第6諸兵科連合軍 (ロシア陸軍)

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第6諸兵科連合軍
創設 1918年9月11日
所属政体 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
ロシアの旗 ロシア
所属組織 ロシア陸軍
部隊編制単位
兵科 諸兵科連合
兵種/任務/特性 諸兵科連合作戦
所在地 レニングラード州アガラトヴォ
上級単位 西部軍管区
主な戦歴 ロシア内戦
第二次世界大戦
アフガニスタン紛争
ロシアのウクライナ侵攻
現司令官 ウラジスラフ・エルショフ中将(解任)
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第6諸兵科連合軍(だい6しょへいかれんごうぐん、ロシア語: 6-я общевойсковая армия)は、ロシア陸軍西部軍管区隷下。

概要[編集]

ロシア内戦[編集]

1918年9月11日、ロシア内戦の影響に伴い、赤軍第6軍としてロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシア)で創設された。

1920年8月、ウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)に移駐し、戦後に解隊された。

第二次世界大戦[編集]

ザポリージャの記念碑

1939年9月28日、第二次世界大戦の影響に伴い、東部軍団を基幹にウクライナ・ソビエト社会主義共和国(現ウクライナ)で再編された[1]

1939年9月から、ソビエト連邦によるポーランド侵攻独ソ戦に投入され、ナチス・ドイツからハリコフを防衛し、戦後に解隊された[1]

冷戦[編集]

1952年3月、ソ連地上軍の第31狙撃軍団を基幹にロシア・ソビエト連邦社会主義共和国(現ロシアムルマンスク州で再編された[2]

1974年1月、赤旗勲章を授与された[2]

1980年1月から、アフガニスタン紛争に投入された。

1992年12月26日、ソビエト連邦の崩壊ロシアの独立に伴い、創設されたロシア陸軍に編入し、1998年5月に軍縮で解隊された[2]

2010年9月、第25独立親衛自動車化狙撃旅団第138独立親衛自動車化狙撃旅団を基幹にレニングラード州で再編された[2]

ロシアのウクライナ侵攻[編集]

北東部・ハルキウ戦線[編集]

2022年2月24日から、ロシアのウクライナ侵攻では、第1親衛戦車軍と合同でロシアベルゴロド州からウクライナ北東部攻勢を開始し、侵攻当日に北東部ハルキウ州ハルキウ市内中心部まで進軍した。伝統的にロシア系住民・ロシア語話者が多く、過去にナチス・ドイツから防衛したハルキウではロシア軍は歓迎されて無血開城されるとの見方もあったが、3日間の市街戦の末に撃退された[3][4]。5月中旬にはウクライナ軍が攻勢を開始し、大損害を出してハルキウ州から撤退した[5][6][7][8]。団員には直前までウクライナ侵攻の事実は伏せられており、軍事演習と騙されて参加し、刑務所に収監されるため除隊もできなかったと戦死したロシア兵の母親が2023年11月に報告した[8]。侵攻当初にはウクライナ政府も「演習と言われてウクライナに連れてこられた。プーチンに騙された」と主張するロシア兵の動画を投稿していた[9]

東部・スヴァトヴェ-クレミンナ戦線[編集]

2023年2月、東部ルハーンシク州セヴェロドネツィク地区クレミンナに再配置され、北東部ハルキウ州クプヤンシク地区で攻勢を開始した[8]

ロシア・ベルゴロド戦線[編集]

2023年6月、第138独立親衛自動車化狙撃旅団ロシアベルゴロド州に再配置され、反プーチン・ロシア人勢力の自由ロシア軍団ロシア義勇軍団の攻勢を防御した。同部隊は動員兵で再編されていたが、装備と物資が不足しており、全滅した部隊も出ていたため補給と援軍を要請した[10]

編制[編集]

編制図

著名な出身者[編集]

脚注[編集]