藤立啓一

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藤立 啓一(ふじたて けいいち、1938年 - 2002年6月17日)は、日本医師大阪府大阪市旭区に藤仁会藤立病院を経営した傍ら、日本ボクシングコミッション(JBC)のコミッションドクターも務めた。また、競走馬馬主としても知られた。

経歴[編集]

1938年大阪市浪速区の魚問屋に生まれる[1]京都工芸繊維大学に進み、学業の傍らで家業を手伝っていたが、「医師になって欲しい」という父親の強い要望を容れて、3年次に大阪医科大学へ編入[1]。大学卒業後は勤務医として過ごしたのち、1969年診療所を開業した[1]1976年に「藤立病院」を創立[2]1980年からは医療法人化し「藤仁会藤立病院」となった[2]。JBCのコミッションドクターに指定されてからは、関西地方で行われる世界戦などでの診察を担当した[1]。また、1995年に発生した阪神・淡路大震災では兵庫県立御影高校の避難所で診察を行った[1]

2002年6月17日悪性リンパ腫のため死去[3]。63歳没[3]

馬主活動[編集]

35歳の時に中央競馬の馬主資格を取得[1]勝負服の柄は桃、茶襷。冠名には、病院の法人名「藤仁会」に由来する[1]「トウジン」、布施明の楽曲「シクラメンのかほり」にジョン・レノンの名前を掛け合わせた[1]「シクレノン」を用いた。

主な所有馬[編集]

代表的な所有馬のムッシュシェクル

グレード制重賞優勝馬[編集]

その他の所有馬[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ いずれもオープン特別競走。のちに重賞に昇格。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 『優駿』2000年4月号、pp.108-111
  2. ^ a b 病院概要” (日本語). 藤立病院 (2012年9月24日〈閲覧ページ更新日〉). 2013年4月18日閲覧。
  3. ^ a b 藤立啓一氏死去 コミッションドクター”. 47NEWS (2002年6月18日). 2013年4月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 優駿』2000年4月号(日本中央競馬会
    • 山本徹美「頑張るお父さんの星 - ミスタートウジンが駆け抜けた日々」