発”. フランス通信社 (2020年12月11日). 2020年12月11日閲覧。
  7. ^ イスラエル、モロッコと正常化合意 米仲介”. ロイター. トムソン・ロイター (2020年12月11日). 2020年12月11日閲覧。
  8. ^ 西サハラ含むモロッコの「新公式」地図、米国が承認”. フランス通信社 (2020年12月11日). 2020年12月11日閲覧。
  9. ^ 世界で初めて、アメリカ合衆国を承認したのがモロッコという意味。ただし、実際には1777年に結んだのは通商関係のみで、正式な国交樹立は1787年である。モロッコとアメリ合衆国の関係英語版参照。
  10. ^ Donald J. Trump (2020年12月10日). “Morocco recognized the United States in 1777. It is thus fitting we recognize their sovereignty over the Western Sahara.”. Twitter. 2020年12月14日閲覧。
  11. ^ Statement by Royal Office” (英語). モロッコ王国 (2020年12月10日). 2020年12月14日閲覧。
  12. ^ a b スペイン領セウタに移民8千人殺到 モロッコとの対立深まる”. AFP. 2021年8月25日閲覧。
  13. ^ a b アルジェリア、モロッコと国交断絶 「敵対行為」めぐり”. AFP. 2021年8月25日閲覧。
  14. ^ Le Pérou rétablit ses relations avec la République sahraouie” (フランス語). Africanews. 2021年9月13日閲覧。

関連項目[編集]